四ヶ月前のエンカウント①
午後六時の秋葉原は人の波でいっぱいだ。そのはざま、ガード下を渡ったあたりを静玖はきょろきょろ見渡していた。
自分の手を引きながら、どこだかわからない目的地へまっすぐに夢花は向かっている。
周囲には様々な衣装を着こんだ若い女の子たちが、きらびやかな誘い文句を機械的に発しながらチラシを配っている。
秋葉原ってこんなこところだったっけ?
電気工作やPCを趣味にする人の街という通り一遍の認識しかない静玖にとって、秋葉原という街は最も縁遠いゾーンに属する。爆弾を前にして緑と赤の配線のどちらかを切らない羽目になったら、静玖は勘でしか判断できない。
「篠宮さんはアイドル好き?」
夢花が笑顔で振り返った。
「好きも何も、まったく知らない」
無表情な静玖の返事は冷静。
「ええ? 珍しいね。私は小さい頃からアイドルが大好きだったよ。ついこの間までアイドルカフェでバイトしてたぐらい」
「アイドルカフェ?」
静玖が首を傾げる。
メイドカフェ……とかいうものと同じような?
さすがに静玖にしても、そのくらいの知識はあった。何が面白いのか知らないが、満面の笑みを浮かべて「もえもえきゅーん」とかキンキン声で叫ぶらしい。あれは何かの合言葉と聞いた。
夢花は静玖の疑問に気づかないまま、明るく説明している。
「普通のカフェなんだけど従業員がアイドルでね、アイドルって言ってもプロじゃないけど、接客しながらステージでパフォーマンスもする、すごく楽しい所だよ」
「でもあなた、『エルナト』に入ってたんでしょう?」
「ぐ……んん……二軍の端っこだよお。そんなの運営にケアなんかしてもらえないし。私は修行も兼ねて、『シャーミヤ』ってところで働いてたの」
「店?」
「そう。でもついこの間、そのお店が潰されちゃったの。で、それが今朝の話の続きにつながるんだけどね、お店を潰したのは祥子ちゃんの事務所アリオスプロダクションだったの。私以外でも二軍の子は勉強になるから、結構そこで働いてたんだけど……アリプロに所属する子がそこからデビューする流れになってもめちゃって。怒ったアリプロが強引なやり方でお店を閉店まで追い込んだの」
静玖は全然聞いていない。
呼び込みに声をかけられて、ギッと睨みつけて威嚇している。
「アリプロは敵対するひとを徹底的に潰す事務所なの。私もバイトしてたからだけど、潰せって、祥子ちゃんは命令されてたんだよ。……ねぇ、聞いてる?」
キャラクターショップのウィンドウに飾ってあるクマのぬいぐるみに気を取られていた静玖が振り返った。無表情。
「聞いてる」
夢花は一瞬不審そうな顔をして、少し声のトーンを落とした。
「それがアリプロが黒幕だって言った理由なの。……許せないよ。アリプロも、あんなひどいやり口をする祥子ちゃんも許せない」
静玖はわずかに表情を動かす。
眼に険が灯った。
「この後どうするの?」
夢花は唐突に立ち止まって自分の手のひらを見た。
「……出来ることなら見返したい。私の居場所を壊した復讐をしたい。だって、二軍の端っこなんて何もできなくって、何もしてもらえなくて、ようやくほかで場所を見つけられて、それで潰されるなんておかしいよ……だけど、私ごときに何が出来るんだろうって、どうしていいか分からない」
「所有権を侵害された地主の怒り。ゴーゴリ?」
「え? な、なに?」
理由がつけばマウントを取れる位置は、誰も見逃さない。
誰もがひたすら優位に立ちたい。
自分は誰かより“上”なのだ。
それが必死に積み上げたものでなくても、本当にささいな違いでも、マウントを取って幻でしかない勝ちを取りたい。
……とても、みじめだ。
「全員ぶちのめせばいいじゃない。竹刀で」
静玖は静かな怒りがこもった声で呟いた。
「無理だよ! というか、それじゃ解決したとは言えないよ!」
「悪事を働いた人間には必ず何かしらの天罰が下る、かどうかは分からないけど、被害者であるあなた自身が動かなければその可能性も生まれないと思う」
「それはそうだけど、具体的に何をしたらいいのか……」
「それは私にはわからない」
「ええ……」
夢花は途中までの慌てた様子から、しょぼん、とうなだれた。
☆
夢花が立ち止まった。
「ここ?」
秋葉原の奥まったあたり、神田明神にほど近い雑居ビルを静玖は見上げた。
ただの雑居ビル。
静玖は小首を傾げた。
「そう! 今日の演目は確か……」
夢花が、ビルの入り口の小さな照明がついた案内板を見ながら応える。
アイドル……? だったはずだけれど、雑居ビル?
