プロローグ
「なあ、まずいんじゃないのか?」
辺りが暗くなり始めたので、ガストンがいった。
「はやく戻らないと獣が出るぞ」
「火を焚けば寄ってこない」
ジョンはかれの方を見もせず、冷たい口調で呟いた。しかし、ガストンはゆずらなかった。
「獣だけじゃない。山賊もいるかも──」
「殺せばいい」ジョンはさえぎった。
「でも──」
「夜に森をうろつく方が危険だ、嫌ならひとりでいくんだな」
ガストンは下を向いて黙りこくって、そのまま観念したように馬から降りた。
そんな二人を尻目に、レオポルドは馬をつなぎ止めて置くための杭を地面に打ち付けている。
「死体と一緒に一夜を明かすことになるとはな」
ハンマーを振り下ろしながらレオポルドは楽しそうにいう。
「明日までにおれ達も死体になってなけりゃいいがな」ガストンは嫌味っぽくいった。
「どういう意味だ」レオポルドは尋ねた。
「わからないのか?もう夜になる。火を焚くなんて自殺行為だ。山賊が明かりを見つけてこっちへ来るかもしれない。この死体の匂いで獣も寄ってくるかもしれない。最悪の状況だ」
「おまえのその声のでかさでも、山賊が集まってくるかもな」
ジョンはそういいながら火の準備をしている。
ガストンはぶつぶつと何かをいっているようだったが、ジョンは黙殺した。
レオポルドはその様子を見てにやつきながら、馬の背に乗っている死体を引きずり下ろした。
落ち葉の上に乱雑に投げ出された死体は、ぶるん、と無表情に体を揺らし、濁った瞳をかれらに向けた。
「よく見りゃいい女じゃないか」
「死体にいいもクソもあるかよ」
ガストンは顔をしかめた。
レオポルドが口元を緩めながら死体の胸をまさぐりはじめると、ガストンはいった。
「何してる、正気か」
「こいつ、人気の娼婦だったんだろ?最近ごぶさたしてたもんでね」
「やめろ、気色悪い。わざわざアソコの冷たい死体とやらなくても、“長い丘城”に帰れば懸賞金で好きなだけ娼婦と寝られる」
ジョンがいった。
「それもそうか、我慢するよ。ちくしょう、はやく帰りたいもんだ」
脱ぎかけたズボンを履き直して、レオポルドは寝る準備にとりかかった。
周囲にはすっかり夜のとばりがおりて、月もない夜空が広がっていた。かれらを照らすのは炎だけだったので、ガストンは横になりながら不安になった。木々の揺れる音や、遠くで聞こえる獣の遠吠え、冷たい夜の空気、横たわる娼婦の死体、レオポルドの大きないびき、その全てがかれの睡眠を妨げた。
「眠れないのか?」
ガストンは突然声をかけられたことに驚き、素早く起き上がった。しかし、声の主がジョンだとわかり安堵した。
「ああ、ジョンか。脅かさないでくれよ」
一瞬で吹きでた額の脂汗を拭いながらガストンはいう。
「眠れないなら少し散歩にでも付き合ってくれないか」
ガストンは小さく頷き、膝に手を置いて立ち上がると、寝相の悪いレオポルドを跨いで、ジョンとともに暗い森の中に入って行った。
「おまえはまだ三ヶ月目だよな」
たいまつを片手に、歩きながらジョンが尋ねた。
「ああ。もう何十人もの死体を見てきたけど、まだ慣れないよ」
ガストンが答える。
ジョンは、悲しんでいるのか喜んでいるのかわからない表情を浮かべていった。
「おれもそうさ。いつまで経っても、慣れるような仕事じゃない」
「意外だな。あんたは人を殺す時、一切表情を変えないじゃないか」
「麻痺してるだけだ。慣れとは違う」
「それでも耐えているんだからたいしたものだよ、コツみたいなものはあるのかい?」
ガストンの問いかけに、ジョンは口を閉ざした。
