第十七章
第十七章
「あ、気がつかれましたか、お武家さま」
目を開くと、自分を覗き込む日焼けした顔と、あばらやの天井が見えた。
「む?」
長兵衛は体を起こした。
粗末なあばらやであった。波の音が聞こえる。開いた戸口から、砂浜が見えた。長兵衛の傍らに立っている男はよく日焼けしていて、漁師のようだ。
「ここは?」
訊くと、男は島の名前を言った。
「お武家さま、裏道の崖から、落ちなすったんでしょう。あそこから落ちた人は、海流の関係で、よくこの島に流れ着くんです」
山賊の多いあの道から落ちる者は少なくないらしく、このあばらやは長兵衛のような漂着者を一時介抱しておく所だという。
「死に損なったか……」
長兵衛は、やるせなく呟いた。
刀十郎殿、すまぬ。拙者は、生き長らえてしまった……長兵衛は、心中で刀十郎に詫びた。
男が、長兵衛に話しかけた。
「お武家さまが続けて三人も漂着とは、珍しいことです。何か争いでもあったんですか? あなたさまの前に漂着したお二方、一人は斬られてもう死んでいて、一人は瀕死の重傷。惨いことです。山賊の仕業ですか?」
「なんじゃと?」
長兵衛は、項垂れていた顔をあげた。長兵衛の前にこの島に流れ着いたという二人の侍。それは、政野助と刀十郎のことではないのか。
「刀十郎殿も、ここに流れ着いたのか?」
同じ場所から海に落ちたのだ。長兵衛と同じく、刀十郎らもここに漂着していても不思議ではない。
「お名前は存じませんけれど……」漁師は首を捻った。
「一人は死んで、一人は重傷と申したな。一人は、生きておるのか?」
長兵衛は、真っ暗ななかに光明が差してきたように思った。
もしや、もしや刀十郎殿は生きて……!
祈りに似た希望が立ち上がる。
「刀十郎殿は、生きておられるのか? どうなんじゃ?」
漁師を締め上げる。漁師は白目をむきそうになった。
「ぐええ」
「ぐええ、では分からぬ! 刀十郎殿は? どこなんじゃ!」
漁師はもがいたが、長兵衛の手は緩まない。
こ、殺される……。漁師はひくひくと、指さした。長兵衛は、漁師が指さした先に視線を転じた。
今まで気づかなかったが、筵がひいてあって、人が寝ているらしく膨らんだ覆いがあった。長兵衛は漁師から手を放した。
この寝ている人はもしかして……。
「ゲェホ、ゲェホ……」
漁師が咳き込んでいるのも構わず、長兵衛は筵に駆け寄った。祈るような気持ちで、そろそろと覆いを取る。
「おお!」
長兵衛の口から感嘆の声が漏れた。彼の表情がみるみる明るくなっていく。
「刀十郎殿!」
そこには、刀十郎が横たわっていた。意識はない。体中に巻かれた包帯には血が滲み、酷い傷である。熱でもあるのか、息が荒い。
でも、生きていた。
生きていた! 生きていた!
