42,逆鱗
「…何を言っているのか、よくわからないな」
クルスに悟られぬようさりげなく腰に挿した剣に手をやりつつ、ジークはしらを切ってみた。がしかし、当然のごとくクルスの刻印の輝きは弱まる気配を見せない。
「おいおい、私と君との仲だろう?そうそう邪険にすることもないじゃあないか」
そう言って、クルスは青く光り輝く右手を掲げた。
「詠唱破棄、《サンクチュアリ》」
クルスの刻印が一際大きく輝いたかと思うと、クルスを中心にして金色のドームが展開された。ドームはジークを通り過ぎ、路地の入り口手前で静かに動きを止める。
「結界か」
「周りの民家に被害を及ぼすのは本意ではないからね」
「……」
「私としては穏便に、そう穏便に済ませたいのだがね?
そうもいかないかもしれないじゃないか」
毛ほども穏便に済まそうなどと考えていなさそうな顔で、クルスは光り輝く右手をジークへと向けてくる。
「…これ以上の対話は無駄なようだな、クルス殿」
「んむぅ、まーだしらを切り続けるつもりかい?」
「私は、あくまでもただのジークなのでな」
「ふぅん。そこまで口が固いのはさすが彼女の主といったところなのだろうがね」
クルスはそこで微かに口角を上げたかと思うと、
「だが、駄目だ」
少しだけ寂しそうに言って、自ら後方へと飛び退った。
「術理『多重詠唱』『平行詠唱』、詠唱破棄― 《セラフィックフェザー》!」
クルスが同時に展開した八つの魔法陣から、一振りの剣とほぼ同じ大きさの純白の羽が次々に撃ち出される。
ジークはそれらを、クルスの詠唱と同じタイミングで抜いていた直剣で叩き落した。
全ての羽を防御し終え、ジークは自分の持っている直剣を見る。
「…金属を腐食させる魔術か。もうこの剣は使い物にならんな」
ジークが純白の羽が当たった部分が錆び朽ちてボロボロになった剣を放り捨て、クルスへと視線をやると、クルスは苦々しげにジークを見つめていた。
「…やはり、君なんだな。ジーク」
「自分で散々断定しておいて今更何を言っているんだ」
「いや、今のは最終確認のための攻撃さ。
何の関係もないようなら、すぐにでも開放してやるつもりだった」
「…そこまで行き当たりばったりなのは、流石にどうかと思うんだが」
「はは、よく言われるよ。だが― 」
そこで一度言葉を止め、なにかを逡巡するように押し黙ってから、再びクルスは口を開いた。
「だが、先ほどの剣技を見て確信した。君はやはり、どうしようもなく確実にジーク・アルケニウス本人だ。
…まさか、君とまた顔を合わせることがあるとは夢にも思わなかったよ」
「……」
「…だんまり、か。まぁそうだろうなぁ、君は多分私の事を恨んでいそうだし」
クルスはどこか苦しそうに笑うと、すぐに真剣な表情を浮かべ、ジークを正面から見据える。
「だが、それとこれとは話が別だ。私はこの国を守る五柱の一人として、『処刑され蘇った元勇者』なんてものの存在を許容する訳にもいかない」
「元勇者、か。中々手厳しい事を言ってくれるな」
ジークはため息とも取れる呟きに合わせて腰から予備の短刀を引き抜き、クルスと相対する。
「私は…俺は、これでもまだまだ現役のつもりだ」
「現役、か。はっ、死人が何を言う」
まるで気つけかのようにジークの言葉を一笑に付し、クルスはまた輝く右手を構えた。
「…そういえば、なにゆえ生き返ったか、そこの所を尋ねていなかったな。
まぁどうせお前のことだ、妻の敵討ちでもする為に、わざわざあの世から舞い戻ってきたのだろう?」
クルスの言葉に、ジークの体がビクリと震える。
「図星か?…まさか、かつてこの国を守護していた男がそんな愚にもつかない考えを起こすとはなぁ?
