第十一章
第十一章
「夜分に押しかけ、申し訳ございません」
刀十郎は、突然の訪問を師匠に詫びた。
「堅苦しいのは変わっとらんの。元気じゃったか」
カラカラと笑いながら、抜刀斉は愛弟子との再会に目を細めた。そんな抜刀斉とは反対に、刀十郎の表情は暗い。
「どうしたのじゃ?」
「実は……」
刀十郎は、長兵衛との一件と仇討ちからの逃亡のことを話した。
「ぎゃーはははは!」
話を聞いて、抜刀斉は腹を抱えて笑い出した。
「先生! 笑い事ではありません!」
他人から見れば滑稽だろうが、当の刀十郎にとっては、笑い事ではない。だが、刀十郎が真剣に困っているだけに、抜刀斉は余計に可笑しさが増した。
「だ、男色痴情の果てに……仇討ち……踏んだり蹴ったり……あー、可笑しい……可笑しすぎるぞ、刀十郎!」
「先生!」
抜刀斉は笑い涙を拭いながら、ふうふうと呼吸を整えた。
「あー、笑い死にするかと思ったわい……」
人の災難で思い切り笑う師匠を、刀十郎は恨めしげに見た。抜刀斉はそんな弟子をニヤリと見返した。
「で? 堅物のおぬしのことじゃから、接吻などしたのは、その男がはじめてだったのではないか?」
言われて、まさにその通りであることに思い至った刀十郎。
「うわあああ!」
刀十郎は、頭を抱えて叫びだした。
「お、俺の……俺の、はじめての口づけが……」
長兵衛の唇と舌の感触を思い出し、刀十郎はのたうった。
「なんてことだ! あれがはじめてなんて!」
「ぎゃーはははは!」
打ちひしがれる刀十郎。笑い転げる抜刀斉。二人が落ち着くまでに、ゆうに一時間はかかった。
「ふうう……」
笑いすぎて体力を消耗した抜刀斉、ため息をついて、刀十郎を見返した。
「で……。ここに来たのは、どういう訳じゃ? 仇討ちに狙われておるのは、承知であろう?」
仇に関係のある場所など、仇討ちの者が探りに来るのは必定。なのにあえて、刀十郎が昔通った道場などにやって来たのは、なぜなのか。
刀十郎は、悲劇的なはじめての口づけのことからやっと立ち直った憔悴した顔をあげた。
「私は、刀が抜けなくなりました」
刀十郎は言った。
「はじめて、人を殺してから……刀で、人を殺してから……私は、刀を握れなくなったのです」
「ほう?」
抜刀斉は驚いたように弟子を見た。
「武士が、刀を抜けなくなった……。これがどういうことか、分かりますか? 武士として、こんな状態は……死んだも同然です」
助けを求めるように、刀十郎は師匠を見返した。
「先生。私は……どうしたらいいですか?」
「ふううむ……」
抜刀斉は腕組みした。不審そうに首を傾げる。
「人を殺したとはいっても……襲われたから仕方なく殺したわけで……そんなに気に病むことはないのではないか?」
「理屈ではそうです。でも、私が人を、それも同じ武士を手にかけたのは確かです。それに、襲われたといっても、殺されそうになったわけでなし……」
「だがおまえ。返り討ちにせねば、男に貞操を奪われておったのだぞ。それでいいのか?」
「人の命と私の貞操……どちらが重いかなんて、分かり切ったこと……。女でなし、傷物になるわけでなし……男色くらい……」
「じゃがおまえ、口づけだけで大騒ぎしておったではないか」
「うっ……」
「嫌なもんは嫌なんじゃろうが。しょうがあるまい。どうしようも無かったんじゃい。忘れてしまえ」
カラカラカラと笑う抜刀斉。陽気な師匠を見ていて、刀十郎は心が和むのを感じた。危険を覚悟して、ここに来たのも無駄ではなかったな……。
刀十郎は、そっと刀の柄に触れてみた。やはり、手が震えた。
目加田刀十郎……。
志津は、夜具にくるまり眠れぬ夜を過ごしていた。
探していた仇が現れたのである。
「なんか、話に聞いた人と、随分違うようだけれど……」
窮地の志津を救った侍と、清川長兵衛を殺した極悪非道の仇。別人ではないかと思うほど、差がある。しかし、塚原道場に縁のある目加田刀十郎が、二人もいるとは思えない。
すると、あの若侍は、やはり人を殺して逃げている男なのだ。
「悪い人なのかな……」
志津は、はじめて理想の武士を見つけたのに、それが裏切られることが悲しくなった。
私は、あの人を討たなければいけないのだろうか。助けてもらっておいて、恩を仇で返すようだ。けれど、討たなければ、仇討ちは終わらない。
「どうしたらいいの……」
志津は、頭を抱えた。
朝になった。志津は、一睡も出来なかった。ふらつく頭で、寝床から出る。
「先生。おはようございま……」
師匠の部屋に挨拶に行き、志津は目を見張った。誰もいなかった。
抜刀斉の部屋に一泊したはずの、刀十郎の姿もない。
「先生と客人はどこに?」
志津は、朝稽古をしている門下生に尋ねた。
「客人が出立されるというので、先生はお見送りにいかれたよ」
「えっ!」
志津は目を剥いた。せっかく見つけた仇、刀十郎が、逃げていってしまう!
