しふと1-3 奇人変人貴人
私たちが手続きを終えてアリス魔法学校の中に入ることが出来たのは二時間以上過ぎた頃でした。手続きを担当していた人達は多くの人に責め立てられたらしく、すっかり憔悴しきっておりましたので、たった一言ですがご苦労様ですと労いの言葉を掛けておきました。担当の人達の輝いた顔はなかなか嬉しいもので、いいことをしたなと自己満足に浸っています。
「まずは自分の割り当てられた部屋に行って荷物を整理したのち、19時に学生食堂に全員集合ですか」
受付で渡された紙には、学校内の簡易な地図とこれからお世話になるであろう寮と部屋番号が記載されていました。
「寮は分かれることになるから、俺が一緒に行動するのはここまでだな」
「レオルドは騎士学校ですから、校舎も違えば寮も違いますからね」
アリス魔法学校内に併設されている騎士学校は、どうやら管轄が違うようで校舎や寮が違います。少し前までは、騎士学校側にも校長やら専属教師やら学生食堂すら別に設置され、はたまた魔法科というような学科まで設置されており、予算を湯水のごとく使う二重行政のお手本のような実態でした。
さすがにこれは財政的に洒落にならんと、帝国の行政機関が本腰をあげて改善し、施設と教師、カリキュラムの統一共同化がなされることになったのです。しかし、既にあるハコモノは取り壊すにも予算がかかるためにそのまま使われることになり、寮と校舎が別々になっていました。
「私はA棟ですか……」
貴族の中には、一般と同じようにされたくないというつまらないプライドを持つ人もいます。そう言った人専用に、貴族や有力者が大金を叩いて入ることができる寮があり、その寮は『S棟』と『V棟』となっていました。安直ですが、specialのSとVIPのVということでしょう。
AからD棟が女子寮、EからH棟が男子寮、S棟が特別女子寮、V寮が特別男子寮となっていました。
そして、私はごく一般のA棟。三人一部屋の共同生活を送ることになっています。簡易キッチンがあり、魔道式コンロや魔道レンジなどで自炊も可能とされています。お金に余裕のない人や、元々料理が好きな人、はたまた花嫁修業中の人が自炊をしたりしていますが、多くの人がこの後に集まることになる学生食堂で食事をするようです。
……しかし、この世界の技術レベルがいまいち分からなくなってきました。コンロとかレンジとか、感じていた世界観から離れています。
「俺はF棟だな」
「では、とりあえず部屋に荷物でも置いて、同居人に挨拶してきましょうか」
「そうだな。じゃあまた学生食堂で落ち合おう」
「ええ、とりあえず騎士学校の女騎士でも一人か二人口説き落として来ることを楽しみにしています」
「誰がそんなことするか!」
知ってます。そんな甲斐性がないことくらい。
「冗談です。冗談」
「……ちょっと冗談多くないか? お前、こんなキャラじゃなくてもっとおとなしいだろ。第一、無表情で冗談言われても冗談に見えねーよ」
「まぁ、慣れない環境ですし、長らく閉鎖された環境の中で人間関係を築かないといけませんので、少し積極的になろうかと」
「……正直言って違和感が凄いぞ」
「そうですか」
失礼な言い草です。しかし、その違和感がギャップとなっていい味を醸し出すのではないでしょうか。腐るリスクも孕んでいますが。
「でも、こうやってひきこもりだったエアが、他人とかかわろうとする姿勢はいいと思うぞ」
「好きでひきこもっていた訳ではないのですが……」
森には捨てられただけだし、連れ戻されてからは軟禁されていただけだし。あれ、私ほとんど人と関わっていない。
「この場で友達を作っておけばいいんじゃないか。いい機会だろ」
「……そうかもしれませんね」
私はほとんど社会との関わりを持たなかったせいで友人が全くと言っていいほどいません。仲の良い人は、専従のメイドさんとか私が技術提供した会社の人とかいますが、あくまで雇用関係とビジネスパートナーという枠組みがあっての話です。一番友人に近いのはレオルドでしょうが、むしろ幼馴染なので除外してもいいでしょう。
「それじゃ、また学生食堂でな」
「ええ」
そう言って、大きな荷物を軽々と背負ってレオルドは早足で寮のほうに向かって行きました。ああやって簡単に持ててしまう力がうらやましいです。
「さて、私もさっさと済ましてしまいましょう」
