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しかし、別室に行ったとばかり思っていたメレディスの姿は何処にもなく。
疑問に思った慧が充に尋ねると、晴れやかな笑顔で「あ、追い出したしちゃった」と答えた。
聞けば、葛が泣いているのを見て安直に「敵だ!」と思ったらしい。
本当は息の根を止めるくらいの事はしたかったのだけれど、そんな力は持ってないから、家の外にほっぽりだしたとのこと。
おまけにこの家にたどり着けないように、家をメレディスから隠したとも言う。
「大丈夫!カズ君を泣かせる奴はこの家に入れないからね!絶対に!!」
そうして葛に「誉めて!」とばかりに詰め寄る充に、葛は絶句する。
家に憑いた妖怪の護りは強力で、敵とみなした存在が辿り付けない様にするのは容易なことだ。
そしてその護りのことを「家を隠す」と言う。
この調子では、メレディスが自力でこの家を訪れることは無いだろう。
「どこに放り出したの」と聞けば「天原学園の近く」と答えてきたから、メレディスが学園の寮に戻ったと信じよう。
しかし短絡思考に頭が痛くなるとはこの事で、頭を抑えながら慧が激怒するのはしょうがなかった。
「この考え無しのお馬鹿ーーーー!!」
「ひゃっ!!」
怒りのあまり、慧のコメカミから羊のように曲がった角が現れ、背中からも熱を孕んだような赤く輝く鱗に覆われた龍の翼が現れる。
ミニスカートからは同じ鱗に覆われた長い爬虫類の尻尾が生え、鱗に覆われた手も炎のように赤い。
まるで悪魔のような風貌になった慧を真正面からみて、充は悲鳴と共に姿を消した。
否、消したのではなくて充が居た場所に、尾が二つある小さな子狐がふるふると震えていた。
慧の怖さに変化が保てなくなったらしい。
すぐさま子狐は葛の後ろへと避難し、足元から慧をぷるぷると伺っている。
その様は大変可愛らしい。が。
こんな小さな子狐が、自分よりも年上の大学生に化けているのを、なんだか理不尽に感じる葛だった。
さすがに慧も小さな子狐姿には怒りは持続できないようで、大きなため息を一つ着くとみるみるうちに龍の風貌は消えていった。
「……充さん、その姿は卑怯よ。まるで虐めてる気分だわ……」
「きゅー…」
故意か無自覚かは判断できないが、葛の足元で反省したように肩を落とす子狐。
そんな子狐の姿を見て、慧も己のつっぱしった部分を思い出したらしい。
額を抑えながら考えるようにつぶやいた。
「まぁ、充さんもカズ君の事想ってやった事だけどね…でも、何かする時は必ず言いなさい。周りの考えをよく考えなさい。そう思わなくても、力の強い人外の邪魔したら危ないのは充さんなんだから。あ、カズ君もね」
「きゅー…」
「あ、うん…?」
まさか自分の方にも飛び火してくるとは思ってなかった葛は気の抜けた返事をする。
そんな葛に「わかってるのかしら」と呟いたあとに「あー、やだやだ!」と手をぱたぱたさせて近くの部屋の時計を見た。
「あら、もう15時ね。なんだかんだお昼食べそこねちゃったし…ちょっとおやつでも作りましょうよ。ついでに夕食も作っちゃいましょ」
「おやつ!」
おやつという言葉に、萎れていた子狐は元気を取り出して再び青年の姿に戻る。
耳と尻尾が残ってるのは、それだけおやつが楽しみなんだろう。
今まで足元に居たせいで、そのまま人間に化けた充は葛よりも背が高いせいで背後から寄りかかる形になっている。
正直、とてもうざい。
「……今から?早すぎない?」
いくら中身子供とはいえ、葛は充の実年齢が己より上であるのを知っている。
なので、遠慮無く背後の充を引剥がえしながら慧に尋ねる。
そもそも、人外の食事というのはそれぞれ異なるので、実は料理をする必要のあるのは葛だけだ。
人間の食事も摂取できるにはできるが、人外にとって嗜好品みたいなものらしい。
氷牙は付き合って食べてくれるが、他の人外は思い思いに気が向いた時だけ一緒に食事を取っていた。
「私も食べるし、もちろん、充さんも食べるわよね?だったら、その分多く作らないと!」
「うん、食べる!食べる!」
「――充さん、ステイ」
「きゅーん…」
きっと、これも慧の思いやりなんだろうな、と慧と充の漫才|(?)を眺めながら葛は吹き出した。
人外は厄介な存在だけれど、こんな人外もいるから自分は嫌いきれないんだろうな。
薄くなった胸の痛みに、葛はそんな事を思った。
その後、ひと通り夕食を作り終りあとは並べるだけという頃合い。
何故か疲労困憊の見るからにボロボロになった氷牙が帰宅したのが聞こえて、葛は玄関へと出迎えに行った。
「おかえり」と呟く葛の目元が腫れているのを見ると氷牙は眼を見張って一直線に葛に駆け寄る。
「葛君…!!何かあったんですか、どうしたんですか。こんな顔して…!」
「……」
氷牙こそ、なんでそんなボロボロなんだよ…と呟く前に氷牙にきつく抱かれる。
相変わらず、雪男の氷牙は体温の感じない冷たい身体のはずなのに、抱擁は暖かくて、葛は言葉無く腕を背中に回す。
解けないと困っていた糸が、思いのほかあっさり解けたような、そんな感覚だった。
しばらくそうしていると、戻ってこない葛に焦れたのか様子を伺いにきた慧が顔を出した。
氷牙を認めると、きらきらと瞳を輝かせて恋する乙女(?)全開にハートを飛ばす。
ついでに興奮のあまり慧の周囲の空気が若干暖かくなったのは気のせいじゃない。
そしてそれに気が付いた氷牙の顔面が蒼白になっていくのも、気のせいじゃない。
「氷牙さーん!」
「…げ。け、慧君…!」
一方、慧の姿を見た氷牙は後ずさりをする。
雪の化身である氷牙に火の化身である慧は恐怖でしかない。
「もう、カズ君ばかりずるーい!私もぎゅーって!ぎゅーってしてー?」
「い、いえ…その…」
「氷牙さんったら、ボロボロね…癒してあげるわ。私のあっつーーーいあ・いで☆」
「あ…っあついのは結構ですーーーーーーッ!!!」
「いやん、氷牙さんのいけずー☆」
帰ってきたばかりなのに、青くなって外へと逃げる氷牙と、それをきゃっきゃと楽しげに追いかける慧を呆然と見送っていると、服の裾を引っ張られているのに気が付いて、葛は後ろを向く。
そこにいたのは、自分より図体の大きな充で、まるで叱られた子供(実際そうなのだが)のようにしょんぼりとしている。
「カズ君、あの…ごめんね、僕考えなしで…」
「………」
「…カズ君?」
なんでもないよ、と呟く葛の口元は綻んでいた。
「さ、夕飯の準備の続きだ。手伝いをしろよ」
「うん…!ジルさん呼んで来るよー!」
「氷牙と慧さん、いつ帰って来るかなー…」
なんだかんだ言って、慧が氷牙に害するようなことはこの7年間で見たこと無いので、葛はとりあえず二人が夕飯の時間に遅れたら一品抜こう、と考えていた。
不安だらけの学園生活だが、アパートに帰ればいつも通りだと気がついた葛は安堵に頬を緩めたのだった。




