魔女の娘と母と父と
魔法陣に飛び込んだシアは、次の瞬間には誰かに抱き止められた。視界の端に黒い髪の毛がチラチラと見える。母だ。
「かーさま!」
「シア、一体どこに行っていたの?」
「んー?・・・分かんない!」
「・・・・・・」
シアは母親の腕の中で元気よく返事をした。
「分からないの?随分長い時間、下の大地に居たみたいだけど」
母親は腕の中にいるシアをつぶさに観察しながら尋ねた。そして、シアに何処にも異常がないのを確かめると、そっと下に降ろす。
「城の何処にも居ないから、驚いたのよ?」
「ぅん、ごめんなさい」
「まぁ、良いだろう。特に危険な事は無かったようだしな」
しょんぼりとするシアを、誰かが後ろから抱き上げる。
「あ、とーさまだ!どうして、とーさまがかーさまのお城にいるの?」
シアは自分を抱き上げた父に抱きつきながら、不思議そうに尋ねた。
しかし、その質問に答えたのは父ではなく母だった。
「あなたが、あっちの城に行っているのかと思ったのよ」
「とーさまのお城?」
「そうよ。結局、向こうにも居なかったけど」
母は何処疲れたような顔をしている。シアはその顔を見て、ちょっぴり落ち込んでしまった。
「シアは一体何をしていたんだ?」
少し元気の無くなったシアの頭を父が撫でてくれる。
話が切り替わり、シアの気持ちも直ぐに移り変わった。
「んー?シアはねー・・・」
シアは今日の出来事を思い出して、簡単に父に伝えることにした。
「えーとね、キラキラのさらさらに会って、呪いを掛けてきた!」
「はははっ!そうか、シアは呪いを掛けてきたのか!」
父は何故かシアの話を聞いて愉快そうに笑い出す。シアは自分の話に笑うような個所があったのか不思議だったが、父が楽しそうだったので気にしないことにした。
「・・・シア、キラキラのさらさらの“何に”呪いを掛けたの?」
母は笑う父に呆れたような視線を向けていたが、シアに目を向けるとゆっくりと問いかけてきた。
「んーとね、人間だったよ」
「人間?人間にあったの?」
「うん」
「何人の人間にあったんだ?シア」
「一人だけだよ?」
シアの返事に母と父は沈黙し、何かを考えているようだった。
シアは二人の様子を交互に見ていたが、ふとあることを思い出す。
「そういえば、とーさまとお揃いだった」
「お揃い?」
「私とか」
「そう!とーさまと同じ銀色」
シアは手を伸ばして父の髪に触れる。父の髪色は銀色だが、少しくすんでいるというか鈍い鋼の色をしている。
「うーん。でも、とーさまのはやっぱりツンツンしてる」
父の髪を触ってシアはそう感想を言うと手を引っ込めた。
「成る程ね。キラキラでさらさらの銀髪の人間ね」
「ふむ」
シアの話を聞いて母と父は何か納得したのか、そっと視線を合わせた。
「どーしたの?」
「何でもないさ。ところで、シア。転移魔法陣を描くのに、このチョークを使ったな?」
父は話を切り上げると、シアを抱いている手とは逆の手に何かを持っている。
シアが転移魔法陣を描くときに使った二本のチョークだ。
「う?うん。それ、使ったよ?」
その声を聞いて、母が深くため息をついた。父は相変わらず上機嫌に微笑んでいるが。
「シア、このチョークは攻撃魔法専用の物だ。転移や治癒、空間魔法用のチョークは別にあっただろう?」
「う?うーう」
父は赤と黒のチョークを揺らしながらシアに尋ねる。
この二本のチョークは父から貰ったものだ。というか、この二本だけではなく、チョークの詰め合わせられた箱を貰っている。
シアはその中から適当に、二本のチョークを持ってきたのだが。
「シア、箱にチョークの説明が書いてあったのよ?よく読むように言ったでしょう?」
「?そうだっけ?」
シアはこてんと首を傾げる。そう言えば、そんなことを言われたような気もする。しかし、シアはこのチョークを使えばバッチリの部分しか良く覚えていなかった。
「後でちゃんと読みなさい。」
「はぁーい」
「いい子だ。シンシア」
母の言葉に返事をすると、父が優しく頭を撫でてくれる。
シアは父に頭を撫でられて、気持ちよさそうに目を細めていたが、何か大事なことを思い出したように声を上げた。
「あ、そうだ!かーさま!」
「なぁに?今日のご飯はオムライスよ」
「ホント!?やった!・・・じゃなくて、お願いがあるの」
「お願い?」
シアの言葉に母はこてんと首を傾げる。その姿は親子だけにシアにそっくりだ。
「うん。呪いを解いて欲しいんだけど」
「あなた、自分で掛けたんでしょ?」
「う?うーん、そうだけど。解いて欲しいのは違う呪いなの」
「違う?」
シアの説明に母は困惑した表情を浮かべる。シアは今日の出来事について、今度は詳しく説明した。
「ふむ。右手に呪い、か」
「うん。かーさまなら解けるでしょ?」
「そうね。でも、私は下に降りられないから、実質無理ね」
「えー」