紙に描かれた地図を見る限り、A棟はレオルドのいるF棟とは逆の方向に位置しているようです。この地図、簡易であるがゆえに縮尺がおかしいようで、あまり遠くないような感じで地図は描かれていますが、実際歩いてみた実感では、非常に距離があり時間がかかります。このアリス魔法学校が馬鹿みたいに大きい上に校舎も大きいからこのように時間がかかるのでしょう。
えっちらおっちらと、カバンにトランクを両手に持ち、さらに背中にはライフルを担いだ状態で歩くのは辛いものがあります。今まで運動らしい運動すら出来ずにひきこもっていた身体では、総重量10kg以上のこの荷物を運ぶのは無茶と言えるのではないでしょうか。
あーもう。やだやだ。帰りたい。
そんな泣き言を心の中で呟きながら歩くこと三分弱。思ったよりすぐに私が住むこととなるA棟の前に着いてしまうのでした。やはり、この地図の縮尺はおかしい。
「おー、思ったよりも大きいですね」
学生寮にしては非常に大きく、しかしながら女子寮となると厳つすぎるほどに堅牢な造りとなっていることがうかがえます。
むしろこれは……。
「まるで刑務所のようですが……」
これが私のファーストインプレッションでした。あながち間違った感想ではないとは思います。私と同じく、寮のその外見を見て躊躇して歩みを止めてしまっている新入生の方々がちらほらと見受けられますから。
誰か入れよ。
とも思いますが、ここで待っていてもただ時間を潰すだけになります。別にこの寮に入ったからと言って鉄格子付きの部屋に入れられて、冷たい食事を提供されるわけではないのです。
誰もが歩みを止めてしまっている中、お構いなしに行かせていただきます。こんなところに居られません。私は一人でも行きます。
……何か旗が掲揚された気がします。
「とくに怖がる必要なないのですよ、ええ」
自分に言い聞かせ、寮の扉を開きます。見た目通りに重い鉄製の扉が重厚な音を響かせて、周囲の小心者な女の子達をビビらせます。
「失礼しま……す……」
少し開いた扉の隙間から、中の様子を窺ってみました。すると、中には意気消沈といった感じに暗い雰囲気を醸し出している方々がいらっしゃいました。見る限り、私達のような新入生ではなく、既に在学している先輩方なのでしょう。しかし、どうしてこうも落ち込んでいらっしゃるのか皆目見当がつきません。
「あの……すみません……」
私の声に、一斉に顔を向けてきました。きらきらした目で。その姿に少し気圧されます。
「こちら、A棟で間違いないでしょうか?」
「そうそう!そうだよ!」
「やっときた!」
「ほんとにきた!」
「うちの棟だけ新入生なしかと思っちゃったよー!」
わいわいがやがや。
さっきと打って変わって騒々しくなりつつあります。この騒ぎを聞きつけて、自分の部屋で勝手気ままに過ごしていただろう他の先輩方も、なんだなんだとやってくる事態となっていました。
「さあ、入って入って!」
言われるがまま、ちょっと小柄で愛らしいマスコット的な印象を受ける先輩に、手を引かれてA棟内部に引きこまれます。外に居る人達が見ると、まるで私が見えない何かに引きずり込まれたように見えないこともないでしょう。きっと、さらに入ることが躊躇われることになっいると思います。
「私はレミィ。レミィ・アクリーン。騎士部航空科二年生です」
「アクリーン先輩ですね」
すると、アクリーン先輩は何かに感極まったのかプルプルと小さく震えました。
「あー、気にしなくていいよ。後輩が出来て、年上として扱ってくれているのが嬉しいだけだから」
「小さいからねー。先輩扱いされなかったらどうしよーって言ってたから、よっぽど嬉しかったんだろうねー」
「……そうですか」
先輩方になでなでと撫でられながら笑顔を浮かべているアクリーン先輩は、なんと微笑ましいことでしょうか。まさに今、小さい子供扱いをされていることに気づいていらっしゃいません。
「あー、自己紹介まだだったね。私はリフティ・パスパノーゼ」
「で、私がピア・リスティだよー」
ショートヘアーで茶目っけがありそうな八重歯が特徴的な女の人がパスパノーゼ先輩。アクリーン先輩ほどではありませんが、少し小柄で間延びした口調の女の人がリスティ先輩。
見るからに対照的な印象の二人ですが、仲は非常に良さそうです。真ん中で挟まれて撫でられているアクリーン先輩と並ぶと、まるで親子のような雰囲気すらあります。父親がパスパノーゼ先輩、母親がリスティ先輩、そしてその娘としてアクリーン先輩。スタイルだけで見てしまうと、父親役と母親役が逆転してしまいますが。
