09
美晴に連れ去られて、電波とは判明して、伊吹と氷牙に助けられて、気を失って。
葛がぼんやりと目が覚めたのはうっすらと薬臭い、保健室のベットの上だった。
「葛君…!良かった。気分はどうですか?」
葛が首を動かして周囲を確認する前に、あれからずっと着いていてくれたのか氷牙が心配そうに覗きこんできた。
「……さいあく…。いま何時…」
「2限が10分ほど過ぎてますね。大体1時間半くらい寝てました」
「……うっわぁ…」
美晴に連れされたのが1限のはじめ。
1限に続き次の授業も出席できないな、と頭を抱える。
いかんせんこのまま起きても授業が頭に入らない自信がある。
優等生というわけではないが、なんというか自分の意思と関係なく出席できないって何か癪だ。
そんな葛の耳に「まぁまぁ」と穏やかな声が入ってきた。
「授業のことなら大丈夫だよ?だって2限は氷牙君の授業なんだから、自習だよ。自習」
「……伊吹?」
「うん。おはよう、カズくん」
にっこり。
「あー…?………いやいやいやいやいや」
伊吹の笑顔に一瞬頭が真っ白になったが、葛のフリーズしていない頭の部分がすかさずツッコんだ。
な ん で 伊 吹 が い る の ?
いや、そもそも屋上で幻聴かと思ったけど、やっぱりいるし。
っていうか、え?氷牙のこと、今名前で読んだ?
え?どゆこと?
思わず氷牙の方を見ると、氷牙は言いにくそうに視線を伊吹に移す。
葛は そんな氷牙の視線を追って、伊吹を見る。
そんな二人に肩をすくめて苦笑し、伊吹は片手を挙げてあっけらかんと言った。
「僕、鬼なんだ」
「……」
まるで「僕、A型なんだ」と言うのと同じ感覚でそう言われ、葛は完全に頭の中が真っ白になった。
「………あ゛ぁ?」
やがて、伊吹の言葉を理解できたのか、もしくは驚いた衝撃からか、表情がはっきりしない上に声がおかしくなってる葛に、伊吹は堪えきれず噴出した。
葛の視線が一層厳しくなったが、伊吹の笑いは収まりそうに無い。
「…つーことは、何か。お前、人間じゃなくて――」
「そう、裏の側だよ。だから誤魔化さなくても大丈夫だよ。カズ」
「っちょ…!な…っ!?」
驚き、羞恥、憤り――
湧き上がるさまざまな感情――けれど、いずれも共通するのは顔が赤くなるものだということだろうか。
葛は伊吹に向かって金魚のように口をぱくぱくさせると、色んな思いの丈を詰め込んで――伊吹にベッドの枕を投げた。
気絶から復活したばかりだというのに、力いっぱい投げられたそれを、伊吹は難なくキャッチすると「恥ずかしがらなくてもいいのに」と苦笑しつつ伊吹は自分を指差す。
「カズ、裏風紀になったんでしょ?僕の事聞いてなかったの?」
「……何を」
「僕、裏風紀の要注意人物になってるんだ。氷牙君は、当然知ってるよね?」
「…………………………………………………………あ゛?」
「……すみません。その……悪気はなかったのですが…」
再び不機嫌そうに氷牙を見る葛と、その視線が痛くて顔を背ける氷牙。
伊吹は再び噴出した。
くすくすとあふれる笑いを止める気持ちも起きず、伊吹は枕を抱きしめながら葛を見やる。
枕を戻しても良かったけれど、今の葛の雰囲気からしてそれは危険だと判断したらしい。
「僕がこの学校に来たのはね。ある人から逃げてるんだけど…その人がまた危険な人で。その人から匿って貰う代わりに人間のフリしてろって言われててね。さっきはちょっと本気出して殴っただけ。」
「人間のフリって…」
「大変だったんだよー?カズの後追うの。あんな状況で人間のフリしながら教室出るの無理だし。氷牙君のお気に入りだってのは知ってたから、あとでうるさい連中丸め込んで貰うつもりで巻き込んだんだ」
「…具体的には」
「あの転入生の『魅了』を上書きしたって所かなー。限定的に能力封印されてるから、なるべく穏便にしたんだよ?」
そう言って左腕の袖を捲くった伊吹は、そこにつけてある数珠を見せる。
