真夏の二十三時
真夏の夜、むわっとした熱気の中で家に帰ってきた僕は、コンビニのロゴが入ったビニール袋を鳴らしながら靴を脱いだ。パタパタと仰ぐ服の隙間へとリビングから漏れ出た冷房の空気を感じながら廊下を抜け、僕は彼女に「ただいま」と声をかけた。
「おかえり、どこ行ってたの?」
「コンビニ。煙草も吸ってたけど」
「そうなんだ。いいもの持ってるじゃん」
視線を向けられたビニール袋をわざと大きく揺らして、僕はソファに座り込んだ。
座れるようにスペースを空けてくれた彼女は袋の中見が気になるようで、それは僕なんかよりもよっぽど気を引くものらしい。嫉妬なんて高等なものではないけれど、僕はそれがなんとなく嫌だと思った。
だけど、僕もきっと似たような状況ならそうするのだろうな、なんて僅かにでも思ってしまうあたり、どうにもこの感情を口に出そうとは思わない。
伸ばした手から無造作に引っ張り出したパピコを半分に割って、僕は天井を仰いだ。
外と内との急な温度変化から来ているのだろう頭痛を務めて無視しようとしても、それはこびり付いて離れようとはしなかった。
ちゅー、と勢いよく握りつぶされたパピコを見て彼女は笑顔を浮かべるものの、僕はそれが純粋な喜びから来ているのを知っていた。何が面白いのか分からないけれど、僕からそれを聞いたなら、彼女は頬が落ちそうなほどに甘ったるい言葉を囁いてくれるのだろう。
「パピコ余ってるよ?食べないの?」
今のだって、普通に一本余ってるから声をかけてくれただけで、分けてほしいとかそういうのではないに違いない。僕は君に食べてほしいのに。
「もう少ししたら食べるよ」
「そうなんだ。今日はね……なんと、じゃーん!」
机に置かれた缶ビールが二つ。水滴を滴らせながら置かれたそれを、彼女は「さささ」と指先を合わせて僕の方に押し出してきた。鈍い音を立てて机の上を滑ってくる缶ビールを見て、僕は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
本当に、この子は。僕からの物はあまり受け取らないのに、自分からだとそんなことを気にしないのだから、僕の立場なんて在って無いようなものだ。
残業込みでちょっと人より働いていて、それでどうにか中流の生活をさせてあげられてる。けど、長く働いている分、彼女と一緒に居る時間は削れている。
パピコの言い訳というわけではないけれど、僕には僕の気持ちがあるんだということも知っておいて欲しかった。
彼女の真似をするようにパピコを差し出した僕に、彼女は小さく笑って受け取ってくれた。
「なぁに、元からその気だったの?」
「……まぁ」
逃げるようにプルタブを空けてビールを呷った。
不味い。でも良い不味さだ。
やけに大きくエアコンの低い音が耳に届く。僕の隣に座っている彼女の方が物凄く暑くなったような錯覚が僕の勘違いではないと思いたい。それほどまでに心地良い感覚であった。
「今日はどうしたの。ちょっと気分落ちてる?」
「んー……、ちょっとね」
「私は君だけの掌中の猫に、なりたいんだけどな」
「それ言うなら、掌中の珠だよ」
「だって猫の方が可愛いじゃん」
「ははっ、それはたしかに」
手の中の珠。最も大切にしているもの。として使われる掌中の珠だなんて言葉をどこで学んできたのだろうか。
横でプルタブが開いた音を聞きながら、僕はまた缶ビールに口をつけた。
酔い痴れる僕に彼女は距離を縮め、お互いの肩が重なり合った。
空調でひんやりとした彼女と、未だに仄かに汗ばんた僕の体温が混ざっていくのを感じるたびに幸福感が高まっていく。
「ねぇ、夏祭り行きたいな」
「そうだね、また行こうか」
真夏の二十三時の事だった。