第30話「ヘレナ」
えー?
ヘレナさん、あちゃー…って何よ?
思っていた反応と違うな。もっとこう…意地の悪い反応をされるかと思ったのだが。
「道理でキーファが不機嫌だったわけだ。昨日──久々に帰ってきたと思ったらもうー…手下どもに酷く当たり散らしていたのよ。目に余るから、追い出したんだけど…」
まいったわね~と、ヘレナが困り顔。
「どういう事情だ? キナを嵌めたのはアンタらじゃないのか」
ちょっとばかり威圧感をだして詰問する。
「ちょっとちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ。──キナさんの借金は正当なもので、債務を整理したのはギルドの温情よ。返済計画を作ったのも私だし」
宣うヘレナに一瞬、殺意が沸き起こる。
それが多少なりとも漏れたのか、カメがヒィ──と怯えた声を出す。
しかし、ヘレナは全く動じず続ける。
「しょうがないでしょ…まさか積もり積もって金貨2500枚…──バカかと思ったわよ」
その言葉に、キナがシュン…と俯く。
「で、キーファの奴がどっかで一枚噛んでたらしくてね、キナさんを雇用したいとか言い出して…債務整理に手を出してきたのよ。───到底返せる宛もなく、雪だるま式に利息が膨らむ奴でね」
む…たしかに、現在の返済では利息は、初期の状態で固定されている。
「おまけに戸籍はいつの間にかハイデマンになってるし…店の権利までキナさんになってるのよ? どうやっても初めから嵌めるつもりだったとしか…。どこかの誰かが策謀したとしか思えないわね」
キナ?
戸籍の件はギルドではないようだ。
と、すれば…
「とてもじゃないけど、キナさんに返せるはずもないし…あいつの下種な趣味に手を貸す気もなかったからね、ちょっと手を加えさせてもらったの」
ヘレナ曰く、キーファがキナの困窮をどこからともなく聞きつけて、キナの借金を整理することに託けて、破産に追い込もうと画策したらしい。
ま、キーファ以前にも、既に誰かが噛んでいたようだが…
最早その辺は、誰も彼もがキナを食い物にしようと集りに集った結果で…あえて言うなら全員悪い。
そして、根本的なところでは──キナのせいでもある。
人の悪意を見抜けず、甘い考えでいたからこうなったのだ。
自分にどれほど価値があるかも知らず、虎視眈々と狙っているものがいたと気付けなかった。
それを放置した俺とエリン…───俺たちの責任でもある。
合法的にキナを手に入れたければ、破産させればいい。
そして、逃散を防ぐためにも枷を掛ければいい。
…すなわち、ハイデマン家の絆だ…
キナはそれを捨てられない。
それに縋りついている。
だから、
我家を枷に、
名前を鎖に、
借金を杭に、
飼ってしまおうということ───
王国で破産したものは、あらゆる権利を失う。
命まで奪われることはないが、持ち物は家はもとより──靴下から髪の毛一本まで、債務者の権利となる。
そのうえで、あらゆる手段で金を返すことになる。
尤も返せるわけもないので、男性なら大抵…鉱山で死ぬまで労働。
女性なら、見目が良ければ娼館で働いて返済するか、侍女として死ぬまで労働──まぁ、女性のほうが、まだ返済の可能性はある。
と、そう言ったシステムだ。
命はとらないし、奴隷でもない。
ないが、名称が違うだけで、権利は全て債務者の物となる。
「破産する」とはそう言ったものだ。
キナが破産しなかったのは、ヘレナの尽力らしい…
──とはいえ、先延ばししていただけの様な気もするが。
そこを確かめよう。
「だが、あんな金額が──田舎の場末の酒場の収入で、返せる宛等ないことは知っていたはずだ」
ヘレナはバズゥをじっと見ると、
「わかってるわよ。キナさんには無理だし、酒場でもどうにもならない…けれど、」
けれど…?
「ハイデマン家は、勇者を輩出した家よ? 勇者が帰ってくるなり、お金を送金すれば解決する。そう思っていたのよ」
ぐ…
…たしかに、キナの事情を知っていれば、とっくに手を打っている。
──それができなかったから、こんな状態になってしまったのだが…
「だけど、いつまでたっても連絡は来ないし、送金の形跡もない。正直、私も頭を抱えていたのよ」
そういうと、腕を組んでバズゥを真っすぐに見据える。
「だけど、貴方が帰ってきてくれた。そこは感謝するわ。でなければキナさんは、もう持たなかったと思うし――」
青い顔をして俯いているキナ。
「本当にギリギリだったと思うわ。返済計画があるから、強引に破産にはできないけど…心が、ね」
キナは本当に瀬戸際だったのだろう。
今、彼女はガタガタと震えている。
小さな体を、手で精いっぱい隠すように掻き抱きながら、震えを止めようとする。
…バズゥが帰ってくるまでの事を思い出しているのだろう。
粗暴な冒険者。
色目を使う上司。
助けてくれない周囲の人々。
誰もいない…小さな、寒い、寂しい家。
そうだよな…こんな子が一人で耐えられるはずもない。
いや、よく耐えていたと思う。
逃げもせず、
叫びもせず、
命を絶とうともせず………耐えていた。
家族を信じて───
震える小さな肩にソッと手を置く。
ゆっくりとだが、震えが治まっていくのが目に見えてわかった。──安心しろキナ…
「そう、か。面倒をかけたようだな」
フッと相好を崩したヘレナ。
「いえ、私も結局はキナさんを追い詰めただけ、他にやりようはあったかもね…」
