税金三倍から始めるダンジョン経営
朝のリグナ迷宮に客はいなかった。入口の脇にある古井戸では水くみ用のつるべが風に揺れている。俺は受付の椅子に腰を下ろして硬いパンをかじりながら今日の入場記録に最初の線を引く場所を眺めていた。
「パンを食い終わるまでに一人くらい来ると思ったんだがな」
返事をする相手はいない。屋根の下には入場料を書いた板と予備の縄があるだけだ。俺がガルドから引き継いだリグナ迷宮は地下五階までしかなく、珍しい魔石も大型の魔物も出ない。古井戸迷宮のほうが通りがいいのは入口の立派さを見れば納得できる。
昼を過ぎて二人組の冒険者が来た。片方は薬草を入れる袋を肩に掛け、もう片方は足首まで泥だらけだった。森で採取を終えたついでに寄ったらしい。
「一人銅貨三枚。三階より下へ行くなら戻る前に声を掛けてくれ」
「分かってる。ここの三階には大したものがないけどな」
二人は笑って銅貨六枚を置いた。気に障る言い方ではあるが反論もできない。ここの三階にあるものは二階で取れるものとほぼ同じだ。本人たちもそれを知っていて地下へ降りていった。
夕方には二人とも無事に出てきた。袋に入っていた薬草を見せてもらい、採り残した根を明日植え直す場所を頭に入れる。こんな日は珍しくない。俺は入場料と迷宮の産物を売った金で暮らしていた。客が来ない日は裏手の畑をいじるか壊れた壁を直す。腹いっぱい食えて屋根から雨が漏れなければ十分だった。
二人が帰ったあとに来た馬車は冒険者のものではなかった。領主家の印が戸に付いている。乗っていた役人が書類を読み上げ、後ろから金髪の男が降りてきた。バルガス・ローデン。領主の次男で迷宮の管理と徴税を担当している男だ。
「来月から迷宮管理税を改定する。月額は銅貨七百二十枚だ」
俺は役人の差し出した紙を受け取った。先月まで二百四十枚だった数字がきっちり三倍になっている。
「三倍?」
「魔物対策費が増えた。管理の負担に応じて迷宮ごとに額を改めた」
バルガスは俺の背後を見た。入口の扉は昨日直したばかりだが、板の色が一枚だけ違う。古井戸の縁も半分欠けたままだ。高い服に汚れが付くのを嫌がったのか足元の土を確かめてから話を続けた。
「払えなければ管理権を領へ返してもらう。その場合は管理人の住居も明け渡せ。猶予は改定後の最初の徴税日までだ」
住居というのは迷宮のすぐそばに建つ小屋のことだ。ガルドが俺を拾って以来、ずっとあそこに住んでいる。帳簿や寝台のほかにめぼしい物はないが、出ていけと言われてすぐ次の家が見つかるわけでもない。
「税を払ってきたのに引き継ぎまで取り消せるのか」
「認可の条件を読んでいないのか。管理を続けられない者から権利を戻すための決まりだ」
俺は書類の末尾を確かめた。印も期限もそろっている。役人に文句を言って消える数字ではない。ガルドが生きていたころ一緒に壁を塗った入口を振り返り、紙を折って上着へ入れた。
「分かった。払えばいいんだな」
「無理をする必要はない。領が管理すれば魔物の監視は続けられる」
「それはそっちの都合だろ」
バルガスは表情を変えずに馬車へ戻った。役人が書類の控えを置いて後を追う。土を踏む車輪の音が聞こえなくなってから俺は受付の銅貨六枚を数え直した。何度数えても六枚で、税金にはまるで足りなかった。
その夜はガルドの机を使った。先月の入場料は百八十枚。迷宮から出た薬草や魔石を売って手元に入ったのが五百十枚。通路の補修に必要な道具や魔物の配置へ回す分が百八十枚。税を払う前に残るのは五百十枚だった。
「七百二十。差し引き二百十枚足りない」
俺の食費も冬に向けた蓄えも計算へ入っていない。手持ちを崩せば最初の一月は払えるかもしれないが、次の月からは同じ穴が開く。机の端に指で二つの数字を書いて消した。
自分で採取量を増やす案は先月の帳簿を見れば無理だと分かった。薬草を取り過ぎれば次が育たず、迷宮核に急がせれば別の階の壁を直す力が減る。高価な魔石を作って売るには魔力が足りない。俺一人で魔物を狩っても大した金にはならない。
帳簿を閉じかけて入場者の欄を見直した。来る人数が少ないから毎月の入場料は百八十枚で止まっている。一人三枚のままでも人が増えれば数字は動く。俺が地下で採るより客が採ったほうが量も増える。
「客を増やすか」
言ってから机の上を見回した。ガルドなら笑うだろう。赤字じゃなきゃいいといつも言っていた人間が、その赤字を避けるために一番面倒な仕事を始めるのだから。
翌朝は受付を閉めて冒険者ギルドへ行った。エルナ・ベルクに先月の入場者記録を渡すと、彼女は眼鏡の上から俺を見た。黒髪を後ろで束ねた顔には寝不足が見える。
「今さら客を増やしたいんですか。先週も案内板を新しくするよう言いましたよね」
「替えた。字はまだ読める」
「最初から読める板を作ってください」
彼女は紙の裏まで確かめた。ギルドの受付と素材の査定を兼ねるエルナは、俺の迷宮を安全だが稼げない場所だと評価している。俺自身もそう思っていたので直すところが多い。
「この迷宮へ行く理由がありません。近くの採取場なら入場料が要らない。魔石が欲しい人は大型迷宮へ行きます」