先ほどの美晴の勾玉とは違い、色が血のようで、妙に禍々しい数珠だが…細かいことは気にしないほうが良さそうだ。
伊吹は袖を元に戻すと「ちなみに」とまたしてもまるで今日の天気をなんとなく言うように暴露した。
「僕氷牙君より年上だから」
「……っは?」
「ついでに伊吹ってのも偽名」
「……………おい?」
「だって隠れてるんだもの。仕方ないでしょ?」
ねっ、と笑顔で言う伊吹。
にこにこと可愛らしい笑顔の親友に、葛は「っけ」と狐顔と揶揄される細い目をさら半目にした。
「…つか、人間だとばかり思ってたんだけどー。微妙に裏の話題無視するのはそのせいだったんだ?」
「ごめんねー。一応人間らしく振舞うことが条件だから、さ。」
「…ま、いいけどよー。ちっくしょー…んぁ?」
ふと、先ほどから黙り込んでる氷牙を見やると…何かおかしい。
葛が疑問に思って覗き込んでみると、氷牙は伊吹の腕を見て…なんか…細かく震えている。
正確に言えば、伊吹の腕にある、切り傷を見て。
その妙に怯えた様子を見て、葛は「…氷牙?」と語りかけた。
が、葛の声は氷牙に聞こえていないらしく――
「――んで…」
「あ?」
呟きが聞き取りにくくて、葛が眉を潜めると、氷牙は突然がばっと顔を上げて伊吹に詰め寄った。
「なんでアナタが学生なんてしてるんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「……あれ、もしかして氷牙君、僕のこと気づいてなかったの?」」
「今初めて知りましたよ…!!!!止めてください、私、あの人に言いますよ!?言いますからね…!?」
「だーめ」
「…………」
どうやら、氷牙と伊吹はもともと知り合いだったようだ。
詳しくは解らないけれど。
蚊帳の外になった気分でベッドの上でふてくされていると、保健室のドアが開いた。
「あれ、客人がいるようだから来たのじゃが…大丈夫そうじゃのう」
「…夢味…」
入ってきたのは、今朝知り合ったばかりの裏風紀の獏。
思えば、あの時獏が一言教えてくれさえすれば、美晴なんかと関わらずにすんだのに、と思うと、葛の胸中はムカつきが溢れた。
「コノヤロウ、朝はまんまと逃げやがって…」
「悪いの。儂は非戦闘員なんじゃ。期待しないでほしいのぅ…むしろ、巻き込まれる前に逃げるのは仕方ないことじゃ。」
「ッケ!!」
そんな葛の苛立ちを知って知らずか、獏は葛の顎を掴んで軽く動かす。
そこで初めて気がついたが、氷牙たちも応急処置として水で濡れた布を当ててくれたらしい。
獏はその布をはがすと、 じっくりと観察しわずかに獏の表情が曇る。
…美晴につけられた痕はそこまで酷いのか、と怒りと共に呆れが何故か沸いてきた。
そうして棚から包帯や消毒液を取り出すと、それを手際よく葛に施し始めた。
「…手際がいいな」
「一応、表では保健委員じゃからのぅ」
「ふーん…?」
「表の委員会には裏のものが動きやすいように裏風紀が一人紛れ込んでいるのじゃよ。さながら儂は、裏のものの影響を悪く受けた表の人間の応急措置係と言った所かのぅ」
「…応急措置?」
「簡単に言えば、悪夢を喰うておる。怖いものを夢に見るのが多くての。ついでに悪夢を食べるとな?大概の人間は不思議な出来事を夢幻と認識するらしいのじゃ」
「あぁ…だからアンタなんだ」
そりゃ、後処理係としては獏ほど適任はいないだろう。
獏にしてみれば、食事も取れるし、後処理できるし、一石二鳥だ。
そんな会話を交わす視界の隅では氷牙と伊吹が何やら話し合ってる。
と、いうより、伊吹が氷牙を説き伏せて、氷牙が落ち込んでいるようにも見える、が…
まぁ、この際どうでもいいや。と葛は鼻を鳴らした。
やがて手当てが終わったのか、肩にぽん、と手を置かれ、葛は獏を見上げた。
獏はその喋りと同じく老獪な笑みを浮かべて、氷牙と伊吹の視線が集まるのを待って保健室のドアを指して葛に告げた。
「そろそろ疑問もいっぱいでてきたころじゃろう?八咫委員長が呼んでおるぞ?行こうじゃないかぇ。」




