砦での晩餐
コララドの砦に駐在している騎士は常時五十名程である。かつては領土の最東部ということで、二百名を超える騎士が居たと云うが、徐々に人員は削減され現在の人数となった。
しかし、人員は削減されたが砦が縮小されることはなく、銀翼の騎士団二十名が滞在する部屋は十分に存在する。
ところが、ここ数年間。砦の管理は実にずぼらで、駐在している騎士たちが使っている区間以外は、廃墟も同然だった。
「思っていたより、綺麗ですね」
銀翼の騎士団たちは砦に入ると、砦の騎士たちが使っている中央の移住区から、左翼側に位置する移住区に落ち着いていた。
到着当初は完全な廃墟のような状態だったのだか、今は何とか生活出来そうな位には整えられている。
「まぁな、半日近くずっと片付けてたからな」
シノアスの感心したような言葉に、ガイアスが肩を竦めて答える。
ガイアスたちはアグノーツらに砦の修理を押しつけられたが、ずっと自分達が使う左翼側の移住区の片付けをしていたようだ。
「まぁ、これ以上は物資が無いからどうにもならんかったがな」
ガイアスはため息をつきながら椅子に腰掛けた。古びた椅子はギシギシと悲鳴を上げていたが、ガイアスの巨体を何とか支えている。
「ところで、団長は?」
「もう直ぐ、来られると思いますよ」
ガイアスとシノアスがいるのは食堂だ。二人以外にも殆どの騎士が食堂に集まっている。この場に居ないのは、数名の炊事担当者たちくらいだ。
集まっている騎士たちは、今日の昼間の出来事について話している者たちが多い。
特に、砦に残っていたものたちはコララドの丘で起きたことについて、知っている者たちに聞いて回っていた。
「魔物の群れと戦ったんだろ?」
「百体以上のバグベアの群れなんて、聞いたことが無いな」
「死人が出なくて良かった」
「全くだ、全員無傷なんて信じられん」
信じられない。
全くだ。
それは、戦っていた騎士たちが最も感じている事だった。
シノアスもあのままでは恐らく危なかっただろう。例え援軍であるガイアス達が辿り着いていたとしても、全員が助かったとは思えない。運良く戦闘から離脱出来ても、解毒が間に合わなかった可能性が高い。
騎士たちの会話は仲間の無事を喜ぶものや、今日の激戦についてなどから自然と別のものに移っていく。
「魔女が加勢してくれたって?」
「一瞬で魔物の群れを全滅させたのか!?」
「団長と知り合いって本当か?」
「あの、ちっこいのが魔女なのか?俺の半分くらいしかないぞ?」
ざわつく騎士たちは魔女シアの話で賑わいだした。その雰囲気は魔女を恐れているというよりは、彼女が魔女である事に困惑しているようである。
彼らからすれば、シアは可憐な美少女にしか見えない。とても噂に聞く恐ろしい魔女とは結びつかないのだ。
それに、実際の魔女を見た事がある者はいない。そのため魔女の姿は昔話のように伝えられているものからの知識しかない。
曰わく、妖艶な美女である。或いは、年老いた老婆である。もしくは、平凡な村娘である。
魔女の姿は時や場所で定まる事がなく、様々な話が伝えられている。その中で共通していることは、漆黒の髪を持つと云うことだけ。
逆に言えば、その事だけでしか魔女かどうかを判じることが出来ないのだ。
落ち着かない食堂に、噂の魔女がやってきたのは食事の準備がほぼ終わった時だった。
団長のルーネスと共に食堂に現れた魔女のシアは、ここでもキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回していた。
その様子は、可愛らしい容姿の所為もあって非常に愛らしい。
鎧を着ていないルーネスの服の裾を掴み、ちょこちょこ後を付いて歩いている。
その様子を無言で見守っていた騎士たちは、心を一つにして思った。
魔女かどうかは兎も角、取り敢えず可愛いぞ、あれ。
騎士団なんて男所帯のむさ苦しい集団である。それも銀翼の騎士団は国内の辺境を巡り歩いてるから、女っ気は全くない。というか、そんなものに現を抜かしていたらあっと言う間に死んでしまいかねないほど過酷な騎士団なのだ。日々殺伐とした日常を過ごしている彼らにとって、シアの容姿と言動は心を和ませる。
食堂は四十人程の人間が入れる広さがあるが、銀翼の騎士たちは食堂の一角に集まって着席していた。
縦長のテーブルをぐるりと騎士たちが囲んでいるのだが、その上座にルーネスが座り横にシアが座った。
食事は既に配られていて、ルーネスの短い祈りの言葉を契機に食事が開始された。
シアは自分の目の前に置かれている食事を見て、コテンと首を傾げた。
黒いパンのような固まりに、豆のスープと思われるもの。そして焼かれた何かの肉。
