第十章
第十章
「政野助が女だったとはなあ」
口元を歪めながら、与五郎は言った。
与五郎ら不良門下生たちは、道場の離れでニヤニヤと話し込んでいた。
「どうします、与五郎殿。女のくせに道場入りするとは、とんでもない奴だ。正体を皆にバラしますか」
「それじゃあ、何にもならぬ。俺たちはせっかくあいつの秘密を握ったのだ。女だとバラされたくなかったら言うことをきけと、脅すほうが良かろう」
あくどい相談をする与五郎たち。
「言うことをきけとは、どんなことを……?」
子分どもが、目を輝かせて言う。与五郎は舌なめずりをした。
「決まっておろうが。あんなことやこんなことをして、楽しむのだ」
悪漢たちは、顔を見合わせほくそ笑んだ。
「男ばかりのむさ苦しい道場通いが、楽しくなりそうだな」
与五郎はニヤリと笑った。
無人の道場。志津は、門下生らが帰ってから、抜刀斉の稽古を受けていた。
「違う。刀の持ち方はこうじゃ」
抜刀斉が志津の構えを正す。
あ……この持ち方は……。志津はハッとなった。それは、抜刀斉が注意した包丁の持ち方と同じであった。
「先生。私に家事をさせたのも、稽古の一環だったのですね」
やっと、抜刀斉の教育が分かった志津。抜刀斉はふぉふぉと笑った。志津は、雑用ばかりと思ってふくれていたことが、恥ずかしくなった。
「どこからでも、かかってまいれ」
「はいっ」
抜刀斉に飛びかかる志津。抜刀斉は、それをひらりひらりとかわす。志津の息があがる。抜刀斉は、志津の足を引っかけた。志津は転んだ。
息を切らし、汗を滴らせる志津に、抜刀斉は言った。
「駄目じゃな。力のないおぬしは、身軽さが武器。なのに、動きに今ひとつキレがない。無駄な動きが多すぎる。だから簡単に、足を取られるのだ」
「はあ……」
志津は項垂れた。どうしたら良いのだろう。すると抜刀斉は、竹刀を放った。代わりに、真剣を取り出す。
「先生?」
「これよりわしは、真剣で参る。さすれば、おまえの動きから甘えが削ぎ落とされるであろう」
抜刀斉はそう言うと、真剣で放り投げた竹刀を斬った。竹刀が、スパリと一刀で二分される。刀の切れ味に、志津は息を飲んだ。
「来い、政野助」
「……」
真剣を持つ達人に、志津の足は怯えてすくむ。
「では、こちらから参る」
抜刀斉が踏み込んできた。真剣が振り下ろされる。
「ひっ」
志津は慌てて飛びすさった。
「それ、それ!」
抜刀斉の真剣が、右に左に舞う。志津は必死でよけた。
「ほう、なかなか良いぞ!」
抜刀斉はニッと笑うと、志津の胴を峰打ちした。
「うっ」
腹を押さえ、うずくまる志津。そんな彼女を見下ろし、抜刀斉は真剣をしまった。
「本日は、これまで」
「ありがとうございました!」
志津は、道場を出た。夜風が、稽古に火照った体に心地よい。志津は、血豆の浮いた自分の手を見つめた。
今なら、兄様にくらいなら、勝てるんじゃないかしら。
剣の腕が磨かれていく充足感に、志津は微笑んだ。
仇を討って江戸に帰ったら、兄様をとっちめてやるんだから。
「よお、政野助」
彼女の笑みは、かき消された。
ニヤニヤと笑いながら、与五郎とその仲間たちが現れたのである。志津を待ち構えていたようだ。襲われたことを思い出し、志津の背に鳥肌が立った。
「……」
志津は、男たちを睨み付け、身構えた。竹刀を握る。
「おうおう、女のくせに、竹刀なんか握ってどうしようってんだい?」
馬鹿にしたように言う。男の言葉に、志津は凍り付いた。
そうだ。この悪漢どもに、正体が露見したのだ。女だと知られてしまったのだ。
せっかく、抜刀斉先生に稽古をつけてもらえるようになったのに……。志津は、歯を噛んだ。
「まあ、そんな顔するなよ。黙っててやってもいいぜ」
「なに?」
「この前の続きをさせてくれたらな」
いやらしく笑いながら、男達が近寄ってくる。志津の総身に嫌悪感と寒気が走った。犯させろというのか。
「冗談じゃない!」
「つれないことを言うなよ。女だってバラされても、いいのか」
そう言って、ニヤァリと笑う。男たちは、志津を脅迫しているのだ。
「くっ……」
恐怖と嫌悪で一杯だった志津の心に、怒りが芽生えた。なんと見下げ果てた連中であろう。婦女子を脅迫して、慰み者にするなど。それが武士のやることか。
許せない。
怒りで、熱くなる。それは、悪漢どもの卑怯さへの怒りだけではなかった。武士への憧れを打ち砕かれた失望の怒りもあった。
自分が男であったらと、幼い頃から私が焦がれていた武士というものが、こんな腐れたものであったとは。武士とは、こんなにどうしようもないものであったのか。
義士清川長兵衛を切り捨てた目加田刀十郎。金を持って女と遁走した兄。だらしない道場の門下生たち。そして、女を脅迫するこの連中。
どいつもこいつも……!