そのまま沈黙が続き、何かまずいことでも聞いたのかとガストンは思ったが、考えても何もわかりはしなかった。
気がつけば焚き火の明かりは遠く小さくなっていたが、ジョンは歩みを止めなかった。
ガストンは少し怖くなり、前を歩くジョンにいった。
「なあ、どこまで行くんだ?そろそろ疲れたし、戻らないか?」
それを聞いたジョンは足をぴたり、と止め、ガストンの方を向いた。
「そうだな」
やけにあっさりとした答えに、ガストンは拍子抜けした。
たいまつの火がジョンの顔を照らしている。
いつもと何ら変わりのない、無表情で何を考えているのかいまいちわからない顔だ。
いつもと変わらない────はず。
なのだが、ガストンは妙な違和感を覚えた。
ジョンはガストンをじっと見つめている。
ぴくりとも動かない。
だがガストンは何も言い出せなかった。
緊張感が走っていた。
おそらく、ガストンはその緊張感の意味をわかっていたはずだが。
どれくらいそうしていただろうか。
永遠のように感じられた静寂は、一気に破られた。
「深く知り過ぎないことだ」
「えっ?」
ガストンはまぬけな声を発した。
ようやく口を開いたジョンの言葉が、自分の想像とは全くかけはなれたものだったからだ。
「なんの事だ?」
「さっき、おまえが聞いただろ。コツさ」
ジョンはいった。
「“暗夜の命奪人”は、標的を殺すのが目的だ。なぜ殺さなければならないのか、なにをやったのか、どんな人間なのか、知る必要はないんだ」
ジョンは真っ直ぐな瞳でガストンを見つめた。
ガストンはつばを飲み込んで、ただ話を聞きつづけた。
「依頼を受ければ誰でも殺す。それが掟だ。だからこそ、知りたくなかった。おまえの事を」
ジョンはそういうと、腰にぶら下げてあった短剣を鞘から引き抜いてガストンに向けた。
「え?」
ガストンは、自分の状況を理解するよりもはやく、喉元を切り裂かれた。
喉に溢れる熱い血を押さえ、ガストンは地に膝をついた。
「ヒューーーー、ヒューーーー、ヒューーーー、ヒューーーー、ヒューーーー、ヒューーーー」
ガストンはジョンに何かを告げようとしたが、声にはならなかった。
喉から空気が抜ける音が虚しく響き、ガストンはうつ伏せに倒れ込んだ。
溢れ出た血液からは湯気が立ちのぼり、ガストンは二回ほど体を痙攣させて、ぴくりとも動かなくなった。
「おまえには強くなってほしかったんだがな」
ジョンは、もはや何も聞こえていないガストンにいうと、その体を抱き上げて焚き火の方へと戻って行った。
ジョンが戻ると、レオポルドはすでに目を覚ましていた。
「済んだのか」
「重たいから、ここまで来るのに骨が折れたよ」
ジョンはもう動かないガストンを地面に投げ捨て、両肩をぽんぽんと叩いた。
「知りたくないのか」
「なにを?」
「ガストンのことだ。かれは“暗夜の命奪人”の一員だった。おまえも少しは情が湧いてただろう」
「必要ない」
「本当か?近頃のおまえを見てると、こっちがしけた気分になるんだよ。本当は無理をしているんだろ。なぜ殺さなければならなかったのか、明確な理由はある。それを知れば自分を納得させることもできるはずだ」
「おれを憐れんでるのか?」
「──そうだ」
ジョンは、あまりにも潔いレオポルドの答えに思わず吹き出した。
「おれがかわいそうだって?残念だが無用な心配だ」
「だといいがな」
「くだらない話はここまでだ。いいからさっさと寝ろ。明るくなったらすぐに“長い丘城”へ帰るぞ」
強制的に会話を打ち切ったジョンは横になってレオポルドに背を向けた。レオポルドはそれ以上何も言わなかった。
かれはガストンに歩み寄り、開いたままだった目を優しく閉じてやると、また眠りについた。