四ヶ月前のエンカウント②
「うひゃあぁぁぁぁーっ! び、びびっびっくりしたっ!」
夢花が静玖の手を引きながら階段を駆け下りてくる。
出口のところでけつまづいてヘッドスライディングした。受付の人が目を丸くしている。
「だ、大丈夫?」
「んもう、篠宮さん何やってるの! 気持ちはわからなくもないけどっ!」
夢花が鼻の先を赤くして涙目で叫ぶ。両手を上下するのも忘れない。
「ご、ごめんなさい、とっさに……」
「あぁ、ここお気に入りだったのに来にくくなっちゃったよ! 『さくら色☆Lips』も全部観られなかったし」
しゅん、と俯く静玖に、慌てて夢花がフォローする。
「あ、ま、でも、あいつらナンパか狩人だからちょっとスッキリしたかも」
ふたりが出口近くで話していると、エレベーターがチン、と音を立てた。ガラスの向こうで睨んでいるのは先ほどの男性客二人組だ。
夢花が警戒していたのか、すぐに気づいた。
「やばっ……篠宮さん、逃げようっ!」
慌てて走り出す夢花。続く静玖。
後ろのほうで二人組が何か叫んでいる。
「ちょ、お前ら、ちょっと待てコラ!」
受付の人が、さりげなく飛び出した二人組の前に机を斜めにして、大音響とともにすっ転んだ。静玖が一瞬振り返ると、受付の人が右手を身体の下でしっし、と軽く振って、二人組に見えないように片目をつぶった。
夢花は自分で思っているより大事にされている常連らしい。
「!」
思わず笑顔になった。
☆
秋葉原の深い夕方。
わずかに残った残照の紫赤色の光に照らされ、それが統一のないビル群本来の色とあわさると、街全体がアクセントの強いローズ系の深いグラデーションに彩られる。
拮抗するように、原色の電飾が明滅しながら存在を主張する。
アスファルトには、ローズと原色がモザイクのように照り返す。
秋葉原という街が、一日の終わりと始まりを告げるように息をつく瞬間だ。
ささいな奇跡のような風景の中を、人混みをぬって夢花が走っていく。時々後ろを振り返りながら。
静玖は微笑みながら後をついていく。
夢花の全力は静玖の半分にも満たない。
早くも肩で息をついている夢花を静玖が涼しい顔で追い越していく。
☆
「ちょっと……待って……篠宮さん……」
湯島聖堂の横を走り上り、お茶の水橋を渡り、錦花公園まで。
そこそこ全力で、と言っても途中からは夢花の伴走をしていた静玖が、自動販売機で水を買っている。
「はい」
遊具に背中を預けて声も出ない夢花。座り込む。
辺りはもう夜になっている。
「ありがと……」
んぐんぐと水を飲みだしたが、息が続かずにうなだれる夢花である。
「怖かったね、篠宮さん……」
「ごめんなさい、私のせいで……」
「……いいよいいよ。怖かったけど、何だかすごく楽しかった」
再び水を飲む夢花。
「今日はありがとね。何だか色々と吹っ切れた気がする」
「……?」
「覚悟も決まったし」
「覚悟?」
静玖が首を傾げる。
「うん、戦う覚悟……私、アリオスプロダクションに、祥子ちゃんに怒ってる。私ごときじゃ何にも出来ないけど、でも、諦めて逃げるのはもっと嫌だよ。私たちはちゃんとアイドルをやりたいだけなんだから」
夢花がペットボトルを軽く握って、なにか自分に言い聞かせるように頷いた。
「……どうするの?」
「私もアイドル目指す。アイドルにはアイドルで、同じステージに立って正面から戦わなきゃ意味がないと思う」
「また随分突飛な考えね」
夢花が静玖に向き直った。
「……私ね、小学生の時に一度アイドルを目指して訓練所に通ったことがあるんだけど、何というか、前に前にって出ていくことが苦手で、すぐに挫折しちゃったの。でもやっぱり未練があって。だから二軍の端っこで、アイドルカフェでもバイトしてたんだけど」
静玖はじっと夢花を見つめている。
「だから、アイドルをまた目指すためのきっかけを探していたっていうのも半分あるかな。まあ、もう半分は復讐だから不純な動機なんだけどね」
「いいんじゃない、別に」
「……あの、篠宮さんは、今日楽しかった?」
「……うん……」
静玖は顔を伏せて応えた。
「間奏の時に叫んだよね。あれって……」
問いかけるような夢花の視線を避けて、公園の奥に見える繁華街のほうに静玖が少し歩いた。背中を見つめる夢花。
「……誕生日」
「……うん」
「今日は、最低な誕生日だと思ってた。でも……楽しかった。あなたの言った通り、ストレス解消になったのかもしれない」
静玖は振り向いた。力が抜けたように微笑む。
「少しだけ、いい誕生日になった。誘ってくれてありがとう」
少し遠くにネオンサインがきらめき、それを背景にはにかんだように静玖が微笑んだ。
夢花は真顔になって見つめていた。
静玖が校舎裏で刺すような視線で空を見上げていた時とライブで一瞬険しい顔で叫んだ時の表情と、そして今の遠慮がちな笑顔と。
それは全然、本当に全然違っていたけど、不思議なことにわずかのズレもなく重なった。
これだ。
たぶん、これが篠宮さんなんだ。
夢花は見とれながら、静玖が受け入れてくれたことを実感した。
よくわからないけれど、色んな感情がわっと押し寄せてきて、少し泣きそうになった。
ひとりだよね、私たち。ひとりだよね。
なんにもできないよね。
さびしいね。
でもね、でも、でもね、ひとりじゃないんだよ、私たち。
同時に、先輩の諦めたような怒っているような笑顔が浮かんだ。笑っているのに一瞬で遠ざかっていく。
去り際に、先輩が一瞬だけ、甘やかすように微笑んだのが見えた。
夢花はニッと歯を見せて応えた。
――先輩、アイドルって難しいですね。
「篠宮さん!」
混乱したまま、夢花はいきなり静玖の元へ駆け寄った。静玖の両手を取る。
「私と、私と一緒にアイドルやろう!」
「え……」
「正直ね、復讐するって言ったって出来っこない、私なんかじゃ勝負出来ないってどこかで思ってた。だけど、今びびっと来たの! 篠宮さんならやれる!その可愛さと雰囲気は絶対に人気出る! 祥子ちゃんに勝てる!」
突然の告白に静玖がしどろもどろになる。
「ちょ、ちょっと……」
「お願い! 私に協力して! 楽しそうだったでしょアイドル、盛り上がった時ストレス解消出来たんでしょ? 私とユニット組んで、悪い事務所と戦おう! それだけじゃないよ、アイドルとして、一緒に楽しい毎日を送ろうよ! 私たちは“ひとり”なんかじゃないよ!」
静玖が眉根に皺を寄せる。
「いい加減に……」
「お願い、静玖ちゃん!」
夢花が両手をつかんで頭を下げた。
突然の名前呼びにカーッと赤くなる静玖。夢花の手を振りほどき、キッと険しい表情になった。
「調子に乗らないで。これ以上くだらないこちょを言うにょなら、その舌引き千切りゅっ」
静玖が盛大に噛んだ。
慌てて口を押さえ、さらに赤くなる静玖。
「……帰る」
言うなり、鉄棒脇に置いてあった鞄を拾い、そそくさとその場を離れていく。
夢花は、公園を出たその姿が見えなくなるまでポカンと静玖を見送ってから、呟いた。
「か、可愛い……」