それが目の前にある食事の全てだ。
実のところ、シアは別に毎日食事を取る必要はない。一カ月間飲まず食わずでも平気だったりする。
しかし、別に食事に興味が無いわけではなく、美味しいものは好きだし食べることは嫌いじゃない。
シアは取り敢えずパンのようなものを手にとった。騎士たちの握り拳ほどのそれは、小柄なシアが持つと倍の大きさに見える。
シアはずっしりと重いそれにかじり付いてみた。
そして、そっと口を離すと、隣に座っているルーネスを見上げて途方にくれたような声を上げた。
「ルーネス、堅い」
食堂にいる全ての騎士が心の中で深く頷いた。
この黒いパン。長期間保存できるが、恐ろしいほど堅いのだ。
ルーネスはシアの手からパンを受け取ると、一口サイズに砕いて渡した。
シアはバラバラに砕かれて、もはや正体が分からなくなった物体をスープに浸してみた。柔らかくしようと考えたのだ。
シアの考えた通り、パンはある程度柔らかくなった。しかし、
「しょっぱい」
柔らかくしたパンを口にした途端、シアは柳眉を顰めてそうこぼした。
その表情と声を聞いて、どうせ野郎しか居ないのだからと、適当な味付けをしたスープ担当者は甚大な精神ダメージを受けた。
最後に肉に手を伸ばし口を付けたシアは、酷く残念そうにしょんぼりとした。
「・・・味がしない」
肉の調理担当者は面倒くさくなって、味付けをしなかった自分を焼き殺したくなった。
一通り口をつけたシアは隣に座るルーネスを見上げて呟いた。
「いつも、こんな料理なの?」
「いや、遠征に出ている時ぐらいだ。シア、無理に食べなくていい」
そう、銀翼の騎士団たちの野営の食事が雑になったのは、実はルーネスが原因だったりする。
ルーネスは食事に対して、食べれさえすれば文句を言うことが無かったのだ。組織のトップが文句も言わずに食べているので、他の騎士たちも黙々と食べる。
そうしているうちに、銀翼の騎士団の野営食は食べられればいいやと言う、ずぼらな男料理化されていったのだ。
ルーネスの言葉を聞いてシアは少しの間何か考えていたようだが、くいっと頭の向きを変えるとシノアスに話しかけた。
「ねぇ、これ、美味しい?」
どうやら、シアは自分の味覚がずれているのか確認しているようだった。
シノアスは突然話し掛けられて驚いていたが、直ぐにやんわりと返事をする。
「余り、美味しいものではありませんが、食事が出来るだけでも幸いですから」
「ふーん、じゃあ、好き好んでコレを食べてるんじゃないんだ?」
「ええ、そう、ですね」
粉々になった黒パンを突き出されて、シノアスはのけぞり気味に答えた。
「ふむ、なるほど」
シアは一言呟くと、椅子から立ち上がった。そして、テーブルに両手を付いく。
「広がれ、テーブルクロス!」
シアの言葉共に、純白のテーブルクロスが現れる。そして、シアはテーブルクロスの端を両手でしっかりと掴んだ。
「いち、にの、さん、はいっ!」
可愛らしい声で掛け声を掛けると、テーブルクロスを両手で勢い良く引き抜く。
実に見事なテーブルクロス引きだった。テーブルの上のものは何一つ床に落ちていないし、ワインの入ったグラスすら、微かに波打っている程度だ。
「え?ワイン??」
シアの一連の動きを呆気にとられて見ていた騎士たちは、はっと我に返った。
ワインなどさっきまで無かった筈なのに。
なぜか、騎士たちの目の前には先程までの、食べれればいいや料理ではなく実に豪勢な食事が並んでいた。肉に魚料理、野菜の盛り合わせに果物、それにワインにふわふわのパン。
どれも食欲をそそる、いい匂いをしている。
「ん~、うまーい」
唖然とする騎士たちに気付くことなく、シアは目の前にある新鮮な果物を口に運ぶ。
そして、ルーネスにも美味しそうな肉料理の乗った皿を勧める。
「これ、美味しいよ!ソースが絶品なんだ」
「ああ」
勧められたルーネスは突然現れた食事について何も言及することはなく、普通に食事を再開してしまった。
もぐもぐと小動物を連想させる仕草で食事をしていたシアだが、自分とルーネス以外が食事をしていないことに気がつくと不思議そうな顔をした。
「食べないの?美味しいよ」
ぱちぱちと大きな目を瞬かせて、首を傾げる微笑の姿は破壊力抜群の可愛さだった。
そして、食事は美味しいかった。大変、美味しいかった。ワインも上物で、騎士たちに配給される安物とは比べ物にならないほど美味しいかった。
そして、食事を終える頃には騎士たちの心は一つになりつつあった。
彼女はいい魔女に違いない。少なくとも我々にとっては。
それに、すごい可愛いし、食事も美味しいかった。
シアは騎士たちの心と胃袋を掴んだ!
可愛いは正義!!