第十二章
第十二章
志津は目を覚ました。
「あ~、よく寝た」
あくびをしながら、起き出す。昼をまわっている。
「寝坊しちゃった……」
慌てて、廊下を走る。飢えた門下生どもの餌を拵えなくては。
道場に駆け込む。
「あっ!」
道場の戸を開き、そこに刀十郎がいるのを見て、志津は声をあげた。寝ぼけていた頭が醒める。思い出した。仇に飛びかかり、返り討ちにあったのだ。
「目加田刀十郎!」
「おう、やっと目が覚めたか」
志津を見て、刀十郎は照れたように笑った。彼は志津が起き出すまで待っていたのだった。
刀十郎のはにかんだような笑顔に、心ならずもときめいてしまった志津。振り払うように、頭を振る。
「ええい、長兵衛の仇!」
志津は刀十郎に飛びかかった。今度は真剣がなく空手なので、刀十郎は難なく志津を取り押さえた。
「くっ」
「未熟者。この程度では、俺を倒せんぞ」
刀十郎は志津から手を放した。
「さて、では行くとするかな」
旅支度を整える刀十郎。
「おのれ、逃げるか刀十郎」
「逃げはせん。おまえが起きるまで待っていたのだ。一緒についてこい」
「なに……?」
「どうせ逃げても追いかけてくるのだろうが。ならば、いっそのこと横におれ。それで、いつでも挑んでくれば良かろう」
刀十郎は不敵に笑って志津に言った。
「おまえのような未熟者、何度でも負かしてやろうぞ」
「なんだとうー」
また飛びかかる志津。そしてやはり、刀十郎に取り押さえられてしまった。
「おのれ」
「はははは」
刀十郎は志津から手を放した。
「先生に暇を告げに行く。その間に、おまえも旅支度を整えておけ」
刀十郎は志津に言うと、師匠の部屋に向かった。
「出立するか。どこへ行く?」
抜刀斉が、微笑んで刀十郎に訊く。刀十郎は少し頬を染めながら、
「故郷に帰ろうと思います」
「そうか。志津を両親に紹介しようというわけじゃな」
「いえそんな先走った……第一、向こうは私を仇と憎んでいるようですし」
「故郷への道中でものにしようという考えなのじゃろうが?」
刀十郎はさらに赤くなった。ものにするとまではいかなくても、一緒に旅をして少しは仲良くなれないかと思っていたのである。
「だったら、格好いい所を見せてやれ。普通の街道ではなく、裏道を行け。あそこは、山賊がウジャウジャおるわ。志津を守って、賊をバッタバッタと斬り倒せ」
「……先生。私は刀が握れないのです」
「おう、そうじゃったな。じゃがおまえなら、賊くらい木刀でも相手になろう。志津に『きゃあ素敵いっ! 刀十郎様ぁっ!』と言われてみたくないか?」
「そんな軽薄な……」と首を振りながら、ちょっと言われてみたいと刀十郎は思った。
「長兵衛! 待て! 待ってくれ!」
目加田刀右衛門が悲鳴をあげた。
「ええい、遅い! 遅いぞ、刀右衛門殿!」
長兵衛がイライラと振り返る。
四十七歳の刀右衛門と、二十八歳の長兵衛。体力に差があるのは当然であった。二人は塚原道場に向かっているのだが、道場の場所を知らぬ長兵衛は、刀右衛門の調子に合わせるしかなかった。
「道場はどこにあるんですかの、刀右衛門殿?」
長兵衛は刀右衛門に肩を貸しながら訊いた。
「場所を教えたらおぬし、わしを置いて先にちゃっちゃと行くであろう?」
「何をおっしゃる。この清川長兵衛が、ご老体を置いていくような、そんな男に見えますか?」
きりっとして、長兵衛が言った。
「そうか。では、道場はこの道をまっすぐ行った突き当たりにあるのじゃ」
「分かり申した!」
長兵衛は刀右衛門を放り出すと、一目散に駆け出していった。
「長兵衛えええ!」
刀右衛門が叫ぶが、長兵衛は振り返りもしない。だが、走り出した長兵衛、いくらもいかないうちに立ち止まった。道が二つに分かれていたのである。
「長兵衛……貴様……置いていかぬという舌の根も乾かぬうちに、放り出していきおって……」
ぜいぜいと、刀右衛門が長兵衛に追いつく。
「刀右衛門殿。道場がありませんぞ。道が分かれておるではないですか。嘘を言いましたな」
「当たり前じゃ。ちょっと試してみたら、これじゃ。やい長兵衛、やはりわしを置いていったではないか」
「で、刀右衛門殿。左右どちらの道に進めばよろしいのかな?」
「貴様、人の話を聞いとらんな……」
ぶつぶつと文句を言う刀右衛門だったが、もちろん長兵衛は聞いていない。旅の肉体的疲労に加え、精神も疲労する刀右衛門であった。
こんな調子であるから、旅はなかなか進まない。塚原道場に辿り着いた頃には、刀右衛門はくたびれ果てていた。
「ほうほう、刀右衛門殿ではないですか。どうされたのかな?」
抜刀斉が、暢気に愛弟子の父、刀右衛門を出迎える。
「はひー……抜刀斉先生。いきなり押し掛けてすまぬが、拙者、疲れ果てもうした。ちょっと、横にならせてくだされい……」
抜刀斉は目をパチクリさせながら、ぐったりした刀右衛門を部屋にあげ寝かしつけた。
「で、貴殿は何者かな?」
居間で長兵衛と対峙し、抜刀斉が誰何した。
「拙者、清川長兵衛と申す。刀十郎殿を訪ねてまいった。刀十郎殿は道場におられるか?」
「ほっ、清川長兵衛!」
弟子、刀十郎が殺したという男色家ではないか。抜刀斉は目を剥いた。
「殺されたと聞いたがの……」
「気絶しただけで、死にゃせんかったのです」
どこに行っても目を剥かれるので、やや憮然となる長兵衛。
「そうか……」
抜刀斉は小さく息をついた。
清川長兵衛は生きていた。抜刀斉の胸にじんわりと安堵が浮かぶ。
良かったなあ、刀十郎。おまえは人を殺してなどおらなんだぞ。
そうなると、刀を持てないという刀十郎のトラウマも、可笑しく思えてしまう。
「ふははは……」
笑い出す抜刀斉に、長兵衛は不審そうな顔をした。
「拙者をご存じということは、刀十郎殿からお聞きになったのですね。するとやはり、刀十郎殿はここに……」
「あいや、惜しい。刀十郎めは志津……おっと、政野助と一緒に、つい半刻ほど前に、ここを出ていってしまったわ」
「政野助と!」
長兵衛は戦慄した。
「二人は、どこに!」
「××藩に帰ると言うとったが……」
抜刀斉が言い終わらぬうちに、長兵衛は駆け出していた。
「おおい! あいつらは、街道ではなく、裏道を行っとるかもしれんぞ!」
抜刀斉が長兵衛の背に声をかけたが、聞こえているのかどうか……。