似つかわしいと思えないが、当世はそういうものなのか。
三階の窓の一部に「アイドルカフェ プリンセス・ガレージ」と丸文字で書かれた白い看板が見えた。どうやら本当にここらしい。
不審さがぬぐえない静玖に、夢花が満面に喜びをのせて微笑んだ。
「やったね! 今日は『さくら色☆Lips』の日だったよっ!」
なにがやったね! なのかはちょっとわからない。
四人乗りくらいの小さなエレベーターの手前に、これまた小さな受付がある。
夢花がそこで入場料を払おうとして財布を出したのを見て、静玖も財布を取り出そうとしたが、夢花に止められた。
「今日は私が無理に誘ったからおごるね」
明るく言いつつも微妙に顔がひきつっている。
横目で見ると、入場料はワンドリンクで千五百円。
そこそこ高い。
夢花にしてみれば、次回来る分に充てたいだろう。
しかも静玖は、借りになるようなことは極力遠ざけている。
「いや、出してもらう筋合いはないでしょう」
聞くなり、夢花が首をぶんぶんと振った。
「違うよっ! 今日は篠宮さんの誕生日なんだから、大したあれじゃないけど、プレゼントだよっ!」
静玖は思わず夢花の顔をまじまじと見た。
先ほどの「ちょっとキツイかな……」という色は消え、本気で静玖に好意を渡したい素直な表情だった。
胸が痛んだ。
いや、痛んだ、というのは少し違うだろう。
恥じたのだ。
――静玖は、道場で竹刀を振る人をたくさん見てきた。
初めてなのに勘のいい人、まだ始めて間もないのにうまい人、長く通っているのに一向にうまくならない人。様々な剣道との向き合い。
もちろん、このご時世で剣豪になろうとする人はいない。竹刀を振ること自体に意味はないのだ。
それでも、剣道を通して何かをつかもうとする人には、共通していることがある。
昨日できなかったことを今日できるために、考える。
昨日より少しだけできたことを、喜ぶ。
そして、目標が見えないほど遠くにあっても、折れない。
少しずつ、にじり寄るように、壁を越えようとする。
――素直で、実直。
結局は、そういう人が強く、うまくなる。
確かに静玖は剣道の才に恵まれているようだったが、そんなものは前進をやめない「素直さ」の前ではアドバンテージにはならない。
およそ人間にとって、才能と呼べるものは「素直」しかない。
静玖の真ん中にはそういう確信があった。
むしろ、「素直」をつかむために自分は剣道をやっているようなものだ。
その意味で、剣道とアイドルという比べることさえできないジャンルだったが、夢花という女の子は、確かにアイドルに対して、「素直」で「実直」なのだ。
まっすぐに、一途に。
自分が知らず彼女を軽く見ていたことを卒然と悟って、静玖は恥じた。
ゆっくり、深く、静玖は頭を下げた。
「ありがとう。甘えさせてもらうわ」
夢花は嬉しそうに微笑んだ。
「えへへっ! 誕生日なんだから、楽しんでねっ!」
☆
さて、プリンセス・ガレージの中である。
狭い店内は九割ほど埋まっていて、前のほうには常連らしきサラリーマンや学生、ひらひらの多いアイドル風の衣装を着た女性、お揃いの法被を着たコアユーザーなどがひしめいていた。
まだ開始時間になっていないので、みなそれぞれに談笑している。二、三度夢花に手を振ってくる人もいて、夢花がニコニコと手を振り返している。
静玖は後ろの壁にもたれるように、ドリンク片手そんな人たちを眺めていた。夢花がその隣で会場の説明をしてくれている。
「ここはアイドル専門のライブハウスでね。メジャーデビューを夢見る色んな新人アイドル達が毎日ライブをやってるの。ここから羽ばたいたアイドルも多くて、登竜門的な場所として有名なんだよ」
「すごい人数……」
静玖が少し硬い声で呟いた。雰囲気に気圧されている。
「今日の演目は、『さくら色☆Lips』っていう大学生中心のグループで、もうメジャーデビューが決まってるの。たぶん、今日は報告会を兼ねてるんじゃないかな」
本来の意味での「お礼参り」だ。
場内が期待でふくらんで、騒がしくなっている。夢花が前のほうを見渡すように、少し大きい声で説明を続ける。
「『プリンセス・ガレージ』から出る久々のアイドルだからね、こんなに人が集まってるけど、ほとんどの新人アイドルは客席ガラガラだよ。厳しい世界なんだよね」
