05
葛が名乗った瞬間、目の前の転校生は目を瞬かせる。
ついで少し考えた後、今度はにっこりと完璧に笑って葛に語りかけた。
「カズラか…いい名前だね?」
「そりゃ、どーも」
「…ね。もしかしてカズラって葛って書くの?」
「……そう呼んだらぶっ殺す」
「ふふ。そうなんだ?」
人外を惹き寄せる、とかそれだけしか言われていなかったから、葛は転校生の外見の美醜なんて考えていなかった。
転校生の美晴は、なるほど人にしておくには勿体無いくらい美しい外見をしている。
陽の光を集めたような金髪に、アクセントに一筋の白いメッシュ。
スッキリした目元は好奇心にきらきら輝いており、一見すると人懐っこいそれに見える。
でも、いまさら完璧に笑っても、第一印象の嫌な予感は拭えない訳で。
葛はすぐさま美晴の手を離そうと振るが、美晴は笑顔を留めたまま、むしろその力を強くしてきた。
己の意思を無視するようなその行為に、葛はぴくりと眉を動かした。
「……で、いい加減放してくれない?」
「放したら逃げるくせに」
「あたぼーだ。コノヤロウ」
「ふふふ」
何が面白いのか。
見るからに機嫌の悪い葛を見て、美晴はただ笑うばかりである。
「ちょっと、あきちゃんっ!ボクを置いてけぼりにしないでよーぅ!」
「あ、ふーちゃん…待って…」
葛と美晴が見つめ合って(否、葛は睨みつけて)いると、それを妨害するように美晴に飛びついてくる小さな影。
その衝撃で手が外れてくれないかと思ったのに、しぶとく美晴は葛の手を外さない。
ちっ、と葛は心の中で舌打ちを打つ。
ついでに新たに寄ってきた厄介な種にも舌打ちを打ちたかった。
そんな葛の心情を知ってか知らず、美晴は飛びついてきた人物に苦笑を向ける。
「何、風鹿。俺は今運命の出会いをしてるかもしれないんだけど?」
「ぶーぶー!そんなの、知ら~ない、もん!」
(全くだ。んなの俺も知るか!)
勝手に“運命の出会い”にさせられてはたまったものではない。
心の中で賛同しつつも、葛はちらりと闖入者を見やる。
まるで炭のような色合いの髪をぎゅうぎゅうと美晴に押し付けて、闖入者こと、聖 風鹿は白い頬をむくれさせていた。
カラコンかと思った金の目は驚いたことに自前である。
(…って、人間じゃないんだから別に驚く必要は無いな…)
聖の姿は、けっして美形と言う訳ではない。
けれど、ころころ変わる表情だとか、甘えてくる雰囲気だとか、そういうのをひっくるめて可愛らしいと感じるタイプの少年だった。
「ほんっと、あきちゃんってば、目離せなーい。こんなの放って置いて、ボクと遊ぼ?」
袖をひっぱり、首を傾げ、唇を尖らせて訴えても、美晴は笑みを浮かべたまま聖には頷かない。
そんな美晴に痺れを切らしたのか、ふと熱を帯びた視線で聖は美晴を見つめて、囁いた。
「ねぇ…、ボクの上に乗ってみたくない?」
(…うわぁ…)
それはあれか。所謂夜の誘い文句系なアレか。
そういう台詞はもっと目立たないところでやって欲しいものである。
しかも授業開始直前のこんな人のいる教室で、よくも恥じないもしないものだ。
その上、こんなに堂々とモーションをかけては、他の取り巻き達に睨まれる事必須であるというのに。
事実、転入生に捕まっている葛自身、亘理や天織からの視線が、痛い。
(…って、どうやらコトは“裏”だけじゃないようだけど…)
ふと気に留めていた4人以外からの視線を感じ、改めて周りの人間を見回すと葛は自嘲のため息を漏らした。
ある者は眉を潜め、ある者は妬ましいというように睨み…
ぱっと見ただけで自分に向いた敵意の数がかなり多い事に気づかざるをえなかった。