長兵衛の心中が歓喜で一杯になる。
「おお、刀十郎殿! 刀十郎殿!」
嬉しさのあまり、刀十郎にしがみついて揺さぶる。ガクガクガクと、刀十郎の頭が振れた。
「こんな重傷人に、乱暴しちゃ駄目ですよ、お武家さま!」
漁師が慌てて長兵衛をとめる。言われて長兵衛はしがみつく手を放した。
「ひどい熱だな……」
刀十郎を見下ろし、長兵衛は呟いた。刀十郎は、生きてはいるが、虫の息だ。刀十郎の容態に、一時喜びに満ちていた長兵衛の表情が暗くなる。
「お医者は、この二、三日が山だと言っていました」と漁師が言った。
二、三日が山……。長兵衛は唾を飲んだ。銃撃を受けた上に、海に落ちて波に揉まれたのだ。死んでしまっても不思議ではない。
「刀十郎殿……」
長兵衛は、刀十郎のぐたりとした熱っぽい手を握りしめた。
「死なないでくだされ……」
刀十郎の熱は下がらないし、意識も戻らなかった。長兵衛は、側にいて祈ることしか出来ない自分が、もどかしかった。
「うおおおおお! 神よ仏よ! 刀十郎殿をお救いくだされ! 薬師如来よ! 我が訴えが届いていようか! 願いを聞き入れてくだされ!」
長兵衛は、滝に打たれながら祈っていた。刀十郎の側にいても何も出来ない彼は、せめて苦行をして神仏に祈願しようと思ったのである。
長兵衛の叫びは凄まじく、島中に響きわたった。夜など、うるさくて島民は寝られなかった。
「あのう、お武家さま……」
漁師が、おずおずと長兵衛に声をかけた。
「ちょっと、その、迷惑なんで、やめてもらえませんか」
話しかけてきた漁師に、長兵衛は噛みつくように怒鳴った。
「なんじゃ! 祈願の邪魔をするな!」
「祈願はいいんですが、黙ってお祈りしてくれませんか」
「これが叫ばずにいられるか! うおおおおお!」
「お武家さま。お願いですから、せめて夜だけでも静かに……」
「うおおおおお!」
もはや、漁師の懇願など耳に入らない長兵衛であった。漁師はとぼとぼと自分の村に戻った。
「うおおおお!」
「……うるさいのう」
響きわたる長兵衛の叫びに、漁師たちはうんざりして顔を見合わせた。どの漁師たちにも、目の下にクマが出来ていた。やかましくて眠れないのである。
「なんであんな、昼も夜もぶっ通しで叫んでいられるんじゃ」
漁師らが迷惑そうに言う。生き埋めから馬鹿力で脱出し、三日暴れ回り、荒海に身を投げても息を吹き返した長兵衛である。体力だけはやたらあった。
「これはもう、早くあの若いお侍に元気になってもらわねえと、わしら、たまったもんじゃねえ」
漁師たちはため息をついた。長兵衛は、どこに行っても迷惑を撒き散らさずにはおれぬ男であった。長兵衛の叫びを止めようと、漁師たちは代わる代わる刀十郎の看病をした。
漁師たちの必死な看病のためか、刀十郎は峠を持ち越した。
島に流れ着いて五日、意識のなかった刀十郎は、ようやく目を開いた。
「やった!」
刀十郎の復活に、島の漁師たちは手を打って喜んだ。
「お武家さま! お武家さま!」
やかましく祈り続ける長兵衛の元に、漁師が駆けていく。
「若侍さまが、目を覚ましました!」
「なに!」
漁師の言葉を聞いて、長兵衛の長くうるさかった祈りが止んだ。
「ああー……静か。やっと、寝られる……」
漁師たちが、静寂に感動する。そんな彼らに見向きもせず、長兵衛はあばらやに走っていった。
「刀十郎殿!」
あばらやに駆け込む。刀十郎が意識を取り戻し、筵のうえに座っているのを見て、長兵衛は飛び上がって喜んだ。
病み上がりのためか、刀十郎は呆然としていて、目の焦点が合っていないようだった。
「おお、刀十郎殿! 気がつかれましたか!」
長兵衛が刀十郎に飛びついた。刀十郎は、目を白黒させた。
「刀十郎殿! 刀十郎殿!」
ぎゅうぎゅう抱きしめる長兵衛。刀十郎は、息が苦しくなった。
「あのう。放してください」戸惑ったように言う刀十郎。
「いやじゃ。もう放さん。もう放さん」
愛しい人が生き返った嬉しさに、長兵衛は刀十郎にしがみついた。刀十郎にとっては、たまったものではない。
「ぐえええ……」刀十郎は必死で息をついた。
「放せというに! あんた、一体、何なんだ。ここはどこだ? あんたは誰だ?」
刀十郎の言葉に、長兵衛はやっと腕を緩めた。刀十郎は長兵衛から逃れた。
「刀十郎殿?」
長兵衛は、刀十郎を覗き込んだ。刀十郎も長兵衛を見返すが、その目の色には怯えや警戒が入っていて、見知らぬ者を見るような感じだった。刀十郎は、長兵衛が分からないらしい。
どうしたというのだろう。刀十郎の只ならぬ様子に、長兵衛は驚いた。刀十郎が長兵衛を忘れるはずがないのに。刀十郎は長兵衛のために散々な目に遭わされたのだから。
刀十郎は狼狽えたように言った。
「ここはどこだ? あんたは何者だ? ……俺は、誰だ?」




