蛇足
『愛で人を殺せるなら、憎しみで人を救えもするだろう』というフレーズにピンと来た方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。それです、それ。某アニメ。
もしかすると逆説とは、新たな価値観を見出す足掛かりになるのでは、と私は思うのです。『愛は地球を救う』だとか、『正直者はバカを見る』だとか、『99%の努力と1%の閃き』だとか。そのくだらない俗語の逆説は成り立つか、なんて。
そんな考えが、文学的大海原へと貴方を誘い、抗い難いカタルシスへの欲求を満たす第一歩になるやもしれません。
さて、前置きが長くなりました。
今回の作品は貴方のお口に合いましたでしょうか。
本来であれば、この結末は人が紡ぐ無限の欠片に委ねるつもりでありました。一つの物語を食べ、全ての人間が同じ感想を抱く事は有り得ません。それは似ていて、非なるもの。故に、貴方それぞれの結末を想像して頂きたかったのです。少女は復讐を果たすのか、果たさないのか、と。
しかし同時に『作者なりの結末』を提示しない事は物語の終焉を放棄したも同然では、とも考えました。
故にこれは蛇足。蛇に足が無いように、この物語には不要な物でございます。
しかし。
しかし、無限に広がる欠片の一つとして、とある世界線の、くだらない結末をご賞味あれ。
天に輝く月を、星が瞬く満天の夜空を、人はきっと見上げて息を呑む事だろう。町の住人達も、城の王族も、きっと旅人であっても。
手を、足を、口を、思わず止めて空を見上げれば。煌めく星空に心を奪われ、満たされ、癒されるのだろう。
「どうして……」
その星空の、その向こう側。行ってしまえば戻れないあの場所で、かつての親友は笑って見ているだろうか。
「どうしてなんですか……?」
目の前で立ち尽くす、少女の心は乾いていた。あの夜空にさえも、癒せぬ傷はある。落ちる流星にどれだけ願っても、死んだ人間は戻っては来ないのだ。
「どうしてソレを私に言ってしまうんですか!!!」
下を向いたまま叫ぶ少女の表情は見えない。ただ、震える声から怒りの色が滲み出ていた。それは身近に接していながらも見抜けなかった悔しさなのか、親友でありながら兄を殺した怒りなのか。
それとも、両方か。
「それが、俺の果たすべき責務だからだ」
俺は立ったまま、目の前の少女を見つめる。『秘密』は墓まで持って行かねばならない。少女の為にも、唯一無二の親友のプライドの為にも。
「俺はお前の兄を殺した」
その一言で、少女の体がビクンと反応した。だが、それっきり動かない。
「だから、お前は俺を裁く権利がある」
だから、俺は。その右手に、腰に刺している剣を引き抜いて握らせた。そして下を向いたままの少女の両頬右手で掴み、無理矢理に顔を上げさせる。
少女は泣いていた、声も無く。背中に這い寄る罪悪感が寒気を起こす。俺はそれを押し殺して、怒鳴った。
「お前は何のために剣を振るってきたッ。お前の、一番大事な兄を殺した奴を、殺す為だろうがッッ!! それとも何かッ、お前の兄へ対する想いはその程度であったのかッッッッ?!」
その顔が、涙でぐしゃぐしゃになって。それでも少女は、己の奥歯を確かに噛みしめた。目にいっぱいの涙を溜めて、それでもその瞳は揺らぐ事無く俺を睨みつけた。
バッと振り払われる右手、押し殺していた声が耐えきれなくなったように漏れ出す。
「そうだ、それで良い。過去に囚われるな、ここで断ち切るんだ! そして、未来へ進――!!!」
その瞬間、少女は振るった。己の左手を。
まるで遠い場所で、パチン、と乾いた音がしたように感じた。
「いい加減にして下さいッ!!!!」
頬に痛みは無かった。俺は、叩かれたのだ。少女の左手に。
「過去に囚われているのは先生の方でしょう?! 私が剣を振るっていた理由は、過去の為なんかじゃありませんッ!!」
少女は、剣を落とす。
「私は、怖かったんです。先生は言いました。『お前の復讐を遂げるまで、俺が面倒をみてやる』と。時間は掛かりました。それでも先生が、あの子がいてくれたからこそ、私は兄の死を乗り越える事が出来ました。ですが、復讐が成し遂げられれば、私はどこへ行けば良いのでしょう。血に穢れた私を、誰が迎え入れてくれるのでしょう」
少女は静かに近付いて、呆然と立ち尽くす俺の背中へ手を回して胸に顔を埋めてくる。
「先生、私は知っています。兄が『自殺』したことも、兄の『愛が仕組んだ憎しみ』のことも」
「何故、それをッ!?」
思わず声が裏返った俺に、顔を上げた少女は笑った、涙でぐしゃぐしゃのまま。
「全部、織り込み済みだったのでしょう。あの時の私の決意から、今の先生の行動まで」
そこでようやく、俺はその真意を悟った。少女の兄が、俺の親友が全てを仕組んだのだ。何から、何まで。ハッピーエンドで終わるように。
「先生。どうか、私から『家族』である理由を奪わないで……。お願い、どうか……今のままでいさせて」
背中に回った少女の手に力が入る、離れる事を拒むように。
それに対して、俺は。
「あぁ、なるほどな……」
俺はかつて、悟った。『愛が人を育むのだ』と。そして、親友は言った。『アイツは愛されてるからな』と。図らずも目から涙がこぼれる。その真意を、理解して。
「帰ろう」
そう、少女に言う。ゆっくり顔を上げた少女に、俺は泣きながらも、笑って見せた。精一杯の強がりだった。
「理由なんて気にするな。建前なんていらない。体裁なんてくだらない」
なぜなら。
「俺たちは『家族』だろう?」
月光の下、誰もいなくなった草原に忘れ去られた一振りの剣が突き刺さっている。満天の輝きを反射し、キラキラと光る刃は、しかしとある少女にはもう不要となったものだ。憎しみ以外の何かで強く結ばれた家族と引き換えに。
どこかで誰かは言った。愛で人は死ねる、と。それならば、憎しみで人を生かせるはずだ、と。
それは確かに的を得て、だが正鵠を得てはいまい。
そう、正しく言い換えるならば。
愛は人を生かす。
そもそも――愛が人を救わない道理など無いのだ。