1:声は爆炎に消えて
――遠くに悲鳴と爆発音が聞こえる。
その悲鳴に、少年、仙崎陸郎はまた一人友人が命を散らしたことを知った。
あるいは悲鳴を上げただけで存命かもしれないが、果たしてそれにどれだけの差があるだろうか。殺戮の炎が吹き荒れるこの場で、居場所を知られる悲鳴を上げるような心弱き者は真っ先に狙われる。
案の定もう一度同じ声で甲高い悲鳴と爆発音がして、陸郎は今度こそ彼女の死を確信した。声からすると恐らく鈴紗だ。おとなしい小動物のような後輩のことを思い出し、彼は胸を痛めた。兄の方はどうなってもまったく構わないが。
直後、さらなる爆音が聞こえて陸郎はハッと我に返った。
「……おっと、こっちからも攻めてかないとな」
ここも安全ではないし、じっとしているのは下策だ。
彼は周囲に視線を巡らせた。
廃ビルが等間隔の碁盤目状に立ち並ぶ、薄暗い路地裏。不思議なことにどのビルにも入り口がなく、ただ進入不可の壁として立ち塞がっている。さらに、ビルとビルの間には雑多な瓦礫が積もり、道の自由な行き来すら妨げる。時折瓦礫の無い通路もあるが、そこも一歩入ればすぐに瓦礫が重なっている。
荒廃しつつも配置は整然としており、不自然な場所だ。到底、そこらの街が寂れただけで出来上がるものではない。それも当然のこと。この一帯は戦いのためだけに用意された場所だ。
行くも引くもビルと瓦礫に囲まれて身動きがとれないか。答えはノーだ。手段はまだ残っている。
少年は瓦礫の前に進み出ると、虚空を弾くように手を払った。すると、目の前にボーリング玉ほどのサイズの何かがゴロリと転がり出る。黒光りする球体で、一本だけ内部からひょろりと紐が伸びる。紐の先端には火が点いており、ジジジと音を立てながら紐を焼き進んでいる。ギャグ漫画にでも出てくるようなレトロで単純化された見た目ではあるが、それは紛れもなく導火線のついた爆弾だ。
身一つの軽装である彼が隠し持つには大きすぎるものだが、事実として爆弾はそこに現れた。
陸郎は素早く身を翻し、すぐ背後のビルの隙間に身を隠す。その隙間もやはりビル一棟分のスペースしかなかったが、壁にはなる。
直後、耳をつんざく爆音が路地に鳴り響き、熱波が爆弾の置かれた直線上の通りを焼く。落ち着くのを待たずに少年がビルの隙間から躍り出ると、先ほど爆弾を置いた付近の瓦礫が消し飛んで新たな道が延びていた。一方で、同じく爆風に曝されたはずのビルには傷一つない。
瓦礫の跡には火を模したマークが描かれたカードが、淡く光りながら何故か目線ほどの高さに浮いている。
火力アップのカードだ。入手すれば爆弾の威力が上がる。殺伐とした風景にあまりに似つかわしくない代物だが、見逃してしまうよりはよほどいい。陸郎は行く手に警戒しながら進み、そのカードに触れて体に取り入れた。
これで爆風がビル四つ分の射程となった。
置いた爆弾は射程内の路面を直線に沿って焼き払い、そして炎に触れた瓦礫を破壊できる。ビルは何ら損傷することなく、開けた四辻に置けば炎は十字型に広がる。その炎を直接浴びない限り、熱や飛散物で死ぬことは決してない。
それがこの世界のルールだ。
瓦礫を爆弾で撤去し、撹乱に脇道も爆破し、時にカードを入手しながら陸郎は路地を駆ける。残った敵もどこかで同じように爆破を続けており、爆音が散発的に聞こえる。その頻度からして、恐らく相手は一人。鈴紗は死んだものとすると、優乃か玲司か夢美か。
互いに警戒しながらの接近はなかなか姿を捕捉することすらできず、時間だけが過ぎていく。
瓦礫はかなりの数除去できたが、林立するビル群だけでも身を隠すには十分なものだ。いつ物陰から現れるとも知れない緊張感が身を引き締める。
陸郎は手首に巻かれた腕時計を見る。そのデジタル表示には、現在時刻ではなく一秒ずつ減っていく何かのカウントが進んでいた。
それは制限時間だ。あまり慎重になりすぎても、この世界は過剰な時間稼ぎを許してはくれない。その数字がゼロになったとき何が起こるか、そこまでは分からないが。
焦りを感じつつ熱気渦巻く路面を進むと、視界に一つ動くものがあった。行く手から何の飾り気もなくコロリと転がり出る球体。
『敵』の爆弾だ。
――やべ。
距離は十分あったが、嫌な予感を覚えた陸郎はとっさにすぐ近くの脇道に飛び込む。