折しも、影マイクが響いた。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。間もなく、『さくら色☆Lips』のステージが開始となります。応援のみなさまは前列にお集まりください」
歓声。
満員で身動きも取れないと思えるのに、会釈しながら秩序だって場所を入れ替わっていく人々。その合間を縫って、夢花が静玖の手を引っ張って、後方の中央あたりにするりと入り込んだ。
とっさのことで静玖はされるがままだ。
狼狽しているうちに場内の照明が落とされ、ステージ上が鮮やかな色の照明で飾られる。アップテンポな曲が大音量で流れ始める。
「SAY!」
「SAY!」
影マイクの叫びに前列の観客が大声で応える。
「さくらァ!」
「YES!」
「Lips!」
「サイコー!」
「お前らの本気をみせてくれ!」
前列で一糸乱れぬコアユーザーが、不思議な踊りとこれまた一糸乱れぬコールを繰り広げる。
「人造ファイヤファイボワイパー! タイガータイガータタタタタイガー! チャペアペカラキナチャペアペカラキナ! ミョーホントゥスケ! ワイパー! ファイヤーファイヤー虎虎カラキナ! チャペアペファーマー海女海女ジャスパー! 虎タイガー! 虎タイガー! 人造繊維イエッタイガー!」
??
静玖には聞き取れなかった。
「タイガー」「虎」は聞こえたので、曲に「虎」が出てくるのだろう……出てくるのか?
ステージには、ピンクのグラデーションで統一された衣装を着た六人組のアイドルが、左右の袖から出てくる。
クロスしながら自分の位置に収まると、観客のボルテージが一気に上がる。
最初の大波に合わせて、夢花が両手を振り上げながら、ピョンピョンと飛び跳ね始めた。
「きゃーーっ!」
静玖は顔に出さないように驚く。
これは、どう反応するべきだろう??。
ステージ上では「さくら色☆Lips」が歌い始める。
二人一組が三つ、ユニゾンを見せながらアシンメトリーで動く。一見派手には見えないが、モダンダンスで動きの“幅”を合わせるのは至難の業だ。違う方向を向いているのに、上げた腕の角度まで全員が同じ、キレイに制御されている。
言葉にしにくい、並々ならぬ修練を感じさせた。
制御と言えば、ステージ前方の集団が一糸乱れぬ踊りを披露している。
彼女らを見に来たハズなのに、ステージを一顧だにしない統率の取れた動きだ。しかも、時に合いの手を入れるために、全員がどの形からも一瞬で伸びあがり、そして再び動きの流れに戻る。
彼らの踏切りには、アスリート的ではないが、ある種の美しさを見て取れるような禁欲的な意志があった。
静玖がぐるりと客席を見渡すと、前方の集団だけでなく、笑顔で手拍子するサラリーマン、アイドル好きの女の子、なぜか照れ笑いをしながら手を振っている学生らしき男の子、後ろのほうでは、腕を組んで真剣に観たり耳元に手を当てて会話している業界関係者らしき人たちもいる。
ああ――。
それぞれが、それぞれの意志のために、ここにいる。
押し付けるのではなく、もらうだけではなく与えるだけではなく、ただ、必要だと思うことのために、同じ方向を見ている。
静玖は真顔のままステージ上に視線を移す。
激しい動きを続けるアイドルたちは、決して通り一遍の笑顔ではなく、確かに楽しさを感じさせてくれるような笑顔で踊っていた。
もちろん、もっと上はいる。
うまいかと言ったら、まあまあ、という評価なのだろう。だから、地下アイドルだ。
静玖にもそれはわかる。
……けれど、うまくなくても一生懸命な歌声、わずかの間をあわせてアイコンタクトしながらフォローし合う彼女らには、ここを主戦場と決めた人だけが持つひたむきさがあった。
静玖は、剣道の大会の決勝戦で、一度だけ似たような感情を味わったことがある。
互いに膠着して、互いにつま先でわずかずつにじり寄るように近づいていく、あの緊張も勝敗も超えた、自分が“開かれた”瞬間があった。
そこは“何も怖くない”場所だった。
照明の効果もあって、文字通りキラキラと輝いて見える彼女らは、本当に可愛らしい。
自分もあんなに美しくなれる瞬間があるのだろうか。
「ほら、篠宮さん! 篠宮さんもテンション上げて! 盛り上がろう!」
隣には笑顔で声を張り上げる夢花。
