第十五章
第十五章
志津は、茫然自失していた。部屋に一人座り込む彼女の元に、抜刀斉が現れた。
「……志津よ」
志津は、もう本名で呼ばれても不審に思いもせず、抜刀斉を見上げた。
「先生……」
「どうなっておるのじゃ。刀十郎……あいつは、死んだのか?」
「うおおおおお!」
長兵衛が喚いている声が、この部屋まで聞こえてきていた。抜刀斉は、半狂乱の長兵衛の喚きの端々から、刀十郎の死を知ったのだった。
志津はしばし、焦点の合わぬ目で抜刀斉を見上げていたが、やがて頷いた。抜刀斉は身じろいだ。
「……そうか。志津、仇をとったのか?」
刀十郎が志津に負けるとは思えなかったが、抜刀斉は訊いた。志津は首を振った。
「いえ。与五郎が……与五郎が、刀十郎を……」
「うおおおおお!」
「与五郎じゃと?」
「うおおおおお!」
「与五郎が、破門されたのを逆恨みして、私を銃で襲ってきたのです。それを、刀十郎が庇って……」
「うおおおおお!」
「なんと。では、刀十郎は与五郎に殺されたのか?」
志津は頷いた。
「うおおおおお!」
「与五郎め。殺してくれるわ!」
「うおおおおお!」
「先生。刀十郎は撃たれても撃たれても立ち向かっていき、与五郎を斬りました」
「……そうか……」
俯く抜刀斉。刀十郎は、志津を守るために、銃にも立ち向かっていったのだろう。刀十郎らしいと、抜刀斉は思った。
「自分のためには抜けなんだ刀が、志津を守るためには抜けたのか、刀十郎……」
「うおおおおお!」
「あー、もう、うるさいわい!」
抜刀斉は、長兵衛のわめき声に、ついに癇癪を起こした。
「ちょっと、黙らせてくる!」
抜刀斉は怒鳴ると、まだ呆然としている志津を置き、長兵衛が暴れている部屋に向かった。
「やかましいぞ、貴様! 落ち着いて話も出来んわ!」
抜刀斉は長兵衛に怒鳴り込んだ。
「うおおおおお!」
長兵衛はまだ元気に暴れていた。刀十郎を死なせてしまった悲しみ、憤りは深く、止まることがないようだった。
「先生! 助けてください」
へとへとになった門下生たちが、師匠に助けを求めた。抜刀斉は手近な木刀を掴むと、暴れる長兵衛に近づいた。
「うおおお! 刀十郎殿! 刀十郎殿!」
抜刀斉は、暴れる長兵衛の蹴りや拳をひらひらかわし、長兵衛の延髄に木刀を叩き込んだ。
「ぐう……」
長兵衛は白目を剥くと、そのまま倒れ込んだ。静寂が訪れる。
「あー、やれやれ……やっと、静かになった」
抜刀斉は長兵衛を気絶させると、息をついた。
「さすが先生! 我々があれだけ苦労したこの男を、一撃でのされてしまうとは!」
門下生たちが、師匠の手並みの鮮やかさを賞賛した。抜刀斉はふぉふぉふぉと笑ったが、その笑い方には元気がなかった。
「ふぉふぉ……ふぉ……刀十郎……」
抜刀斉は項垂れ、志津が待つ部屋に戻った。
「先生……」
抜刀斉が戻ってみると、志津の瞳は涙で滲んでいた。
「どうした、志津。何を泣く」
「先生……私、私、分からないんです。刀十郎は、人を殺した、極悪人でしょう。なのに、命がけで私を守ってくれました。多くの武士を見てきたけれど、誰も彼も情けなくて、刀十郎が一番武士らしかった。いったい……いったい……」
混乱し、分からなくなって志津は泣いた。抜刀斉は、ポンポンと志津の頭を軽く叩いた。
「志津よ。会わせたい男がいる」
「え……?」
「目を覚ますとうるさいから、気絶している今のうちに見ておけ」
志津は抜刀斉に伴われ、別室に連れて行かれた。そこには、床にひっくり返っている一人の男がいた。
「この人は……」
長兵衛を見下ろし、志津は目を瞬いた。
見覚えがあった。刀十郎と与五郎が墜落していくのを、志津と一緒に見送った男だ。刀十郎の死に志津は呆然となっていて、長兵衛と話をすることはなかった。志津は、どうやって道場に戻ってきたのかも、よく覚えていなかった。道場での長兵衛のやかましい怒号も、上の空であったのだ。
「この人は、一体?」
ようやっと、この男が何者なのか気になった志津。抜刀斉に振り返って問うた。
「清川長兵衛じゃ」
「え?」
志津は、大きな目をパチクリと瞬いた。
「清川長兵衛。生きておったのよ」
抜刀斉が言った。
