7,亜人
奥の部屋から出てきたリインと呼ばれた少女は、抗議の声を上げるなり、カウンターにいた女、ドナーにつかみかかる。
「それは言わない約束だったじゃないですか!」
「あらぁ、そんな約束、いつしたかしら?」
「つい二、三分前の話でしょ!?」
「さてねぇ、
『これでリンダさんが何事もなく帰ってきたら、騒いでた自分はかなり恥ずかしいことになるから、せめてリンダさんにだけでも黙っていてほしい』
っていう相談なら、聞いた覚えがあるのだけれど」
「やっぱりおぼえてるじゃないですか! もー!!」
リインとドナーがカウンターの内側でわちゃわちゃと騒ぎはじめたのを目にして、長丁場になることを察したのか、ヒルドリンデがジークの方に向き直った。
「……意外か、旦那? 亜人が普通に働いているのは」
「いや、別に。蜥蜴人の性質が混じっている亜人は初めて見たがな」
「そうなのか? 旦那も騎士なら、元は王国の出だろ? 王都の上流階級の間じゃ、まだ亜人差別は根強いもんだと思ってたけどな」
「いや、それは人それぞれだ。少なくとも、私としては多少見た目が違うくらいの認識だよ」
「そうか……それは良かった」
ヒルドリンデは、心の底から安心したかのようにため息をついた。
◇
『亜人』とは、特定の種族を指す言葉ではない。
いわば身体的特徴のひとつである。
一般的には、「獣の耳や尾、毛が生えている」とか「魔物の外見的特徴を併せ持っている」人間のことを指す。
そして、その来歴も様々であり、直接関係が有ったわけではなくとも、祖先のどこかで混ざった魔物の血が偶然発現したり、魔力が濃く滞留している土地で突発的に変異したり、場合によっては魔物の血や体液を摂取することで亜人化することもある。
しかし、一部の特例以外は、亜人と普通の人間の違いなどせいぜいジークが言ったように『少し見た目が違っている』くらいなのだ。
……その差違を『個人差』と捉えるか『異常』と捉えるかは、人によってかなり大きな認識の違いがあるのだが。
そういったわけで、ラン・グロース王国では、亜人はそれなりに立場の弱い存在とされているのだった。
◇
「……」
しばらく待ったところで、ヒルドリンデが呆れた顔で呟いた。
「まーだやってるよ」
「無理にでも声をかけてみたらどうだ?」
「そうする。おーい」
ヒルドリンデがカウンターに歩み寄ると、のらりくらりとドナーにあしらわれていたリインが、肩で息をしながらヒルドリンデを睨み付ける。
暴れたからか、それとも羞恥心からか、その顔は真っ赤に染まっていた。
「……なんです? 笑いに来ました?」
「仕事の話をしに来たんだけれど?」
「へ? ……あっ、あわわわ、ちょっとお待ちを!」
そう言うと、リインはあわてふためきながらも、カウンターの奥から分厚い書類の束を持ってくると、
「えーっと、ヒルダさんのは……あ、あったあった」
束の中程から一枚だけ引抜き、束の横に並べる。
「えっと、薬草の採取ですね。毒消しの薬用の花数種だそうですが」
リインが書類を読み上げると、ヒルドリンデの顔色がさっと青くなった。
「……あ、やっべ。森の中に置いてきちまった」
その言葉を聞き、リインとドナーが二人まとめて顔をしかめる。
「えぇ……何してるんですか、ヒルダさん」
「ヒルダくん……?」
「仕方ないだろ!? 一刻も早く、だん――いや、森を抜け出したかったんだし」
ジークを引き合いに出さず自身の事情とするくらいには落ち着いてはいたが、それでもそれなりに慌てている様子のヒルドリンデ。その様子が見ていられなくなり、ジークは横から声をかける。
「薬草というのはこれのことか?」
「「……え?」」
ジークが懐から取り出した袋を見て、ヒルドリンデとリインが同時にすっとんきょうな声をあげた。
ジークは、ヒルドリンデが森の中で落としていた小袋をそれとなく拾っておいたのだ。本当は後でこっそり中を確認しようと考えていたものだが、中身と用途が分かったために素直に差し出す。
「んー……はい、これで全部です。ありがとうございます、えと……」
「ジークだ」
ジークが名乗ると、リインは一瞬驚いた表情を浮かべたが、
「……はい、ありがとうございました、ジークさん」
結局何の詮索もせず、袋を後ろにあった小箱に納め、カウンターの下から小ぶりな袋を取り出し、ジークへと差し出してきた。
「はい、どうぞ。今回の依頼の報酬です」
「……?」
「あれ、金額にご不満でも?」
「いや、私ではなくヒルドリンデの受けた依頼だろう?」
「そーだそーだ。納品したのは旦那だけど、集めたのは俺だぞー」
ヒルドリンデの抗議に、リインは冷たい視線を返す。
「納品する物を落としてくるお間抜けさんには報酬なんてありませんよーだ」
「おい、そういうこと言うなよ。結構傷つく……いやまてよ?」
何か閃いたのか、ヒルドリンデが唐突に声をあげた。
「うん、その方が……それにどちらにしろ……」
「リンダさん? どうしたんですか」
「うん、そうしよう」
「ちょっと、リンダさん聞いて――」
リインの言葉を待たず、ヒルドリンデはカウンター越しにリインの肩に腕を回す。
「きゃあっ! い、いきなり何するんですか!? ヘンタイ!!」
「待て、落ち着け! ひとつお願いが有るだけだって!」
「いったいなんなんですか」
「いやさ、この騎士サマの件で……」
そのまま小声で相談を始めてしまった。
何が何やらわからず、ジークはその場で待つ。
と、こんどはドナーがカウンターから身を乗り出し、
「ねえ、ジークってあの勇者ジークと同じ名前よね?」
と訪ねてきた。
「ああ、そうだ」
「もしかして、親族、あるいは彼の関係者だったりとかって、する?」
「いや、全く」
ジークは何の躊躇もなく否定した。
「たまたま同じ名前なだけだ。貴女のような質問をしてくる者が最近増えて、正直こちらも困っている」
「あら、ごめんなさぁい」
特に悪びれるふうもなく言って、ドナーはもう興味を失ったとばかりに乗り出していた上半身をカウンターの内側に戻し、他の冒険者の相手を始めた。
その様子を、ジークが何とはなしに眺めていると、
「旦那、こっちの用事は終わったぜ」
そう言いつつ、ヒルドリンデがリインと連れ立ってやって来た。
そして、リインが浮かべた笑顔を見て、人ならざる身でありながら、ジークは鳥肌の立つ感覚を味わった。
「ジークさんは、騎士なのですよね?」
「え、あ、ああ」
「お強いんですよね?」
「まあ、それなりには」
「しばらくこの町にご滞在なされるんですよね?」
「え、いやそれは」
「されるんですよね?」
「……ああ、一応は。おそらくだが」
「そうですか。それは良かった。ふ、ふふふ……」
とても先ほどまで話をしていた生真面目な少女と同一人物とは思えないほどの邪悪な笑顔を顔面に張り付けたまま、リインはカウンターの内側へと戻っていった。
「一体何だったんだ?」
「旦那の気にすることじゃないよ。それより、用事が終わったんだ。早速、俺の家に行こうぜ!」
「ああ。外に待たせてるケプファが、いい加減暇だろうからな」
そうして、ジークはヒルドリンデについて、酒場を出ていった。




