第10話
「さらに言えば、西側諸国の見解ではロシアが一方的にウクライナへ侵攻した事になっているが、ロシア側から見れば事情は全く異なる。元々ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州にはロシア系住民が多く住んでおり、彼らはウクライナ政府から差別的な扱いを受けていたんだ。そのためドネツク州とルガンスク州に住むロシア系住民は、ロシアによるクリミア併合直後の2014年4月にウクライナからの独立を宣言した。」
「ロシアによるクリミア併合が、どうして独立宣言の引き金になるんですか?」
「クリミアは彼らと同じ立場だった・・・つまりロシア系住民が多数を占めていたんだ。」
「それなら納得できます。それでウクライナは彼らの独立を認めたんですか?」
「当然認めない。だから両者で武力衝突が発生した。独立派の思惑とすればクリミアと同じようにロシアの介入を期待しての行動だったが、事態は彼らの期待通りには進まなかった。」
「ロシアは動かなかったんですね。」
「そうだ。今回の場合とは異なり、ロシアは直接的な軍事行動を起こさなかった。」
「それではウクライナが勝利したのですか?」
「ところがそうもならなかった。」
「?」
「結局どちらかが一方的に勝利する事は無く、ズルズルと紛争が続いたんだ。そして紛争が始まってから5ヶ月後の2014年9月に一旦停戦合意がなされたのだが、実際に合意が守られる事は無く、失敗に終わっている。これを見たドイツとフランスの調停により、2015年2月にドイツ・フランス・ロシア・ウクライナ・ベラルーシの5か国で改めて停戦合意が成立した。合意の調印式にはプーチン大統領を含めた5か国の首脳が全員参加している。実はこの合意にはウクライナ政府がドネツク州とルガンスク州に高度な自治権を保証するという条項が存在する。」
「ロシア系住民がウクライナ政府から不当な扱いを受けないための条項ですね。」
「その通り。これは停戦合意の中で最重要と言える条項であり、それ無しではロシアの合意などあり得なかった。ところがウクライナ政府はこの条項を無視し、ドネツク州とルガンスク州への高度な自治権を認めなかった。」
「それならば約束を破って戦争の原因を作ったのはウクライナの方じゃないですか!ウクライナは一体何を考えているんですか?」
「これは厳然たる事実だ。今回ロシアはまずドネツク州とルガンスク州の独立を承認し、独立国であるドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の要請に基づき、派兵を行った。」
「何故そんな事をする必要があるのですか?」
「そうする事で、この軍事作戦は国際法で認められた集団的自衛権の行使になる。つまりロシアはきちんと手続きを踏んでいるという事だ。」
「!」
「ロシアから見れば、国際法を順守しているロシアと国際合意を守らないウクライナの、一体どちらが正しいのかという話になる。」
「確かに」
「要するに今回のロシアによる軍事行動の正当性は、『ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を独立国として認めるか否か』にかかってくる。両国を独立国として認めれば、ロシアの主張する集団的自衛権が成り立つし、認めなければウクライナが主張する通り、ウクライナ領土への侵攻という事になるが、ロシアとウクライナとでは、その部分の基本認識が決定的に異なっている。
「それがロシアとウクライナの最大の外交的争点なんですね。」
「と同時に、これは『国家とは何か』という普遍的なテーマへの問いかけともなっている。国家の条件というのは、実ははっきりしていない。分かっているようで分かっていないんだ。」
【ミンスク合意】
ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州に住むロシア系住民が、ウクライナからの独立を求めて起こした紛争(ドンバス戦争)を停止させるための多国間合意。
「ミンスク議定書」と「ミンスク2」という二つの合意が存在する。
【ミンスク議定書】
2014年7月から9月にかけてロシア・ウクライナ・ドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の四者に調整役として欧州安全保障協力機構(OSCE)が加わった形で停戦協議が行われ、同年9月5日に即時停戦の合意がベラルーシのミンスクで成立した。
実際には合意成立後も紛争が収まる事はなく、ミンスク議定書は結局機能しなかった。
【ミンスク2】
欧州安全保障協力機構(OSCE)の調整による停戦合意が失敗した結果を受けて、新たな仲介役としてドイツとフランスが停戦協議に参画した。その結果、2015年2月12日にロシア・ウクライナ・ドイツ・フランス・ベラルーシの首脳がミンスクに集まり、即時停戦に関する合意書の調印を行った
合意の条項には、ロシアがドネツク人民共和国・ルガンスク人民共和国の国家承認をしない見返りとして、ウクライナがドネツク州とルガンスク州に特別な地位を与える事になっていたが、実際にはこの条項が守られる事は無く、2021年10月にウクライナ軍が独立派の支配地域をドローン攻撃するに至り、ミンスク2も崩壊し、2022年2月21日にロシアはドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国を国家として承認した。