志津は何度も目を瞬いた。
「え……? 生きていた? 長兵衛が生きていたって……。刀十郎に殺されたのではなかったのですか?」
「男色夜這いで返り討ちにあったものの、気絶しておっただけだったのじゃ」
抜刀斉は苦々しく言った。
「男色夜這い?」
はじめて妙なことを聞いて、志津は眉を寄せた。
「なんなのです、それは」
「知らんのか。志津、おぬし、どうして長兵衛が刀十郎に叩きのめされたか知らずに、仇討ちしようとしておったのか?」
「私が、仇討ちを依頼してきた清川千太郎から聞いたのは、刀十郎が娘にからんでいるのを、通りすがりの長兵衛が助けようとして殺されたということですが……」
「なんじゃい、そりゃあ。大ホラではないか」
抜刀斉は呆れ返った。
「大ホラ?」
「あのな。志津よ、真実はこうじゃ。こやつ、長兵衛はな、刀十郎に懸想しておって、想いを遂げんと刀十郎に襲いかかったんじゃい」
「えええ?」
奇妙なことを聞かされ、志津は目を白黒させた。
「なんのことですか、それ。懸想って……襲いかかるって……」
「男色よ、男色」
「男色ぅ?」
志津の声が裏返った。
「なんですか、それ……」
呆れて呟く志津。抜刀斉も、うんざりしたように言った。
「刀十郎にはそんな趣味はないから、抵抗したはずみで、長兵衛をぶちのめしてしまったんじゃい。息が止まったものだから、皆死んだと勘違いしおったのよ。ところが本当は生きとって、慌てて仇討ちをやめさせに来たんじゃ」
「……」
聞いていた話と全然違う真実に、唖然呆然となる志津。頭の中が真っ白になり、怒りが突き上げてくるまで、少し時間がかかった。
「……なによ、それ。なによそれえええ!」
そんな馬鹿馬鹿しい仇だったなんて。いや、長兵衛は生きていたのだから、仇ですらない。
そんな。そんな、くだらない……。
「ばかあああ!」
志津は叫ぶと、のびている長兵衛の胸を叩いた。
「んむっ?」
長兵衛は目を覚ました。
「ばか! ばか! ばか!」
叫び、ポカポカと長兵衛を叩き続ける志津。
「うおっ。なんじゃ? ええい小僧、何をする!」
文字通り叩き起こされた長兵衛、目を白黒させる。
「うるさーい! よくもこんな、くだらない馬鹿馬鹿しい仇討ちをさせて! 刀十郎は、悪くないんじゃないのよ! なのに、刀十郎、死んじゃったじゃない! ひどいじゃないのよ! 馬鹿! ばか! ぶぁか! 男色なら他でやれよ、馬鹿野郎うううう!」
悲しさよりも、怒りと情けなさで、涙が出てくる。志津は滅茶苦茶に長兵衛を叩いた。
「はうっ! そうであった! 刀十郎殿!」
志津の怒りの声に、刀十郎の死を思い出した長兵衛。
「うおおおおおお!」再び暴れ出す。
「だあああ! もう、いいかげんにせい!」
抜刀斉は、もう一度長兵衛を叩きのめした。
「ばかあっ! ばかあっ!」
志津がまだ叫んで泣く。
「おまえも、こっちに来い!」
抜刀斉は、志津を引きずっていった。
「……う」
長兵衛は意識を取り戻した。暴れ回り、二回も気絶させられ、ひどく痛む。
「おおう……」
呻きながら、身を起こした。
見回す。道場の一室である。縁側から、外の様子が見えた。麗らかな天気。どこからか鳥の声が聞こえるだけの、のどかな静寂。
平和で美しい眺めであったが、この世界にはもう刀十郎はいないのだ。
「刀十郎殿……」
長兵衛は、もう暴れることは無かった。彼はただ項垂れ、男泣きに泣いた。
長兵衛は涙を拭うと、顔をあげた。
「刀十郎殿。一人で逝かせはせぬ。それがしも参りますぞ」
長兵衛は、剣を探した。無かった。昨日、長兵衛が自決を叫んで暴れ狂ったので、刃物の類はすべて隠されてしまったのだった。
「これでは、切腹ができぬ……」
長兵衛は、途方に暮れたように呟いた。しばらく脱力したようにしゃがみこんでいたが、やがて立ち上がった。
切腹ができなくても、刀十郎の後を追わなくては。
長兵衛はふらふらと、縁側から外に出た。
切腹以外で死ぬのなら、刀十郎と同じ死に方が良かった。長兵衛は、裏道に向かった。
刀十郎が落ちたのと同じ崖に立つ。
「刀十郎殿。今行きます……」
崖下の海に向かって言うと、長兵衛は身を踊らせた。