その声で我に返った静玖は、片手を上げようとするが、恥ずかしさに思いとどまる。
まだ、それほどにノレてない。
だが、右足だけ、軽くリズムを取っているのに、静玖も気付いていない。
曲の終了と共に、大歓声が巻き起こった。
リーダーらしき小柄な少女がマイクを握っている。
「どうもー! 初めましての方は初めまして、高学歴正統派直球アイドル、」
全員が両手を広げて声をそろえる。
「さくら色☆Lipsです!」
「いま聞いていただいたのは……」
リーダーのMCが続いている中、夢花が静玖に小声で話しかけた。
「どう? 篠宮さん、すごいでしょ」
「うん……?」
「ステージ上の可愛くて素敵なアイドルとね、観客が一緒になれる、この空気感が最高なの。篠宮さんも、盛り上がればもっと楽しくなっていくよ」
「え……でも、何だかついていけなくて」
夢花が茶目っ気を見せながら、なだめるように言う。
「合わせる必要はないんだよ。心を解放して、嫌なことは全部忘れてステージ上に集中するの。ストレス解消にだってなるんだから」
「ストレス……」
「最近、篠宮さんは沈んでる感じするから」
「……まあ、それはいつものことじゃないかしら」
あははっ、と夢花は笑った。
自虐的なジョークと思ったらしい。
雰囲気に酔っていたのか、思わず静玖の口元も笑みの形になった。
「次の曲いっちゃいまーす! 一緒に楽しみましょう!」
「さくら色☆Lips」のリーダーの声に、観客席はさらに大きい歓声を挙げた。
ロック調のポップスがかかる。
ステージを見つめる静玖の表情が、アイドルたちの笑顔につられて、さらに緩んでいく。
リズムを刻みながら、すこしずつ片手が挙がっていく。
と、その手を夢花がつかんで一緒に高く手を差し上げた。
あくまで控えめにだが、夢花に合わせて静玖も跳び始める。
曲が間奏に入ると、「さくら色☆Lips」のメンバーが、バラッと分かれて客席に降りた。
観客たちは彼女らと少し間隔を空けるように素早く統率の取れた動きで移動する。
リーダーが声を挙げた。
「さあ、一緒に踊ろう!」
両手の動きのみの簡単な振り付けを、観客にうなずきながら踊るメンバー。観客たちは同じ動きでシンクロし始める。静玖も夢花もその動きを真似る。
踊りながら、静玖は天井の照明を見上げた。
ふと隆之の昨夜の言葉を思い出す。
「アイドルなんて先々を見透かせないバカな子たち」
静玖の顔から笑顔が消える。
父親は何もわかっていない。
本当に、何もわかっていない。
一気に怒りがこみあげてきて、静玖は叫んだ。
「聞こえない!」
折しも二番に変わるところのブレイクの大音響にかき消されたが、夢花と周囲の観客には聞こえたようで、驚きの表情で静玖を見た。
が、静玖は意識していないようで、また笑顔に戻って盛り上がり始める。
その姿を少しの間、夢花は不思議そうに、何か少し切なそうに見つめた。
☆
次の曲の前、報告会を兼ねている「さくら色☆Lips」がちょっとしたイベントを用意し始めている。
息を切らして興奮冷めやらぬ夢花が、静玖に囁いた。
「ね、楽しいでしょ!」
一気に興奮したためか、紅潮したまま脱力して眼を見開いている静玖は、茫然と夢花を向く。
夢花が少し言いよどんだ。視線を斜め下に落とす。
「あのさ、篠宮さん、間奏の時にさ……」
そこへ若い男性客が近づいて、夢花の話を遮った。
若干チャラい感じの二人組。
「地下アイドルの応援とかバカじゃねーの。あいつらなんて普通に口説けるだろ」とか、空気を読まないで言いのけるような、「狩り」に来ている男たちである。
「いやー、盛り上がってたねぇ。君たちめちゃくちゃ可愛いけど、もしかしてどこかのアイドル?」
「あ、いえ、私たちは……」
夢花が最低限の愛想で拒んだが、まあそんな奴らなので気にしない。
見開いたままの眼を彼らに向ける静玖。
「アイドルじゃないの? もったいないよ、そのビジュアル! よかったらさあ、この後俺と……」
「狩り」に来ている彼らにしてみれば、まだ色々知らないだろう女子高生。
いけると踏んだのだろうが、相手が悪かった。
同じ程度には空気を読まない静玖が、チャラいセリフを遮り、左側の男の顔面にストレートを撃ち込んだ。
「うぎゃっ!」
アスリートらしいキレイなストレートである。