シーン12 駅前 その一歩が
運命の水曜日
駅前は人ごみ
その女性に伸ばす手は
そして翌日、水曜日の夕刻。
坊屋と宇神の二人の姿は駅前にあった。
視界には、誰かを待っているのか、ちらちらと時計を気にしつつ佇む紗和子の姿が。
ここまではいつも通り、坊屋にとっても想定内だった。
しかし、その日はいつもと違うことが二つあった。
一つは近所の公園でイベントが開催されているため、駅前はいつもの倍くらいの人出でごった返しているということ。
もう一つは紗和子のすぐ隣に、彼女と親しげに話す、年配の女性がいるということ。
「え、何この状況」
坊屋はあまりにも人が多いこの状況に心底驚いていた。
うっかりぼーっと立っていると、定期的にやってくる人の波に飲み込まれそうである。
「あの、えっと、やっぱ別の日に……」
「何を怖気づいてるんだ」
宇神が横からガシっと坊屋の両肩に手を置く。
「この日を逃せば次は一週間後だぞ」
「わかるよ、わかってるよ! ……わかってるよ」
坊屋の最後の一言は、ずいぶんと小声になってしまった。
それをあえて無視して、宇神は満面の笑顔を見せる。
「さて、彼女が帰ってしまわないうちに。行くぞ」
宇神は掴んでいた坊屋の肩をぐっと押し、半ば無理やりに前に進ませる。
「本当に! 本当に加減しろよ!」
「ああ! 駅前の君とお近づきに! せい!」
パシーン!
宇神の振った扇子が坊屋の背を打ち付ける。
相変わらず当たりは強い。
思わず一歩、坊屋は前によろけたが、それを勢いに次の一歩は自らの意思で踏み出した。
一歩、一歩。
正直ぎこちなくはあるが、坊屋は紗和子の方へと歩いていく。
とにかく近づいて、今気づいたばかりのように手を挙げて、挨拶をして……
真っ白な頭の中でなんとかそれだけを考えていた。
紗和子が、自分を見つけ、小さな驚きを見せる。
坊屋は笑顔で右手を上げる。
その時だった。
紗和子の表情が、更なる驚きで上書きされる。
風を巻き起こしつつ、坊屋のすぐ横を何かが通り過ぎていったのだ。
それは、こんな人込みの中だとは考えられない程の猛スピードでやってくる一台の自転車だった。
坊屋の脇をすり抜けた自転車は、目の前にいる紗和子に急接近。
佐和子は恐怖に目をつぶりながらも体をねじって自転車を避ける。
間一髪、自転車は誰とも接触せず走り去っていった。
が、今度は避けた勢いで紗和子が隣に立っていた女性にぶつかってしまう。
女性のほうも自転車に驚いていたのだろう、注意が完全にそっちに向かっていたのか、紗和子に押し出される格好のまま車道へとよろめいた。
「きゃああっ!」
紗和子の叫び声があたりに響いた次の瞬間。
「づあっ!!」
坊屋の伸ばした手がなんとか間に合い、女性の腕を掴む。
ぐいっと引き寄せ、体全体で女性を抱きかかえる坊屋。
直後、車道を一台の乗用車が通って行った。
「うおおおおいいー! 危ねえ!」
驚きのあまり何も言えず、肩で息をするばかりの女性に、紗和子が縋り付く。
「母さん! 大丈夫?!」
母さん?
女性から手を離した坊屋は、紗和子と並ぶ女性の顔を交互に覗き込んだ。
女性は体を震わせながら、必死で頷いている。
「よかった……」
女性を抱きしめる紗和子。
しばらくして、はっと気が付いたように紗和子が坊屋のほうを向いて頭を下げた。
「坊屋さん! 本当にありがとうございます!」
「ありがとう。助けられました」
何とか落ち着いたのか、女性の方からも声がかけられる。
坊屋は両手に首まで振って答えた。
「あ、いや!大したことは! 全く!大丈夫、つか、大丈夫ですか?」
強く引っ張ってしまった腕を坊屋は気にしているようだったが、女性はこう返した。
「おかげさまで大丈夫。ありがとう、あなたは命の恩人ね」
「本当に。坊屋さんがいなかったらどうなっていたか……母を助けてくれてありがとうございます!」
いえいえ、いやいや。
降り注ぐお礼の言葉に坊屋はひたすら恐縮するばかりだった。
向かい合う三人がお互いに頭を下げあう。
しばらくそんな状態が続いた時、駅の方から少年の声が聞こえてきた。
「姉ちゃん? え? 母さんも? 何、どし……あ」
振り返った坊屋と目が合った少年は、ピタリとその動きを止める。
「あ」
少年に送れることコンマ数秒。
坊屋も少々間の抜けた声を出して、少年の顔を見つめた。
間違いない。
以前公園でクッキーをかっさらっていったあの少年である。
まずい。
少年の顔には明らかな狼狽が浮かんでいたが、それ以上に坊屋の処理能力はパンクしていた。
全員が黙ったこの一瞬、坊屋は現状からの離脱に全力を尽くした。
「あ、あの、俺、また今度!」
「あ、坊屋さん!」
紗和子の声を背に、坊屋はその場を走り去った。