1,目覚め、そして出奔
『――何故だ。何故なのだ』
……ここは、何処だ。
『貴様は、何故我を倒すのだ』
……お前は。
ああ、そうか。
これは、『あのとき』の光景か。
『我は、何故倒れている……? 何故、貴様がまだ生きている……』
……覚えている。
虫の息のお前は、そうやって俺に尋ねてきたな。
なぜ、と。
『何故だ……何故、我は貴様なぞに負けた……貴様には、戦う理由など、何もあるまいに……』
何をいまさら。
俺は祖国を守る、ただそれだけのために――
『貴様が戦うことなど、誰にも望まれてなどいなかっただろうに……』
「そんなことはない、断じてな」
……これは、俺の声か。
「我が国の、王の、王国民全員の期待を受け、俺はここに立っている」
『だとしても、貴様はどうせ、皆に受け入れられることはない。魔王を倒した勇者が受け入れられる事など、決して』
…………
「遺言は、それだけか?」
『あくまでも聞き届けぬか……フッ、ならば結構。貴様の務めを果たすがいい』
「そうさせてもらおう。逝く前に憶えておけ、俺は――」
俺は――――――
◇
王都の一角、薄暗い家屋。
「勇者の家」として知られるその場所の最奥。
堂々とした風情で飾られた甲冑一揃えが、突如ガシャリと音を立てた。
「…………こ、コ、は」
人間の声らしき音を発しながら、鎧はひとりでに自立すると、ふらふらとおぼつかない足取りで部屋を歩く。
そして、自らの手のひらを顔の前にかざすと、その感触を確かめるかのように固く握り締めた。
「せい、コう、しタの、のカ」
そこで鎧は、自身の声が不安定な発され方をしているのに気づくと、
「ア、あア、あーあー」
ひとしきり声を調整し、鎧は首をかしげる。
「声の感触が違う……? いや、今はそんなことを気にしている場合ではないか」
鎧は、落ち着きの宿る男の声でそう呟くと、勝手知ったる自分の家であるかのように歩き回り始めた。
そして、目当てのものがあるはずの戸棚の前に立った時、近くの姿見が目に入る。
正確には、姿見に映った「自分の姿」が。
「……『霊呪鎧』。
魔物の一種であり、鎧に亡霊がとりついた物として広く知られる。が、実際は、鎧を取り込んで己の体の一部とする魔獣である……だったか。まさか本当に成功するとは。正直、半信半疑だったんだがな」
姿見から正面に目を移し、男は戸棚の中から大きな麻袋を手に取った。
「……全ては流石に無理だが、せめて目ぼしいものだけでも、な」
そういって、男は部屋の中を見回す。
そして、一通り選別し終えてから、男は目に付いた、本当に持って行くべき品々をかき集めた。
「メグレスの剣、アハトバルクの聖槌、龍槍ガルガンチュア、霊薬ソリュシオ、あとは……」
一通り詰め込むと、男は袋を肩に軽々と担ぎ、そのままその家を後にしようとして――
「っと、お前を置いていくわけにはいかないな」
壁に掛けてあった剣を持ち上げると、まるで剣を慈しむかのようにしげしげと眺め始める。
「はて、この感じ、これは……」
何処か違和感を感じて、男は剣を観察し続けてみたが、
「まあ、後で『呼べば』分かることか」
そう言って、持っていた剣を腰に提げると、男は急いで家から出た。
そして、玄関の扉を閉める間際。
「――行ってくる、エスメラルダ」
バタン
誰へとも知れぬ呟きと扉の閉まる音を以って、家は再び静寂に包まれた。
◇
「ダグレス、馬舎の鍵はきちんとかけたな?」
「ああ、間違いなく」
「よっし、んじゃ俺は先に寝るぞ。
全く、今日は本当にとんでもない日だ。こんな日はとっとと寝ちまうに限る……」
父親が受付を離れ、奥の母屋へ行ってから、馬借屋の青年は出してあった帳簿の片付けを始めた。
普段は几帳面な彼の父が珍しくも出したまま放ってあった紙束を揃えながら、青年は日中にあった大事件の事を思い出す。
『勇者にして英雄、ジーク・アルケニウスの処刑』。
その出来事は、生前その「勇者」と懇意にしていた、そして良き友人でもあった青年の父を多大に落ち込ませるに足る出来事だったらしい。
実際、近所の人々や学友の親たちも、嘆き悲しみに暮れている者が大半であった。
さらには、これによって彼らの住まう国、ラン・グロース王国の政治体制にまで支障をきたすというのだから驚きだ。
「……ま、俺には関係の無い話だろうけどな」
ぼそりと独り言を呟いてから、青年は目前に何者かが佇んでいるのに気づいた。
「あ、えっと、今日の営業時間はもう終わってるんですが」
「……アマルは?」
「え?」
青年が聞き返すと、鎧らしきものを纏った男はまた同じことを繰り返す。
「この馬借屋の主人、アマル・サクメト氏は居ないのか」
「ち、父ならもう寝ましたけど」
青年が恐る恐るそう答えると、男はあからさまに落胆した様子で俯いた。
「そうか……アマルになら、話をつけやすいと思ったんだがな。じゃあ、まあ、君でいいか。なあ、ダグレスくん」
「はい? なんで俺の名前を」
男は青年の質問には答えず、肩に負っていた大きな袋を床に下ろすと、袋の中身を探りながら平然と続ける。
「君のところの、馬と荷台。売ってくれないか」
「……あんた、いい加減にしてくれないか。だいたいなんだよ、そんなへんてこな形の鎧着て、王国の正式な騎士って感じじゃなさそうだし。そもそもうちは馬借屋であって、馬を売ってるわけじゃ……」
「ほら、これでどうだ?」
「え?」
青年の目の前に置かれたのは、人間の頭一つほどの大きさの袋だった。
少しだけ開いた口から察するに、中身はすべて―
「き、きき、金貨ぁ!? こ、これ全部!?」
「ああ。なんなら、もう一袋つけようか?」
「い、いやいやいや!!」
男がさらに金貨の袋を取り出そうとするのを抑え、青年はキッと男の顔、正確には兜の顔に当たる部分を睨みつける。
「い、いくら金を積まれようが、うちの馬は売らない! それはうちの商売を曲げることになるからだ!