全く、国の未来を考えず私情で動く奴はこれだか― 」
クルスは、ジークを嘲笑する言葉を最後まで言い切ることは出来なかった。
大人の足でも五、六歩分はゆうにあった筈の距離を瞬き一つの間に踏み越え、禍々しい漆黒の影がクルスの眼前に迫ったからだ。
「ぐうっ…!」
肩口を切り裂かれたクルスは、顔を歪めつつも咄嗟に目の前のジークへ向けて純粋な魔力の塊を叩きつける。
が、ジークの勢いは微塵も衰えることなく、寧ろより殺意のこもった太刀筋でクルスの急所めがけて短刀を振るった。
「詠唱破棄、《リブラ》!!」
思いつく限りで最も名前の短い転移魔術を記憶の底から即座に探り当て、クルスは辛うじてジークと位置を入れ替えることで攻撃を回避する。
そのまま魔力をジークに向けて炸裂させ、その推進力で路地の入り口付近まで退避すると、クルスはその場で膝をついた。
「っはあ、はあ、はあっ…!」
もうもうと上がる土煙を睨みながら、クルスは息を整える。
そして、煙がおおよそ薄れたとき、クルスは自身の両目を裂けんばかりに見開いた。
「……ッ!?おま、え、その、姿― 」
土煙が消え失せた、その場所に立っていたのは、人魔の別なく身体の芯から萎縮する程の威圧感を放つ、夜闇より暗い漆黒の甲冑姿。
「…ああ、擬態が解けたか」
自身の変化を毛ほども気にする様子のない声で、ジークは呟いた。
ジークの極限の憤怒と『王威顕現』の魔力が異常なまでに呼応しあった結果、擬態や魔力調整などに回していた余力が余すところなく身体能力の強化に注ぎ込まれたのだ。
「鎧の形状変化、さらにその身体能力に強度…
ジーク、おまえは魔族まで堕したのか」
「あぁ、これが今の俺の姿だ」
忌々しげに吐き捨てたクルスに対し、ジークは多少頭が冷えたのか平坦な調子の声で返す。
「俺は決めたんだ。ローゼンの首をこの手でとるとな。
それが俺の、妻にしてやれる唯一の手向けだ」
「巫山戯たことをぬかすなよ。お前の感傷に付き合って、この国の人々に苦難を強いる訳にはいかんのだ」
「特定の誰かに地獄の苦しみを押し付けて得られる平穏など、清廉な苦難に比べれば塵屑ほどの価値もない」
「特定の誰か、だと」
淡々と喋るジークに業を煮やし、クルスは一層語気を強めた。
「大粛清の話か?私だってあれが必要な犠牲だったなどと言うつもりはないが、それを何時迄も蒸し返していては何も進まないだろう!」
「なんだと?」
それまでなんの感情もこもっていなかったジークの声に、初めて明確な怒気が現れた。
「それは、本気で言っているのか」
「立場のある人間が私情を挟むのは、庇護するべき自国民に対する不義に他ならないだろうが!そんな事も― 」
「ヒルドリンデ達の前でも同じことを言えるのか」
ジークがヒルドリンデの名を出した瞬間、それまでジークに対し怒りの感情をあらわにしていたクルスの表情がかき消えた。
「……あ?」
「どうした、もう名前も覚えていないのか?いいから答えろ。
自分が見殺しにした弟子の前で、その大義名分を垂れることができるかと聞いているんだ」
「…あ、ああ、あああ、ああああ」
クルスは、表情の消えた顔で声にならぬ呻きを漏らしていたかと思うと、突然、
「 ―その名前を、口にするなぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
額に血管を浮き上がらせながら絶叫した。
クルスの叫びに応えるかのように、右手の刻印は澄んだ青色から毒々しい赤色へとその光の色を変える。
「妻が病で死んだからって、平気で悲劇の主人公づらかぁ!?
巫山戯すぎなんだよ、身の程をわきまえろ自惚れやがって!
お前なんかに、お前なんかにぃ…」
うって変わった凶暴な口調でまくしたてながら、クルスは胸元から時計型の魔道具を引きずり出した。
「愛弟子を見殺しにするしかなかった私の気持ちが!!」
ガチャリ、という機械的な音と共に、魔道具の針が劇的な速度で逆回転を始めた。
「再会した実の弟を自らの手で殺めねばならない私の気持ちが!!」
狂ったように逆回転を続ける時計に反し、クルスの体はどんどん莫大な量の魔力の奔流に覆われていく。
「分かってたまるかぁぁぁぁ!!」
ガギンッ
金属質な音がして、時計の針が回転を止めた。
既に、クルスを覆い尽くす魔力はそれだけで何百人もの人間を消し炭にできそうなほどに濃く、また攻撃的に渦巻いている。
「【智慧の火】【起源の水】【原初の木】【創世の土】
【乖離の金】【我は】【希う】【破壊】【撃滅】【鏖殺】」
クルスの詠唱に従って、火炎が、水流が、植物が、土塊が、金属が、おぞましいほどの魔力によって生成と融合を繰り返していた。
「【終末よ】【来たれ】」
詠唱が終了する頃、クルスの前には白く光り輝く光球が出来上がっていた。
「私が使える中で最強の魔術を使ってやる。光栄に思えよ、ジーク」
「……」
ジークも全く臆することなく、静かに短刀を構える。
「…ジーク」
「…タレス」
「消し飛べ、ジーク!!!」
「望むところだ、タレス!!!」
両者の裂帛の咆哮と同時に、純白の光球と漆黒の騎士が激突した。