「パスパノーゼ先輩にリスティ先輩ですね。よろしくお願いします」
「いいよいいよ。パスパノーゼなんて堅苦しい。リフでいいよ」
「私も―。ピアでいいよー」
「……では、リフ先輩とピア先輩とお呼びしてよろしいですか?」
「んー。まぁしかたないか。先輩とか呼ばれるとむず痒くて仕方がないけど」
あまり上下関係を意識するような人ではないようです。そのほうが、私にとっても助かります。
「リフちゃんとピアちゃんをそう呼ぶなら、私もレミィ先輩でいいよ」
「分かりましたレミィ先輩」
「えへへ……」
かわいいなもう! 本当に私の一つ上の年齢なのかと疑いたくなります。
「とにかく、A棟への入寮を歓迎するよ。えーと……」
「自己紹介が遅れました。私、エア・ガーラントと申します。よろしくお願いします」
私が名乗った瞬間、先輩方二人がアクリーン先輩――レミィ先輩を撫でる手がぴたりと止まりました。ピア先輩は、のほほんとした雰囲気のままで緩い表情のままですが、リフ先輩は表情が少し強張り、笑顔を保とうとしていますが、口元が引き攣っていました。
「ガーラントって……魔法の名門として名を馳せている貴族の?」
「ええ、まぁそうですね」
名乗ればこういう反応をされるのは予想していましたので、私はただ困ったような笑いを浮かべるしかありません。先輩方の様子が少し変わったことに気がついたレミィ先輩が、心配そうに二人の顔を見上げていました。きっと、撫でていた手が止まったことで変化に気がついたのでしょうが、どうやら今がどのような状況なのか全く分かっていないようです。
「あー、なんでまたS棟じゃなく? 私はどこにでもいるような町娘だけどさ、貴族の娘ならS棟に行くのがほとんどじゃないのか?」
「リフ、敬語使ったほうがいいんじゃないー?」
「いえ、敬語を使うべき立場なのは私の方ですのでお気になさらず」
貴族とかそういったしがらみは抜きにして、やはり普段と変わらずにその人らしく話してほしいと思います。貴族だから、平民だから、そういったものは私自身気にしていません。だからこそ、私が貴族だからと言って扱いを特別にしたり、言葉使いを改めたりとかはしないでほしいのです。なかなか相手にとっては難しいことなのは重々承知です。
「うーん。正直ちょっと戸惑うけど……まぁいいか。せっかくこう言ってくれてることだし」
「そうだねー」
リフ先輩とピア先輩が顔を見合わせて頷きました。
「よし! A棟では『先輩後輩うんぬんはなし。皆仲良く』って特色だけど、貴族平民もなし!ってことでいいか」
「後で寮長に言えばいいでしょー」
「そういうことでよろしく、エア」
「はい。よろしくお願いします」
そうしてくれると、こちらの気も楽になるというものです。
「しかし、入寮は一人だけか。人気ないとはいえ、割り振りどうなってんだ」
そういえば忘れていました。
「外にまだ入ってくる自信のない方々がいらっしゃいましたよ」
私がそういった瞬間、レミィ先輩が飛び出して行くのが分かりました。驚くことに、私ではちゃんと姿を捉えることのできないスピードと加速力でしたので、小柄な背格好の人が過ぎて行ったという認識しかできませんでした。見るとレミィ先輩の姿がなく、外からはレミィ先輩の嬉しそうな声が聞こえてきましたので間違いでしょう。
「レミィ、あの姿からは想像できないほどに速いだろ?」
「そうですね。あっという間すぎて分かりませんでした」
「ま、ここにはあんな感じに変な奴がわんさかといる。そのうち慣れてしまうさ」
カラカラと笑い声をリフ先輩は上げていますが、その『変な奴がわんさかいる』という言葉に不安を覚えます。
「A棟自体が変人とかの巣窟だけどねー」
それは聞きたくありませんでした。
○
「ここがエアの部屋。同室になる子はまだ来てないけど、同じ一年だから仲良くな」
「分かりました。荷物まで持っていただいてありがとうございます」
「いいってことよ。じゃあーねー」
ひらひらと手を振って、リフ先輩は去って行きました。
部屋は質素そのもので、二段ベッドと二つ並んだ机と椅子、空っぽの棚があるくらいです。基本は食堂での食事ですが、自炊を好む人のために簡易キッチンがあり、ある程度の調理も可能です。
「さっさと荷物をおいて、食堂のほうに行っておきましょうか……。そのうち同室の方も来るでしょう」
ということで、数少ない荷物を解いていくことにします。