わ、わかったか、このやろう!」
震える声で啖呵を切ってから、青年は心中多大に後悔していた。
なにせ相手は、これだけの金を、たかが馬と荷馬車を買うためだけに惜しげも無く出せる人間なのだ。
見た目からしても、お忍びで来た高位の騎士である可能性が十分にある。
そんな人間の頼みをにべもなく断ってしまって、もし後々店に、父親に迷惑がかかるようなことがあれば――
そんな青年の心境を知ってか知らずか、男は何かしら感があるように首を傾げると、
「そうか、それならば仕方がない。貸し出し扱いで手を打とう。
馬一頭と荷馬車一台を、そうだな、ここは一年分くらいにしておこうか。幾らだ?」
「い、一年!? えっ、と、……金貨十枚くらい、だと思うけど」
「断らないのか?」
「……まあ、貸し出すということなら、融通してあげられるさ」
「そうか。すまんな」
男はほっとしたように言うと、開いていた大きな袋を閉じ、肩に担ぎ上げた。
金貨の大袋を出したまま。
「金貨十枚、だったか。それなら一袋で足りるな」
「待て待て、待ってくれ!!」
「全く、今度はなんだ? 私は急いでいるんだが」
青年が全力で引き止めるのを、男はあからさまに面倒そうにあしらった。
しかし、青年も青年で一歩も引かずに、きっかり十枚だけ取り出してから袋を男に突き返す。
「こんなに受け取れるわけないだろ! 何考えてるんだ!?」
「あー、それは、あれだ。私の無理難題に付き合ってくれた手間賃ということでどうだ」
「そんな無茶な……」
青年は抗おうとしたが、もはや男は聞く耳を待つつもりもないらしく、勝手に契約用紙を束から引っ張り出すと、必要な事項を書き込んで青年に差し出してくる。
「……よし。じゃあ、これで頼むぞ」
「え、ああ、どうも」
「鍵は? 勝手に持っていっても構わんか?」
「ちょっと待ってくれ、中身の確認がまだ……あーもう、ここにあるから持っていってくれ!」
「ああ。……この恩は、いつか必ず返させてもらおう」
「え、何か言ったか? えっと、ここの項目は良し、と」
「いや、なんでもないさ。それでは」
そう言って立ち去る男の背に、ある事に気がついた青年が慌てて声を掛けた。
「……なあ、おい、あんた! あんた、『氏名:ジーク・アルケニウス』って……!」
しかし、男は青年の声に振り向く事なく、馬舎の方へと歩き去っていった。
◇
「さて、と」
壁門を出て少し馬を走らせたあたりで、男は手綱を緩め、後方を仰ぎ見た。
警備が薄くなる深夜を待って関所を通過したため、王都を囲む砦壁の上部ではいくつかの篝火が煌々と照っている。
「……とにかく、王都から離れるとしよう。これからの事を考えるのは、今は後回しで構わん」
言って、男は馬をさらに走らせた。
風邪を切る音と共に、王都が、王城の影が遠ざかってゆく。
「……だが、だがな、ローゼン。お前は誤った選択をした。
周囲の腐敗貴族どもに唆されたのか、それとも自身の考えによるものか、そんな事はどうだっていいとも。
俺を処刑したのには、慎重なお前なりの理由があるのだろうさ。だが――」
男は、手綱を持つ手に綱を引きちぎらんばかりの力を込め、あくまで静かに独白し続けた。
「お前の最大にして最悪の失態はな、ローゼン。俺を処刑すれば脅威は去る、と考えた事だ。
お前は今頃、王城のサロンで悪いお仲間と酒宴でもしているのだろうが……」
そこで一度言葉を切り、男は今再び王都を振り返り見る。
「さらば、我が主だった者共よ。右手に剣を携えて、また合間見えんことを」
それだけを言い放つと、男はもう振り返ることなく闇中を突き進んだ。
その者の名はジーク=アルケニウス。
かつて忠義を誓った相手に、復讐を誓う男である。