………どうやら、美晴は人外だけではなく、人間たちにも魔性の存在のようだ。
だが聖の言葉に真っ先に慌てたのは、言い寄られた美晴本人ではなく、ずっとおとなしくぬいぐるみを抱えていた、もう一人だった。
「だめ…!みはる、ダメだよ。Yes、っていっちゃ、だめ…!」
「メル、邪魔。」
「ふーちゃ…!!」
ぎゅ、っとさらに美晴に抱きつく聖に、メレディスはどんどん真っ青になっていく。
ちなみに美晴は相変わらずにこにこと笑っているだけだ。
…無論、葛の手は放さずに。
そしてその背後で、それまで静観…というか遠くから敵意を飛ばしていた2人が美晴と聖の方へと近づいてきた。
「聞き捨てなりませんね。聖 風鹿。私の陽になんですって?」
「ちょっと、陽はオレの獲物なんだけどー?横取り止めてくれないー?」
「は?ナニソレ。あきちゃんはお前のじゃないだろ。この腐れ淫魔」
「ふ、ふーちゃ…」
(あぁ、どんどん面倒くさくなっていく…)
天織が聖の手を取り、美晴から遠ざけ。
美晴の肩に手を回す亘理。
そんな亘理に忌々しげな視線を投げる聖に。
そんな聖におどおどしながら声を掛けるメレディス。
4人の纏う空気は平穏とは程遠く、確実にこのままだと面倒くさい展開に突入してしまうだろう。
…いや、今のままでも十分面倒くさいのだが。
どうにかならないもんか…と葛がひっそりと頭を悩ませていると、タイミングよく天の女神が微笑んでくれた。
曰く。
キーンコーンカーンコーン…
「あっ。予鈴だ!じゃぁな!」
いつもは授業の訪れを予告する忌まわしい音、と思ってたけど、このときばかりは大感謝だと葛は喜んだ。
これ以上無い口実に、葛は今度は腕をさっと外側に回して美晴の腕を外す。
腕を掴む構造上、そうすると外れやすいといつか誰かに聞いたのを思い出したのだ。
「…っ クズ…っ待っ…」
けれど。よほど反射神経がいいのか、もしくは葛が鈍いのか、美晴はもう一度葛の腕を掴む。
が―ー
「…どぁれがクズだ!!!あ゛ぁ゛ん!?」
葛のその台詞と同時に、青白い炎がぼっと一瞬美晴の腕に灯った。
散々糞ガラス――基い八咫にクズ呼ばわりされてる葛にはその呼び名は逆鱗に等しく。
葛の前世の名残に残ってる妖力が怒りに反応してしまった結果である。
つまり、狐火。
「…っ!!!」
驚きと、おそらく熱さで、おもわず美晴は葛の手を放し、葛はその隙に脱兎のごとく自分の教室へと走ったのだった。
「大丈夫ですか?陽…!」
「っく、陽!手ぇ、見せろ…!」
振り払われた手を心配してか、美晴に近寄る天織と亘理。
一方、葛の狐火をばっちり確認した聖は、呆然と走り去っていった葛の消えた廊下を見ている。
「みはる、て、だして」
いつの間にか濡れたハンカチを手にしているメレディスも、葛の狐火を目にしていた。
そして、狐火を当てられた美晴は――
「……ふ、ふふ。大前、葛…クズ、狐火……ふふっ」
「……みはる…?」
「まさか、こんなに早く会えるなんて……嬉しいよ。」
「 」と俯いた美晴に、一番近いメレディスだけがその呟きに目を見張る。
一方その頃。
「あぁっくっそ、マジうぜぇ…!!!!」
「!?」
すれ違う人みんなが、葛の顔を見るなりぎょっとして視線を逸らす。
何度も言うが、もともと感情を抑える気などさらさら持ってない葛だ。
不機嫌であればあるほど、その様子は酷いものとなる。
やがて後に生徒はこう語る。
ある日、狐顔の般若が校舎を駆け巡っていた、と。
そしてそれが後に七不思議のネタに昇華されるなんて、今は誰も知らなかった。