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仇討ち騒動記  作者: dydy
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第二章

第二章


「兄様。今日はどこに行ってらしたの」

 志津に睨まれ、清川政野助はびくんと背を震わせた。

「あー、いや、その、何だ。今日はちょいと、内職の品を売りに……」

「嘘おっしゃい。また、夕顔さんの所でしょう」

 妹は、お見通しである。分かっているなら、訊くなよ……政野助は心中で舌打ちをした。

「兄様。女遊びは甲斐性のある殿方にのみ許される道楽。浪人の身の上で、遊郭通いなど、言語道断。少しはお家のこともお考えになってください」

 志津の小言が始まる。政野助は逃げ出したくなった。

 政野助は、浪人の貧乏長屋暮らし。禄の無い身で、妹の内職のおかげで、何とか生計を立てている体たらく。この兄妹にはもう親はなく、しっかり者の妹がいなければ、政野助はとっくに路頭に迷っていたであろう。

「夕顔さんの前は、藤紫さん、その前は江戸蘭さん、その前は……ああもう、きりがない。よくそうコロコロと相手を変えられるものですね。せめて遊びの相手は女郎ではなく、お金のかからない人にしてくれませんか。そしてさっさと身を固めてしまってください」

「女遊びというがな、志津よ。夕顔への想いは、決して遊びではないのだぞ」

「藤紫さんの時も、江戸蘭さんの時も、そうおっしゃっていました」

「いや、今度こそ、本気の本気」

「では夕顔さんと所帯を持って、ちゃっちゃと一人立ちなさってください」

「そう言うがな、志津よ。遊郭の女と一緒になるには、足抜けさせる金がかかるのだ。俺のどこに、そんな金があろう。それより志津よ。おまえはどうなのだ」

 政野助は、志津の小言から逃れるために、話題を変えた。

「兄のことばかり心配していないで、おまえも所帯を持ったらどうだ。おまえも年頃だし、兄の口から言うのも何だが器量よしだし、しっかり者だし、江戸に女は少ないし、降るように縁談はあるであろ」

 まったく、この小うるさい妹が片づいてくれんかなと、政野助は思った。志津の美貌でもって金持ちの旦那の所にでも嫁いでくれれば、左うちわで万々歳なのだが。

「兄様が仕官なさるなり所帯を持たれるなりするまで、志津は安心して嫁入りできませぬ」

 志津はぴしゃりと言い放った。

「おお、志津よ。それではおまえ、いつまで経っても結婚できんぞ。不憫な奴」

「何言ってんです! 兄様は、いつまでも浪人のまま女遊びを続けるおつもりなのですか!」

 志津の目がつり上がり、政野助は身をすくませた。怒る志津は怖い。政野助はついに逃げ出した。

「兄様!」

 なんと不甲斐ない兄。ああ、私が男であれば良かったのに……。あまりに情けない兄に、志津はやるせなくため息をついた。


 さて、そんな政野助と志津の兄妹の元に、ある日、清川千太郎という一人の武士が現れた。

「それがし、清川一族の代表として参った」と、武士は言い、持ってきた風呂敷を脇に置いた。

「清川……とおっしゃると、私どもと何か縁が?」

 清川兄妹は、首を傾げた。武士は頷いた。

「あなた方は、我ら清川一族、清川長兵衛の父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の姪の再従兄弟の子供にあたられる」

「……」

 政野助と志津は顔を見合わせた。関係が、よく理解できない。

「つまり、あなた方ご兄妹は、清川長兵衛の遠縁の親戚にあたられるのです」と、清川千太郎。

「遠縁の親戚……というより、ほとんど他人では?」

 兄妹は呆れて言った。何やら長々しい縁故があるようだが、間に養子が入った時点で、血の繋がりはない。

「いえ、いえ! 他人なんて、とんでもない! あなた方は確かに、我ら清川一門の人間に間違いございません! 名字も清川だし、お顔立ちも清川の系統、これはもう立派に清川一族のお人に違いない!」

 千太郎が、口角泡を飛ばして清川を主張した。

 何なんだろう、この人……政野助と志津はまた顔を見合わせた。

「それで、一体何のご用なのです」

「先程申しました、我ら清川一族の一人、あなた方の親戚にあたる清川長兵衛という男が、参勤交代のお供で江戸にあがった××藩の侍に殺されたのです」

 殺された。物騒な話に、兄妹は息を飲んだ。

「武士が殺されたとなっては、仇討ちは必定。だが長兵衛には妻子がなく、一族で話し合った結果、清川政野助殿、貴殿に白羽の矢が立った次第」

 ぴしり、と武士が政野助を指さした。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」

 政野助は目を白黒させた。

「そんな、他人同然の男の仇討ちに行けと、おっしゃるのですか?」

 仇討ちと一言で言うが、大変なことである。逃げた相手をどこまでも追いかけ、討ち果たす。仇討ちに十年、二十年かかるなんて当たり前である。そんなとんでもない役を押しつけられてはかなわない。