今を逃せば、もう見つけられないかもしれない!
志津は走った。
道場の門前まで来た抜刀斉と刀十郎。抜刀斉は、地面に転がっている不良門下生たちに、目を丸くした。
「どうしたんじゃい、おまえたち」
「うう……先生。その、侍にやられました……」
与五郎が呻きながら、刀十郎を指さした。刀十郎はポンと手を打った。
「そうそう、忘れていました、先生。昨夜この男が、少年を虐めていたので、叩きのめしてそのままにしていたのです」
「昨夜?」
抜刀斉は眉を寄せた。昨日は、門下生たちは暗くなる前に帰らせた。夜、道場に残っていたのは、住み込みの志津くらい。すると虐められていた少年というのは、志津のことに違いあるまい。
「おまえたち……」
抜刀斉は、与五郎たちを冷ややかに見下ろした。
「政野助に悪さをしおったな?」
師匠に睨まれ、与五郎は慌てた。
「いえ、そんな。悪さをされたのは、こっちです。畜生、あの女、子分を全部叩きのめして……」
抜刀斉の瞳が細くなった。
「ほう……おまえ、どうして政野助が女だと知っている?」
抜刀斉が低く言う。口を滑らせた与五郎、青くなった。
「女?」刀十郎が首を傾げる。
抜刀斉は刀十郎に構わず、与五郎を睨み付けた。
「以前、政野助が乱暴されて駆け込んできたことがあったが……おまえらの仕業だったというわけか……」
合点した抜刀斉、与五郎の鳩尾に蹴りをくれた。
「ぎゃっ」
「出て行け、おまえら全員! 破門じゃ! 二度と来るな!」
「先生!」
与五郎は鳩尾の痛みを押さえて、師匠に取りすがった。破門にされては、浪人になってしまう。
「先生! どうか、お許しを! 出来心です!」
「やかましいわ! ぶちのめされたいか! 早う、出て行け!」
与五郎たちは、抜刀斉に蹴り出された。
「うううう……」
痛みに呻き、破門されたことに呆然となる与五郎ら。
「ちくしょう……ちくしょう……」
武士としての前途が閉ざされ、与五郎は悔しさと怒りに震えた。
「あの女のせいで……くそう、あのアマ、ただじゃすまさない……」
与五郎の目に、逆恨みの憎悪の炎が燃えた。
「では、先生」
「うむ。達者でな」
刀十郎の腰には、大小の真剣の他にもう一本、木刀が下げられていた。仇討ちに追われる身で真剣が抜けぬのでは、命が危ない。抜刀斉が、刀十郎に木刀を持たせたのである。木刀なら、刀十郎は構えることができた。
「目加田刀十郎!」
鋭い一声が飛び、まさに道場を出立しようとしていた刀十郎は、足を止め振り返った。見ると、昨夜助けた少年が、仁王のような形相で真剣を構えて立っていた。
明るい所で志津を見て、刀十郎は彼女の美貌に目を見張った。真剣を構え表情鋭い侍姿の志津は、震えの来るような硬質の美しさであった。
なんと美しい少年か。志津の凛々しさに唖然となり、刀十郎は慌てて首を振った。
男を美しいなど……清川長兵衛に毒されたか。刀十郎は自分の頭を小突いた。
「どうした、政野助。真剣など持ち出して」
抜刀斉が、志津の剣幕に目を丸くした。志津は刀十郎を睨んで言った。
「目加田刀十郎! 私は、清川政野助と申す者! おぬしが殺した清川長兵衛は、私の父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の姪の再従兄弟の子供だ! 仇、刀十郎! 神妙に、報いを受けよ!」
志津の叫びに、刀十郎と抜刀斉は目を丸くした。
「父方の曾祖父の従兄弟の……何だって?」面食らう刀十郎。
「父方の曾祖父の従兄弟の孫の養子の姪の再従兄弟の子供だ!」
「なんじゃそれは」呆れる抜刀斉。
「とにかく、刀十郎、おまえは長兵衛の仇! 仇を討たせてもらうぞ!」
志津は踏み込んだ。
迷ってはいけない、と志津は思った。これは、仇なのだ。助けてもらった恩だの、理想の武士像だの、ちょっと男前だのに、躊躇ってはいけない。情に流されては、仇など討てなくなる。
志津は、意識的に自分を燃え立たせた。
志津の真剣に、刀十郎は飛び退いた。すぐさま、志津は切り返す。早い、と刀十郎は思った。慌ててかわす。袖が、ばっくり切れた。
いかん、避けきれぬ。