例えばぁ~…直接、ハイデマン家に借金を押し付けるとか、ね。──とヘレナは冗談めかしていう。
確かにその方が、解決は早かったかもしれない。
だが、まさか手紙が両方とも握りつぶされるなど…誰が、予想できようか。
いずれにせよ、この借金の話や、送金、手紙の抹消などは、もっと根深い所に問題がある気がする。
誰かが黒幕なのではなく───
腐った社会構造に起因する何か。
いや、もちろん誰かが糸を引いていた可能性はある。とくに漁労組合は何か知っているかもしれない。
…下手をすれば諸悪の根源の可能性も。
「まぁ、とにもかくにも、これからはバズゥさんが協力して返済するということね?」
「そうだ」
ヘレナは柔らかく微笑み、
「よかったわねキナさん」
そっと、キナの頬に手を触れる。
「は、はい…」
ツツと一滴だけ涙をこぼしたキナは、無理にでも笑って見せた。
「で、依頼の件ね」
「あぁ」
ヘレナが背後のボードを指さす。
「アレが公募している依頼よ。あれなら、いくらでも持って行って構わないわよ」
──全部でもね。と冗談めかして言う。
さすがに全部は無理だ。
なるべく近傍の依頼か、ポート・ナナンでもできる依頼に絞りたい。
その旨を伝えると、
「いいわよ、こっちで選別してあげるわ」
そうなると問題は依頼金をどうするかだ。
依頼者は、全額を前金でギルドに支払う。
ギルドは、このうちギルドの収入と冒険者に祓う報酬に分けるわけだが、当然このギルドに持ち込まれた依頼料は、このギルドが管理している。
依頼を回してもらうのは良いが、その依頼料まで回してもらうにはどうすればいいか。
……毎回、カメに運ばせる?
まさかまさか。いくらなんでもそんな危険なことはできない。
カメ自身の信頼感もさることながら、途中で事故にでも遭われたり奪われでもしたら大損だ。
「まぁ、その辺はポート・ナナンで冒険者の報酬を肩代わりしてもらって、───後からこっちで支払う形にするしかないわね。その際はキナさんか、バズゥさんに渡すということでいいかしら?」
依頼書の写しを持っていき、達成を証明してみせればあとからその依頼料を回してくれるということらしい。
当面は、自前の資金で冒険者に報酬を払うことになるが、この方法が現実的だろう。
一週間に一度くらいはここに来る必要があるだろうが――
「分かったそうしてくれると助かる」
「いいわ。ウチもダブった依頼を捌けるのは助かるの」
別に、救済のためにやっているわけではなのだろう。ただのビジネスだ。
依頼を達成できなければギルドの信頼に関わる。
いつまでたっても仕事を終えない人間を誰が信用する?
きっと、そのうち誰からも相手されなくなるだろう。
そのため、ギルドは何とかして冒険者に依頼を受注させようとする。
まんじりと公募しているだけでは達成できなので、窓口で割り振っているのだ。
つまり、強引にでも冒険者に仕事を割り振ったバズゥのやり方はある程度正しかったのだろう。
──あくまでもある程度、ね。
無理やりやらせても達成できるかどうかはまた別の話だ。
ちゃんと適性を見て受注させる必要がある。
そういう意味では─────ヤバイ…あいつらがちゃんとしているか心配になってきたぞ…
急に心配になり始める心を、グッと抑えて、依頼を受け取っていく。
素材回収系のクエストやら、護衛、短期労働、村近傍の討伐依頼、その他諸々を受け取っていく。
そして、今回分の前金を受け取ると同時に、依頼元の変更を通知してもらう。
ギルド間のやり取りなので、この辺の手間に対して手数料などが発生しないのがありがたい。
やり方と受け方をカメに教えていく。
本来なら冒険者にすぎないカメに、依頼書とはいえ──未達成の依頼の書かれた大事な書類を運ぶことはあり得ないのだが…
なんと、ヘレナによってカメ君は晴れてフォート・ラクダのバイトに昇格した。
よかったなカメ。安定した収入が入るぞ!
だが、主な勤務地はポート・ナナンと明言されてしまっている。
このギルドの中のバイト勤務ではなく。配達人のような労働条件となってしまった。
とは言え、カメのバイト代はフォート・ラグダのギルド持ちだ。これはちょっとありがたい。
ヘレナなりの配慮ということらしい。
ヘレナさんマジぱねっす。
依頼の張られた掲示板も気になったが、今は手元のある依頼だけで手いっぱいだ。
ギルド経営が順調にいけば、この辺の依頼も考えてよいだろう。
長期間張られているだけあって、依頼料は高い。
それだけ達成が困難なのだろう。
ついでにバズゥのギルド証も発行してもらう。
さして時間を掛けずに、小判型のギルド証が作られた。
どうも一番下のランクらしい。
鉛のような金属で作られたそれは、如何にも安そうだ。
特に何を誇るでもなく、名前と登録地だけの素っ気ないソレ。
一応、認識番号のようなものが刻まれているが、ただの製造番号らしい。
全然興味が沸かねぇな。
通された紐に指をかけヒュンヒュンと回しながら、そろそろ帰るべきだなと踵を返す。
さて、行くか。
「カメ、覚えたか?」
覚えるも何も、ヘレナか他の職員に業者用受付で依頼を貰うだけなので、訓練した猿にもできる内容だ。
「問題ないでス」
ニカっと笑う様が、ちょっとイラっとくる。
こいつ、バイト代前払いでもらって調子に乗ってやがる。
言っとくけどな───
それ帰ったら即没収だかんな。
飯代の足しにします。
…
あ!
やべぇ忘れるとこだった。
「ヘレナさん実は……」




