06
ざわざわと朝の喧騒に満ちた朝の教室。
いつものように席について、いつものように教科書を開く。
今日の1限は日本史。それも小テストがある。
社会科の授業は日本史と世界史の選択で、世界史の生徒は別の教室にいき、日本史の生徒はこの教室に集まる事になっている。
授業が行われるのが本来自分の在籍する伍組の教室で、その上席は自由。
それをいいことに、茨木 伊吹は自分の席を動くつもりはこれっぽっちも無かった。
…少なくとも、般若顔をした葛を見るまでは。
「相変わらず、勉強熱心だな…伊吹…」
「あ…へぁ!?え…あ…カ…カズ…?」
なんだか賑やかな音がするなー、とぼんやり思っていた伊吹だが、その音の主が教室の入り口から、まるで恨み言を言うかのように友人(葛)がおどろおどろしく自分に言葉を投げかけたのだ。
驚くなという方が無理だ。
そうとう苛立っていたのか、あるいは伊吹の態度に傷ついたのか。
葛は口を尖らせて文句を言いながら伊吹の方へとやってきた。
「…あんだよ、そんなお化けみるような目で見やがって…」
「い、いや…随分遅かったね?」
いつもなら僕に小テストのこと聞いてくるのに、と伊吹はおとなしい顔に冷や汗と苦笑を浮かべた。
そんな伊吹の視線を受けて、葛は「いろいろあんだよ」と深い深いため息を吐いて伊吹の隣の席へと座る。
「カズ、疲れてる?」
「おぅよ。……おっそろしい面倒な問題を押し付けられた…」
「……?誰に?」
「ナイショ」
「うーん…?」
葛が言いたくないというのを感じ取ったのだろう。
伊吹は納得いかなそうだったが、すぐさま視線を教科書に戻した。
葛はそんな伊吹の横顔を見ながら、呆気なく放置されたことに不満をもったのか、自嘲するかのように「けっ」と呟く。
伊吹はそっけないが、それは伊吹なりの優しさで、葛はそのそっけなさ具合にかなり救われている面が強い。
言うのを躊躇うと、伊吹はすぐに話を切り上げるので、愚痴も気兼ねなく話せてしまうのだ。
ちなみに伊吹は葛がこの高校に入ってからの付き合いで、氷牙たち裏関係のものを抜けばもっとも親しい普通の人間だ。
潔癖症なのか、常に白い手袋をしており、とびきり!というわけではないがそれなりに整った顔をした穏やかな男。
その雰囲気ゆえか、居心地が良く、いろんな事を話してしまう。
ただし裏風紀のことは普通の人間には内密だというのは暗黙の了解で、自分が半妖であることは秘密にしているが。
…まぁ、言ったところでこんな現実味の無い話、信じはしないだろう。
「なぁ、伊吹ー、ヤマ教えてーーー」
「はいはい。ちょっと待ってねー…」
とりあえず、今日の敵は目の前の小テストだ。
葛はそう頭を切り替えて、別の敵の存在は頭からしばらく抹消することにした。
数分後、それを死ぬほど後悔するのを知らないで――
********
基本社会科目は暗記が物をいうというが、はっきり言おう。
大前 葛。
強敵を目の前に……名誉の戦死を遂げました☆
即ち、小テスト…散・々。
いっそ紙ふぶきにできるほど細かく裂いてやりたい衝動を抑えながら、葛は採点された小テストを見た。
……0点ではないが、部分点で小数点数。
これは酷い。
あまつさえ、間違えは漢字の間違え。
……社会だけでなく、国語も怪しいものだった。
「………っふ。いいんだ。別に。歴史の人物なんて覚えてなくたって生きていけんだよ。ドチクショー…」
「はいはい。だったら予習・復習はきっちりやろうねー。」
机にうつ伏せになる葛を、伊吹が宥めるように声を掛ける。
そんな伊吹に背を擦られつつ「……暗記は嫌いだ」と葛が呟けば、すかさず「好き嫌いは良くないよ?」と伊吹が応えた。
まるで母親だ。
「なー、伊吹ー…なんか暗記のコツってあんのかー?」
「…コツ…ねぇ…?」
うーん、と指を唇に当てて考え込む伊吹
そんな伊吹の隙をついて、葛は伊吹の答案を盗み見た。
35点。
「…伊吹こそ、ちゃんと予習してんのかよ。」
50点満点のテストなのだから、単純に2倍計算しても、70点。
予習をしろやら何やら偉そうな事を言っていたわりに、普通過ぎる。
「え?…あ!カズ!!!見るなよ!ばか!」
別に赤点じゃなきゃいいんだよ、と伊吹がさっさと答案をしまったので、葛もそれに倣う。
周囲を見れば授業に入るようだったので、葛は教科書を適当に開けて隣に座る伊吹に顔を向けた。
伊吹はまるで咎めるかのように葛を睨んでいたが、残念なことに葛にはあまり怖いと思えなかった。
「だいたい、学校の予習復習は社会生活に出る時に問題なく過ごせるようにする予行練習みたいなものだから、点数はどうあれ、習慣づけることの方が大事なんだよ」
「……お前、教師敵に回したな。」
「覚える気無いカズだってお互い様だろ?」
基本日本史は暗記科目なので、時折ある小テスト以外は雑談の時間だ。
一応、教師には申し訳ないとは思う。が、もはや慣習になってスルーされていることの方が多いので、教師も諦めているんだろう。
中にはそれをいいことにテストだけ受けて即サボりな奴もいる。
さて、これから他愛無い雑談でも楽しもうか、という時に後悔は訪れた。
授業中にも関わらず、ガラッと勢い良く開け放たれる教室のドア。
そこに居たのは――
「授業中、失礼します。」
「な、何かね。いったい…」
こうも授業を堂々と中断されたのは初めてなのか、初老の教師は入り口に現れた人物に驚き、さらにその顔をみてたじたじとなったようだ。
そんな教師に相対するのは、一房だけ白い金色の髪に、完璧なまでに美しいと思われる――今葛が一番見たくない、顔。
美晴 陽。
彼は教師に柔らかく微笑むと、教室を見渡して、葛を見つけると嬉しそうに破顔した。
陽だまりのような、笑顔というのだろうか。
その笑顔に惚けてるクラスの面々がちらほらいる。
勿論、葛はそれに含まれていないが。
「……………………………………………………………………。」
「………カズ?すごい引き攣った顔して…どうしたの?」
もはや面倒が自分を離しそうにないというのに気づいて、葛は頭を抱えた。
(あぁ、本当に面倒きわまりない…!)
そんな葛を見た美晴は、そっと唇だけ動かした。
その様をみた葛は、伊吹の宥めるかのような声も届かず、何故か美晴の声無き唇だけの言葉が頭に響く。
『逃がさないから、ね』
その言葉は短く、そしてそれを呟いた美晴の目は酷く感情の篭った物のようで、葛は背中に汗が流れるのを感じたのだった。