志津は、夢を壊された失望と怒りに震えた。
「……貴様らのオモチャになど、されるつもりはない……」
志津は低く言って、竹刀を構えた。女が構えたので、男たちは嗤った。
「おや? いいのか? 女だってバラされて、道場を追い出されても」
叩きのめす!
志津は駆けた。
「ぎゃっ!」
志津は、手前の男の鼻っ柱を打ち叩いた。
「こいつ!」
仲間が一人やられたので、男たちが殺気立つ。男らが一斉に飛びかかる。志津は、男たちの間をすり抜けた。稽古の成果である。
志津は、男たちの背後に回ると、次々急所を打った。
「ぎゃあ!」
男たちの悲鳴があがる。
与五郎は、志津の意外な腕前に驚いた。
こいつ、女のくせに……。
志津が、残った与五郎に挑みかかる。
「うわっ」
慌てて体をかわす与五郎、急所は免れたものの、一撃を受けた。痛みと同時に、怒りが走った。再び、竹刀を与五郎に振り下ろす志津。与五郎は竹刀を掴み、手前に引いた。
「あっ」
竹刀につられて、志津がよろけながら与五郎の懐に入る。与五郎は志津を掴み上げた。
「ううっ」
腕をねじ上げられ、志津が悲鳴をあげる。さすがは頭格、与五郎は雑魚を倒した志津を羽交い締めにしてしまった。動きが取れなくなったら、身軽さが武器の志津はどうしようもない。
「よくもやってくれたな、このやろう……」
与五郎は、志津を締め上げる腕に力をこめた。志津は呻いた。
「もう、ただ犯すだけじゃ済まさんぞ、貴様……。腕の一本もへし折ってくれる……」
与五郎が、怒気を含んで低く言う。与五郎の生臭い息が志津の白く細い首筋にかかり、志津の腕に痛みが走った。
腕を折られる。犯される。
志津は逃れようと藻掻いたが、どうすることも出来なかった。
痛い。悔しい。稽古をしても、やはり私は男にはかなわないのか。
「大の男が、まだいたいけな少年に、何をしている?」
声をかけられ、与五郎と志津は同時に振り向いた。
月明かりに照らされ、一人の美貌の若侍が立っていた。
「なんだ、おまえは」
与五郎が若侍に言った。
「なんでも良かろう。子供を放せ」
「うるさい! おまえに関係ないだろう!」
「関係なくとも、こんな場面で大人しく引っ込んでは、武士がすたるわ」
若侍の言動に、志津は目を見張った。
武士……。
「野郎」
与五郎は、志津から竹刀を取り上げた。志津を突き飛ばすと、与五郎は若侍に襲いかかった。若侍は、与五郎の竹刀をひらりと避けた。
「くそ!」
与五郎が竹刀を振り回す。若侍は舞うようにかわす。
凄い……。志津は、息を飲んだ。稽古を積んだ志津を負かすほどだから、与五郎とて弱くはない。なのに若侍は、あしらうように与五郎の攻撃をかわす。
「野郎、逃げてばかりか!」与五郎が怒って怒鳴る。
「では」
若侍は言うと、与五郎の足を引っかけた。与五郎は無様に転倒した。若侍が攻撃に転じようとすると、与五郎は地面の土を掴んで、若侍の顔に投げつけた。
「くっ」
卑怯な反撃にひるむ若侍。与五郎はその隙を逃さず、立ち上がり、若侍に竹刀を振り下ろした。
「うっ」
竹刀を受け、若侍が声を漏らした。
「おらおらおらあ!」
狂ったように竹刀を振るう与五郎。
「どうした、優男! 腰の刀は、飾りかあ!」
嗤う与五郎。志津はやきもきした。どうして、刀を抜かないのだろう。刀を抜けば、与五郎なんかやっつけられるのに。
若侍は与五郎をぎっと睨むと、与五郎が振り下ろす竹刀をはっしと右手で掴んだ。続いて左手で、与五郎の竹刀を握る手に手刀を叩きつける。
「ぐっ」
与五郎の手から竹刀が離れ、それは若侍の手に渡った。若侍は竹刀をぐっと握りしめると、「イヤアッ!」とかけ声と共に、与五郎の脳天を打った。
「……」
与五郎は、声もなくくずおれた。
若侍は、倒れた与五郎の上に、竹刀を放った。ふう、と小さく息をつく。
「大丈夫か?」
若侍が、志津に爽やかな笑顔をむける。
志津は、若侍の格好良さにボウッとなった。
弱きを助け、悪しきを挫く……。
この人、サムライだ……。
単に助けてもらったという恩からだけでなく、若侍の武士らしい振る舞いに、志津は心が熱くなった。この若侍は、志津が理想に描いた通りの武士であった。
武士に失望しただけに、若侍の登場は、志津の胸を打った。
「あ、ありがとうございました!」
志津は、若侍に恐縮して頭を下げた。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 貴殿が助けてくださらなかったら……。あ、あの、お名前は?」
志津は、すがるように、若侍に名を問うた。
「目加田刀十郎と申す」と、若侍は名乗った……。