バッグに入っている衣類はクロゼッートに収納し、少ない書物は本棚に入れ、トランクの中にも入っている道具類はそのままにしてトランクごと二段ベッドの下に放り込んでおきます。まだ、出しておくには時期尚早と感じたための措置です。ついでとばかりにカバンとかもベッド下に入れておきましょう。
後は、乱雑に積まれているベッド上の寝具のメイキングです。マットレスの上にシーツを皺一つ無いように敷いていきます。これは、シーツを引っ張る方向が大切なのです。メイドさん達の動きを見て覚えてしまいました。とりあえず、二段ベッドの下段は私のスペースということにして綺麗にしておきましょう。
そして最後にカーテンを取りつけて、一通り作業終わったことを確認すると、こんこんとドアがノックされました。
「はいどうぞ」
「あ、えっと……」
ドアから頭だけを出して、こちらの方を見ている少女が一人。目が泳いで挙動不審ではありますが、なかなか可愛いという分類に入るべき容姿をしています。質素で化粧気もなく、まさに村娘という雰囲気を醸し出しています。
「同室の方ですね。よろしくお願いします」
「は、はい!よろしくお願いします」
私は少し笑みを浮かべ、ゆっくりと和らげな口調で話すように心がけます。
こういった緊張している相手には、柔らかく接することによって緊張が緩和され、ファーストインプレッションがよく捉えらえてもらえるのです。
「私、ルル・フェニエルです」
「エア・ガーラント。エアと気軽に呼んでください」
「私もルルと言ってください。フェニエルと呼ばれるのはどうもむず痒くて」
照れたように笑うその姿は、どこか人間離れした妙な魅力を感じます。
「……あら?」
そこで、私は気付きました。気づいてしまったのです。
この世界には、人間とは姿形は似ていながら全く異なる種族が存在します。それは妖精や精霊だったり。人間との交流があり、その中で生活もしています。そして、その種族の中で孤高とされるのが『エルフ』という種族です。厳密にはエルフの中でも細かく分類されるのですが、ほとんどがエルフと一くくりにされます。
そのエルフ族の特徴は、先が尖がっている長い耳があげられます。その特徴が私の前に居るルルに見られるのです。
「エルフ族ですか?」
「……はい」
どうやら、訳アリのような匂いがプンプンとします。エルフ族は先天的に魔法の扱いに長けるといいます。それなのに魔法学校に入学ということは、まさに訳アリだと推測できます。
しかし、個人的なことに首を突っ込むと厄介なことになるような気がします。あまり深く詮索されたくないように思えますので、詳しいことは聞かないことにしておきましょう。誰だって秘密の一つや二つくらい持っているものです。
「そうですか」
私はこれ以上の詮索をやめ、じろじろとルルの特徴的な耳を見ているのも悪いので、彼女の持つ荷物に目をやりました。
私は荷物が少ない方だと自負していましたが、どうやらルルは私以上に荷物の量が少ないようで、ちょっと大きめのトランクケース一つだけでした。
「荷物はそれだけですか?」
「はい。移動距離が長いので、日用品とかかさばるものとかは現地調達のつもりで持ってきてないんです」
「……調達できるまでは、私の物をと共同で使いましょう。多めに持ってきているので大丈夫でしょう」
「あ、ありがとうございます」
移動の間はどうしていたのでしょう。そんな疑問が浮かびました。
「ベッドは勝手ながら下段を選ばせてもらいました。というか、勝手にこちらである程度整理してしまいましたので、空いているスペースを自由に使ってもらうようになります。大体半分ずつ空けていますけど、足りますか?」
「大丈夫です。荷物ないので!」
「…………」
そう言って、ルル、手に持っていたトランクを二段ベッド上段に向けて放り投げました。ベッドの木とトランクが激しくぶつかり、いかにも壊れてしまいそうな軋む音がします。
物は大切に扱いましょう。
「私は集まるように指示されている学生食堂に行きますね。多分、待っている人がいますから」
「私も御同行してもいいですか? 知り合いもいないので不安なんです」
私はティアやレオルドがいますし、一人で過ごしてきた経験もあるのでそれほど不安というものはありませんが、慣れない環境下、見知らぬ土地で見知らぬ人ばかりでは、不安になるのも仕方がありません。
同室になったのも何かの縁と思います。
「ええ、いいですよ」
良好な人間関係を構築できる一歩となれるよう、私自身も歩み寄りを行うことにしたのでした。