「えー、じゃないの。それに実はシアでも簡単に解けるかもしれないわよ?」
「呪いならば、呪術の領分だな。なら、ネメシアか」
「そうでしょうね。彼女以上に詳しい者はいないでしょうね」
「分かった!ネメシアねぇーさまに聞いてくる!」
シアはぴょんっと父の腕の中から飛び降りると、振り返ることなく駆け出していった。
「シア、ご飯までに戻るのよ」
「はぁーい」
てててっと軽い足音を立てながら走っていく娘の姿を、父と母が見守っていた。
「あ、転けたわ」
「転けたな」
見守っていた。
「ねぇーさま!ネメシアねぇーさま!」
シアはノックもせずにある部屋の中に飛び込む。ここは城の東側にある部屋の一つだ。
部屋の中は、壊滅的に汚い。
紙や札や本、何かの干物や骨や草、よくわからない謎の物体や液体の入った瓶。そんな物で床が埋め尽くされている。
壁は壁で、本がびっしりと積み上げられ、壁紙が何色なのかは分からない。
「ねぇーさま、ねぇーさまったら!もう、死んじゃったの?ネメシアねぇーさま!?」
シアは雑多な物の海を掻き分けるように進んでいく。
すると、突然、紙の山が動きだした。ずずっと紙の山が盛り上がり、何かが出てくる。
そして、シアの目の前には白い布の塊が現れた。
「あ!ネメシアねぇーさま、寝てたの?」
白い布の塊、ネメシアにシアは抱きつく。
ネメシアは頭の天辺から指先、足先さえも布で覆われている、全身布人間だ。目や口、鼻や耳さえも布で覆われている。
一見すると布が人の形を取っているだけのように見えるが、胸や腰の括れ、円やかな腰の曲線で女性だと判断できた。
彼女は城に住まう魔女の一人である。
全身を布でくるまれているのは、彼女が魔女に転化する時に払った代償が原因だ。
魔女は元は、ただの人の女だ。
それが人智を超えた存在に変化する。その際に彼女たちは、何らかの代償を払うことになる。
それは、体の一部であったり、美しさであったり、若さであったり様々である。
ネメシアが失ったものは、全身の皮膚だ。彼女は身体中の皮膚が一切ない。そこで、特殊な繊維で出来た布を、特殊な薬液に漬けてそれにに魔法を掛け、それを全身に身に着けていた。
目も唇も皮膚がないので布で覆ってしまっている。そして、それらの身体機能は全て魔法で補完していた。
ネメシアは抱きついてきたシアの頭を、布で包まれた手で撫でる。
どうやら、機嫌は良いようだ。
機嫌が悪いと彼女はこの混沌とした部屋に埋もれたまま、姿を現さない。
「ネメシアねぇーさま、訊きたい事があるの」
シアの言葉にネメシアは首を傾げる。なに?という仕草だ。
「んーとね、呪いについて訊きたいんだけど」
ネメシアは今度は逆に首を傾けた。シアは父と母にした今日の出来事をネメシアに話す。
シアの話を聴き終えると、ネメシアは暫く頭をふらふらさせていたが、やがて部屋の中を歩き出した。
そして、床から一冊の本を拾い上げる。表紙も背表紙もボロボロで、本のタイトルは分からない。
ネメシアはその本を魔法で空中に固定し、ペラペラと頁を捲る。
「おお!呪斑がいっぱい」
本は呪斑の図説だった。様々な種類の呪斑が緻密に描かれている。
「うーんと、これは違うなぁ。・・・もっと、こう、うねうねしてるやつで、色がこう赤くて黒いような」
ネメシアはシアの言葉を聴きながら次々と頁を捲っていく。そして、ある頁を指差してシアが高い声を上げた。
「あ!これこれ、そっくり!」
シアが指差す頁をネメシアが覗き込んで確認する。彼女は僅かに首を傾げると、また部屋の中を漁り始めた。
そして、今度は壁に積み上げられた本から一冊を抜き出す。
「む?この本??」
シアは受け取った本を見て不思議そうな顔をした。この本も古くボロボロだ。
開いてみると随分と古い文字で書かれている。
「むー?」
頁を捲り続けていると、ネメシアがある個所を指差す。
「おー、なるほど」
ネメシアが指差している個所は、呪斑についての説明が詳しく書かれていた。
「ネメシアねぇーさま、これ借りていい?」
シアの頼みにネメシアは首を縦に振る。
「やった!ありがとう、ネメシアねぇーさま!あっ、もうこんな時間。戻らなきゃ」
シアはネメシアから本を受け取ると、なぜか床にめり込んでいる時計を見て慌てて部屋から出て行く。
「ネメシアねぇーさま、またね!」
部屋から出て行く瞬間に部屋の主に声を掛けて、シアは母の元に戻る為に部屋から出て行った。
シアの出て行った部屋で、ネメシアは暫く上体を揺らしていたが、もごもごと呟いていた。
「・・・シ、アが?・・・し、かし、あの・・・・呪、い?・・・」
ネメシアの声は酷く嗄れていて聞き取りにくい。老婆の声というよりは、人の声にすら思えないほど雑音が混ざっている。
ガサガサと部屋の物を漁り、押しのけながら彼女はぶつぶつと呟いている。
その内、彼女は混沌とした部屋の中に埋没していった。
ふわっふわのオムライス!