刀十郎は木刀を抜いた。真剣を振り下ろす志津。刀十郎は紙一重でかわすと、志津の懐に入り、木刀を叩き込んだ。
「あ……」
急所を外してくれたものの、見事な一撃を食らい、志津の体から力が抜けた。真剣が地面に落ちる。
「おっとっと……」
くずおれる志津を、刀十郎は抱きとめた。
「驚いたな。こんな少年が、私の仇討ちとは」
気絶した志津を抱き上げ、刀十郎は呟いた。
仇討ち。長兵衛の親族。刀十郎は、人を殺したということの重さを感じ、心が沈んだ。
それにしてもこの少年……いやに柔らかいな。
刀十郎は、抱き上げた志津の感触を心地よく思い、また慌てて首を振った。
抜刀斉は、刀十郎に志津を部屋に運ばせた。
「なるほど、仇討ちか……政野助が男装して道場入りしたのは、そういう事情であったのか」
部屋に寝かされた志津を見下ろし、抜刀斉は合点がいったと頷いた。刀十郎は、志津の介抱をしながら、ため息をついた。
「こんな、まだあどけないような子供が仇討ちとは……この少年を返り討ちなど、とても出来ぬ。といって、大人しく討たれることも出来ぬ。どうしたらいいのか……」
途方に暮れる刀十郎。抜刀斉は、刀十郎と志津を見やり、ニヤリと笑った。
「何を困ることがある。これで、皆が幸せになれるではないか」
「え?」刀十郎は、師匠の言葉に不審そうに顔をあげた。
「少年少年というがな、刀十郎よ。この政野助は、実は女なのだ」
「ええ!?」
刀十郎はびっくりして目を剥いた。
「女が、男装して道場入りしていると? 馬鹿な」
たしかに、女のような美少年ではあるが……。
「なんなら、確かめてみるか?」
抜刀斉は、竹刀の先で、ちょいと志津の着物をまくってみせた。サラシをまいた胸の谷間が覗き、刀十郎は慌てて目を逸らした。
「絶景絶景」
抜刀斉がカラカラ笑う。
「先生。もう分かりましたから、彼女の着物を元に戻してください」
真っ赤になって、刀十郎が言う。抜刀斉は竹刀の先で、志津の着物を整えた。
「女か……」
刀十郎は、改めて志津を見た。
「なんてことだ。女なら、なおさら返り討ちになど出来ぬ……」
ますます途方に暮れる刀十郎。抜刀斉はニヤニヤしながら、
「別嬪であろう」
「そうですね……」素直に頷く刀十郎。抜刀斉は口笛をふいた。
「ほうほう、女に無骨なおまえも、志津の美貌は認めるか」
「志津……彼女の名前は、志津というのですか」
「興味を示しおったな。武士だの何だの言っても、男は所詮、美人には弱いものよの」
からかわれても、その通りなので言い返せない刀十郎。
「志津が気に入ったか。では、ものにしてしまえ」
「え?」
ぎょっとして、刀十郎は師匠を見た。
「美男美女で似合いの二人ではないか。夫婦になってしまえ」
「なんてことを仰るのです。これは、仇討ちの娘ですよ」
「だったらなおさら、無理矢理でもものにしてしまえ。与五郎のようなヨタ者が無理矢理というなら許せんが、おまえなら大丈夫。志津も幸せになれるだろうよ。おまえも、仇などとられずに済むし。万々歳。ものにしてしまえ」
「……」
刀十郎は、面白そうに言う抜刀斉を、唖然と見返した。
「無理矢理ものにするなんて……そんな……」
「不甲斐ない男じゃのう……女の一人もものにできんでどうする。嫌がるようなら、与五郎から助けてやったろうと恩でも着せればどうじゃい。俺が助けなんだら、与五郎に乱暴されておったのだぞお~。だから言うことをきけえ~。ううっ、分かりましたあ……。ああ、刀十郎、憎い奴。でもでも、手込めにされてから、私の胸に灯る熱いものは何なのだろう。はっはっは~おまえはもう、俺無しではいられぬのだあ~」
楽しそうに一人芝居をする抜刀斉。刀十郎は呆れた。
「先生。私をからかっておられますね?」
「うむ」
「先生!」
「はははは。だが、半分は本気じゃ。おまえ、志津と一緒になることを真面目に考えてみい。こいつは気丈で料理もうまいし、悪くないぞ」
カラカラ笑って、抜刀斉は出ていった。刀十郎は、志津と二人きりになった。
「どうしろというのだ……」
刀十郎は、睡眠不足からくうくう眠り続ける志津を眺め、立ちつくした。




