第十三章
第十三章
「ん?」
視線を感じ、刀十郎は見回した。誰もいない。
「どうした、刀十郎」志津が訊く。
「いや……気のせいだったようだ」
二人は、裏道を歩いていた。険しい道である。道幅が狭く、片側が切り立った崖になっており、崖下では、荒ぶる海が飛沫をたてていた。しかも海風まで吹きつける。
怖い……。
仇が目の前にいるというのに、志津は仇討ちどころではなく、びくびくと歩いていた。志津が怯える様子は大変可愛らしく、刀十郎は頬が緩みそうになるのだった。
なにもこんな道を行かなくても、街道のほうが安全で歩きやすいのだが、刀十郎は裏道を選んだ。気取ってみても、刀十郎とて若い男、美人のまえでいい所を見せたいという誘惑に勝てなかったのであった。このあたりは、志津に見られて稽古に励む道場の門下生らと同じである。
俺という奴は……と、刀十郎は自分の軽薄を情けなく思いながらも、志津の可憐な様にやはり目を細めるのだった。
これで山賊でも現れて、志津の前で退治すれば、どれほど格好良いことか。自分の勇姿を想像して、一人にやける刀十郎。格好良いところを見せれば、志津は惚れてくれるかもしれない。
「!」
突如、刀十郎からにやけた表情が消えた。
「危ないっ!」
叫び、刀十郎は志津を突き飛ばした。同時に、銃声が響いた。
街道をひた走る長兵衛。行けども行けども、刀十郎と政野助らしい若侍二人の姿はない。
「うぬ! どうなっておるのだ!」
長兵衛は苛立ち、叫んだ。
長兵衛の耳に、かすかに銃声が届いた。
「銃声?」
長兵衛は立ち止まり、振り返った。
もしや、政野助か? 一瞬目を見張り、すぐに首を振った。
まさか。政野助は浪人と聞いたが、仮にも武士。いくら仇討ちとはいえ、銃を使うなど……。
しかしそれにしても、刀十郎たちはどこに行ったのか。刀十郎たちに追いつかないことに、長兵衛は首を捻った。人の足で半刻ならば、それほど遠く先を行っているとも思えないのだが……。
長兵衛の脳裏に、道場を飛び出した際、背後から聞こえた抜刀斉の言葉が蘇った。
裏道がどうとか言っていたような……。
街道にいないなら、二人は裏道にいるのだろうか?
長兵衛の全身を、稲妻のようなものが走った。
「今の銃声は、裏道からか?」
街道にいない、刀十郎と政野助。外れから聞こえてきた銃声。
もしや……もしや、もしや!
長兵衛の目が、くわっと見開かれた。
「おのれ、政野助! 敵を屠るに銃を使うとは!」
侍の武器は刀でなくてはならぬ! それなのに!
刀十郎の身が心配になると同時に、銃などを使う卑怯に対する憤りが突き上げた。
長兵衛は、街道を戻った。一路、裏道へ向かう。
「刀十郎殿! この清川長兵衛が参るまで、無事でいてくだされよ!」
いきなり突き飛ばされ、志津は尻餅をついた。轟音に驚いて顔をあげると、刀十郎が血を流していた。
「くう……」
傷を押さえて、刀十郎が呻く。志津は息を飲んだ。
銃撃?
志津は唖然となった。
狙撃されたのだ。
刀十郎が突き飛ばしてくれなかったら、私に当たっていた……。
志津は戦慄した。
「刀十郎! 大丈夫か!」
志津は刀十郎に駆け寄った。彼が仇であることも、志津の頭から吹き飛ぶ。刀十郎は志津を庇ったのだ。
「賊だ!」刀十郎は叫んだ。
刀十郎は、賊が撃ってきたと思った。
刀十郎は歯がみした。なんてこと。銃を使う賊だなんて。
「すまぬ、志津。俺が、こんな道を行ったばかりに……」
「え? え?」
銃声と刀十郎の怪我に動転する志津。そのうえ本名を呼ばれ、志津は混乱した。刀十郎はじっと志津を見つめた。
「こんなことになったのは、俺の責任だ。相手が銃を持っていようと何だろうと、絶対におまえのことは守る!」
刀十郎は強い口調で言い切った。志津は目を見張った。刀十郎は立ち上がった。血に濡れた手で、刀の柄を握る。
守る? 私を守るですって?