予感は正しく、爆風は果てしなく伸びて、先程まで彼がいた位置のはるか先まで焼き払った。射程が陸郎のそれとは比較にならない。火力が一気に伸びるカードでも拾ったか。
破壊が収まったのを確認して再度飛び出し、爆弾の出元に向けてひた走る。これだけ火力差があるのであれば、近づかなければそもそも勝負にならない。
相手もまた近寄らせまいということか、これ見よがしに進路に爆弾を放ち牽制してくる。迂回して近づこうにも、周囲の地形や瓦礫の配置がよく分かっていない。
ただ、追っているうちに一瞬だけ見慣れたお下げ髪がビルの陰にたなびいて引っ込むのが見えた。
――相手は夢美か。
陸郎は苦々しくその名を思い浮かべる。
渡来夢美。小学生時代からの幼馴染である彼女は、こういう場においてとにかく何をしでかすか分からない。
反面、その場その場の気分と勢いで仕掛けてくるため、あまり後のことは考えない。誘い込んで罠に……という展開となる可能性は低い。このまま相手が隙を見せるまでは慎重に追尾に徹するべきだろう。
そんな方針を定めたとき、時計のカウントが残り三分を切った。
周囲にはビルが林立して見晴らしはひどく悪い。ただ、その上空に広がる空はさすがに見える。
その空から、ビルが一棟降ってきて数本離れた通りに着弾した。爆弾と比較にならない地響きが轟く。
「……マジかよ」
それは一度きりの現象ではなく、追うようにしてもう一棟。さらに二棟三棟と次々に降り注ぐ。陸郎のいる位置から距離は離れているが、それはまるで壁でも作るように隙間なく降っているように見える。制限時間と連動していることを踏まえれば、それが事実であろうことは想像に難くない。
いや、壁ならばまだいい。降り注ぐビルは戦場の面積を縮めているのだ。恐らく、渦を巻くように内へ内へと着弾し、カウントがゼロ間近の頃にはごく狭い範囲での死闘を強いられるか、あるいは最後の一スペースまで押しつぶすか。
爆死より無惨な死が頭に浮かび、陸郎は喉を鳴らした。
いずれにせよ、あんなものの近くではとても戦えない。それに、あの落下ビル群に追い立てられれば夢美も逃げ出てくるはずだ。迎え撃てるのならばチャンスにもなる。
予想通り渦状に降り注ぐビルを見ながら、陸郎はその中心、戦場の中央へと走る。実際の落下ペースより精神的なプレッシャーが大きく、瓦礫の除去のためのちょっとした間すらもどかしい。うっかり文字通りの自爆をしそうになる。
中央と思われる位置に辿り着いた陸郎は、腕時計を見る。残り一分。降り注ぐビルが瓦礫を砕く音も間近に聞こえ、いよいよ戦場の範囲は狭くなっている。程なく夢美もこのあたりに逃げ込んでくるはずだ。そこに爆弾を放って逃げ道を塞げば、爆弾と落下ビルで挟み撃ちにできる。相手の来る方向次第だが、読み合いならば火力差があっても五分と五分――
「イェーイ! グッドボンバー!」
「うおお!?」
場違いに明るい掛け声とともに、一人の少女がビルの陰から勢いよく飛び出してきた。
柔和な顔立ちに地味なお下げ。夢美だ。
彼女は肩口から全体重を乗せて突っ込んでくると、陸郎を巻き込んで盛大に転がった。痛覚はシステム的に調整され減衰しているとはいえ、こうも無抵抗に転げてはさすがに痛い。
二人の体は十字路から脇道へ。そちらの瓦礫は除去しておらず袋小路になっている。今爆弾を放てば共倒れだ。となればどっちが先に復帰して爆弾を設置・離脱するかだが――
なぜか、夢美が突っ込んできた方向。袋小路の入口に爆弾が既に転がっている。そして、起き上がろうにも覆いかぶさった夢美が邪魔をする。逃げられない。
降り注ぐビル群よりも直接的な死が間近に迫る。その段に至って夢美は心底楽しそうに笑った。
「ふっふっふ……あんたの考えていることは分かるよ陸郎。夢美ちゃんの体が柔らかくて気持ちいいとかそういうアレっしょ。こんな状況でやらしーったらもう」
「考えねーよ馬鹿! どけ! 今すぐどけ!」
「そうまで言われちゃどくけどさ、残念手遅れでしたー」
あっさり身を起こす夢美の笑顔の背後でカッ、と爆弾が光る。溢れ出た熱と衝撃は路上に転がる二人の肉体を区別なく焼き、戦場から骨も残さず消し飛ばす。
残った二人の同時消滅により、この戦いは勝利者不在で幕を下ろした。
残り時間四十五秒。ビルの落下もピタリと止まり、路地には静寂だけが残った。