「他人ではございません! 長兵衛はあなたの父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の……」

「他人じゃないですか!」

「どうして、そんな他人同然の人の仇討ちを、兄に頼まれるのです? このような遠縁の者でなく、その殺された長兵衛殿の近縁者の方が、適任なのではございませんか?」

「ううむ。ごもっともなご意見ですが、皆嫌がって……いえ、近縁者は病弱であったり、妻子がいたりして、身動きの取れない者ばかりなのです。とはいえ、このまま仇を捨て置けば武士の恥。そこで遠縁をすがって、参った次第。政野助殿は妻子もなく、身軽な浪人暮らし、お若く体も頑健でおられる。一族の無念を晴らすに、適役かと存じます」

「何言ってんです……嫌な役を押しつけてるだけでしょうが」政野助が喘ぐ。

「冗談じゃないですよ、そんな他人のための仇討ちなんて。なんで俺がそんなことしなきゃならないんだ!」

 予想通りの政野助の反応である。千太郎は、おもむろに持参した風呂敷を開いた。

「これは少ないですが……」

 そう言って広げて見せたのは、貧乏兄妹が見たこともないような大金であった。政野助の喉がごくりと鳴った。

「さらに、見事仇討ちを成し遂げた暁には、空いた長兵衛の旗本の位を政野助殿にあてがって差し上げる所存でございます」

 仕官と聞いて、今度は志津の目が光った。

「いかがでしょう? 仇、目加田刀十郎を討ってくださいませんかな?」

 政野助と志津は目を見合わせた。二人は頷き合った。

「えー……まあ、そうですね。遠縁とはいえ、長兵衛殿はそれがしの親戚にあたられるわけだし、一族の者が殺されたとなっては、武士として捨て置けませんな」

 政野助がかしこまって言うと、清川千太郎は笑顔になった。

「おお、それでは仇討ちしてくださるか!」

「恐縮ながら、お受けいたしたく存じます」と言って、政野助の手はもう金に伸びていた。

「ありがとうございます。ああ、やれやれ」

 清川千太郎は、肩の荷が下りたとばかり、ため息をついた。

「ところで、清川殿。その長兵衛という人は、どうして殺されたのです?」

 志津の質問に、千太郎は一瞬、顔をしかめた。

 長兵衛が刀十郎に懸想していたことは、周辺の者は知っている。男色の夜這いに行って返り討ちなど、みっともなくて言えぬ。まったく、長兵衛の奴も恥さらしな死に方をしてくれたものだ……千太郎は苦々しく思い、一つ咳払いをした。

「ええ、実は……か弱き婦女子が、悪党目加田刀十郎にからまれているのを、通りの者は誰しも恐れて見ぬふりをするのを、一人長兵衛だけが見咎め、注意したのです。すると刀十郎めは逆上し斬りかかってまいりました。しかし、そこは武士清川長兵衛。刀十郎の刃を難なくかわし、悪党をうち負かそうとしたところ、刀十郎は卑怯にも婦女子を盾に取りました。婦女子を人質に取られては、義人長兵衛は手を出せず、哀れ、悪党の刃に倒れたのでございます」

 千太郎は大ホラを吹いた。

「まああ」と、志津は刀十郎の悪逆に柳眉をひそめた。

「ひいい」と、政野助はそんな凶悪な男を相手にすることに青ざめた。

「なんて悪逆非道な男でしょう。許せませんわ。兄様、きっと悪人目加田刀十郎を退治してくださいましね!」

 志津は兄の背を叩いた。政野助は千太郎に尋ねた。

「あのう……その目加田刀十郎という男、腕はどんなものなんでしょう……。強いんですか?」

「塚原流免許皆伝の腕前だそうです」

 政野助は目眩がした。風呂敷の金から手を引く。

「あの、やっぱり、この話……」

 断ろうとした政野助に、清川千太郎はすっくと立ち上がった。

「では、しかとお頼み申しましたぞ。金も受け取られたことですし、まさか武士に二言はありますまい。では、お暇いたす」

 さささっと、逃げるように、千太郎は素早く出ていった。

「清川さああん……」

 政野助が追いすがって通りに出ると、もう千太郎の姿はなかった。


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