志津は混乱した。
「刀十郎? なぜだ! 私は、おまえを仇と狙う者なのだぞ!」
志津が叫ぶ。刀十郎には聞こえない。
俺が、こんな危険な場所に、志津を連れてきた。だからどんなことがあっても、彼女を守るのは俺の責任。
志津を守る。
剣……。
木刀では、銃相手に話にならぬ。
真剣でなくてはならぬ。
志津を守るのだ。
……。
刀十郎は、すらあっと真剣を抜いた。
「ハハハハ……」
あざ笑うような、耳障りな笑い声。男が、陰から現れた。銃を持ったその男に、志津と刀十郎は目を丸くした。
「よう、優男。刀で銃に立ち向かうつもりか?」
男が笑って言う。刀十郎は男に見覚えがあった。
「おまえは、道場にいた悪漢……」
「与五郎!」志津が、男の名を叫んだ。
賊ではなかった。与五郎の逆襲だったのである。刀十郎が感じた視線は、与五郎のものであったのだ。
「貴様、銃を使うとは! それでも、武士か!」
銃を使ったうえに、不意打ちの狙撃。武士の風上にもおけぬ。刀十郎と志津の胸が怒りで熱くなった。二人の憤慨を、与五郎は鼻で笑った。
「俺はもう武士ではない。その女のせいで、道場を破門にされちまったんだからな!」
「だから、銃で狙撃か。逆恨みもいいところだ」
「うるせえ! そのアマは、ぶっ殺さなきゃ気が済まねえ! どけ、優男!」
志津は驚愕した。与五郎が狙ったのは志津であったのだ。刀十郎は、志津の代わりに撃たれたのである。なんてこと。志津は震えた。
刀十郎は退かなかった。黙って真剣を構える。血が垂れる。静かに、呼吸をする。集中力を高めているようだ。
何をする気なのか。刀十郎に志津は唾を飲んだ。まさか、志津を守るために、銃を相手に刀で戦うつもりなのか。怪我をしているのに。
「ハッ……あくまで、女を庇うつもりか。馬鹿め。銃に勝てるわけないだろうが」
与五郎は銃を構えた。
「邪魔だ。死ね」
「やめて!」
志津の叫びもむなしく、与五郎が引き金に指をかけた。
刀十郎が、踏み込んだ。
ドン。
刀十郎の肩から、血が噴き出す。刀十郎は、構わず駆ける。
三発目の弾丸が、刀十郎の腹筋にめり込んだ。刀十郎の足は緩まない。彼はただ真っ直ぐに、与五郎を狙う。飛び散る血。
「いやーっ! いやーっ! やめて、もう逃げて! 死んじゃう!」
志津の悲鳴がこだまする。刀十郎は逃げない。退けば、志津が狙われる。
斬るのだ! たとえ全身穴だらけにされようと、志津を殺そうとするこの男を、斬るのだ!
何発も撃たれても、ひるまず迫る刀十郎に、与五郎の表情から勝利の薄笑いが消えた。
「ち、ちくしょう!」
焦って、四発目を撃つ与五郎。至近距離でありながら、焦りのためそれは刀十郎の急所に命中しなかった。
四発も弾丸を食らいながら、猛然と駆ける刀十郎。着物が、朱で染めたようになる。
痛みが巡り、血が吹き出し、今にも気を失ってしまいそうになるが、刀十郎は「斬る!」の一念のみで体を動かした。殺人への畏怖は、無かった。
「アアアア!」
かけ声一声、刀十郎は飛び上がり、上段から真剣を振り下ろした。
真剣が、美しい弧を描く。迷い無く描かれる、弧。
刀十郎の刃が、与五郎を一刀両断する。
これで、志津を守れた……。
与五郎を殺した罪悪感はなかった。ただ、志津を守り抜けた満足感だけがあった。
安心し、力が抜ける。
刀十郎の意識は絶え、斬りつけた勢いで与五郎とともに、崖下から落ちていく。
「刀十郎!」
「刀十郎殿!」
海に落ちていく刀十郎を、志津とともに見送る者があった。
長兵衛である。
長兵衛は、今一歩、間に合わなかった。彼が駆けつけた時には、刀十郎が血塗れになりながら、銃を持った男を斬りつけていた。長兵衛は、刀十郎が与五郎と崖から落ちていくのを、為す術もなく見送った。
「おお! おお! 刀十郎殿! 刀十郎殿ぉぉぉ!」
「きゃああああああ!」
長兵衛の絶叫と、志津の悲鳴が、裏道に響いた。