「じゃあ何なら欲しい」
「私に聞くより冒険者へ聞いたらどうですか。あなたは管理する側ですから」
エルナが視線を向けた先では、短槍を背負った女が仲間募集の札を掲示板へ戻していた。赤みのある茶髪が肩に掛かり、使い古した革鎧には何か所も縫い直した跡がある。声を掛けた男の冒険者が首を振った。
「魔力がほとんどないんだろ。遠征先で強化も使えない奴は連れていけない」
「昨日は三階まで先に入って罠を見つけた。魔法がなくても歩ける」
「腕の話をしてるんじゃない。またな」
男が去ると女は札の曲がった角を指で直した。名前はミレイユ・アルノと書いてある。俺が近づくと彼女は顔を上げ、緑色の目でこちらを見た。
「暇か?」
「喧嘩なら買うけど」
「客を探してる。俺の迷宮を一日試して意見を聞かせてほしい。入場料は取らない」
「客から意見を取るのに料金まで取るつもりだったの?」
「普段は取るんだよ。銅貨三枚」
ミレイユはギルドの受付へ目を向けた。エルナがうなずくのを見て短槍を肩に掛け直す。
「古井戸迷宮なら知ってる。稼げないって話もね。拾える物を全部持って帰っていいなら行く」
「構わない。終わったら嫌だったところを教えてくれ」
「数が多くても怒らないでよ」
彼女を連れて迷宮へ戻り、入口で危険な場所を伝えた。五階まであるが今日は二階まででいい。俺が直すべきものを見たいから危険を承知で奥へ行く必要はない。ミレイユは説明を聞き終えると、槍の穂先を布で包んでから通路へ入った。
俺は管理人の通路を使って横から様子を見た。迷宮核に認められた俺なら狭い点検口を開けられる。そこから見える一階の床は暗く、曲がり角の先にはゴブリンを一体置いている。狭い通路では短槍を振る余地がなく、戦うなら後ろへ下がるしかない。
ミレイユは足音で相手の位置を確かめたあと、わざと壁をたたいて誘い出した。ゴブリンが突っ込んできた瞬間に身を引き、低く構えた槍で進路だけをふさぐ。相手の足が止まったところを突いた。派手さはないが革鎧には爪一本触れていない。
次の角でも同じやり方は使わなかった。床の石が浮いているのを見て足場を変え、魔物が踏み込む側へ槍の石突きを向ける。俺が落ち着いて見られたのは点検口にいるからで、狭い通路に立たされたらあんなに余裕はない。
二階の採取区画に着いた彼女は袋を半分も満たさず戻ってきた。革鎧を外して汗を拭き、受付の前にしゃがむ。
「暗い。道が狭い。最初の角で逃げようとしたら次の魔物に挟まれる。薬草は根が取りにくいところばかり。あと二階へ下りたところの段差が嫌」
「まだあるか」
「値段が分からない。安い物を採って入場料を払ったら損だもの。結局ほかの場所へ行く」
自分の迷宮の話だと分かっているが、聞いているうちに椅子の背を握る手に力が入った。彼女は俺の顔に気づいたらしく言葉を止める。
「続けてくれ。頼んだのは俺だ」
「なら最後に一つ。強い敵がいないのは別にいい。でもあそこじゃ戦い方も覚えられない。道が悪いだけ」
俺は机から紙を出して言われた順に書き留めた。暗さ、道幅、逃げ道、薬草の位置、価格、段差。ガルドが迷宮を使っていたころには、せいぜい壁が崩れないかを見ていた。自分も同じだ。利用する側の足元を見たことがなかった。
「魔法が使えない割に全然攻撃を食らわないな」
「食らったら痛いからね。魔法でごまかせない分は見て避ける」
「二つ目の角で床の石を見てたろ。あれを見落とす奴は多い」
ミレイユの手が腰の鎧ひもを結ぶ途中で止まった。俺が理由を聞く前に彼女は顔を背ける。
「毎回見てるだけで倒せなかったら何の役にも立たないよ」
「今日は倒してた。どうやったか新人に見せてくれたら助かる」
彼女は返事をしなかった。ただ帰るときに、値札を作るなら文字を大きくしろと言い残した。見えないと意味がないのは道も値段も同じらしい。
その晩、迷宮核のある五階へ降りた。足元の青い光は壁の修復に回している魔力の流れだ。床へ手をつき核に触れると、各階の通路と魔物の配置が頭に浮かぶ。変えられる範囲は広くない。魔物を増やせば壁が直らなくなるし、通路を一度に作り替えれば薬草が育つのを待つしかなくなる。
最初に一階の壁を二か所移し、曲がり角の脇に引き返せる道を作った。狭い通路は残すが魔物を置かない。開けた部屋のほうへ二体を移し、同時には出てこない距離に離す。魔物を減らして浮いた魔力を床と明かりに回した。
二階では採取区画の根を取りやすい場所まで伸ばす。入口近くの段差を直し、階段の横に小さな休憩室を空けた。魔物が入らないようにするだけでここは十分だ。高価な魔石を生む力はないが一階で覚えた間合いが二階でも使えるように、戦う場所だけ選び直せる。
地上へ戻ったころには夜が明けかけていた。俺は手元の板へ採れる素材とギルドでの買い取り価格を書いた。値が変わりやすい品は今日の目安と付け加える。縄と古い棚を運んで休憩室にも水差しを置く。客を増やす前からこんなに働くなら、ガルドに笑われても仕方ない。
翌朝ミレイユを呼びに行くと彼女はギルドの裏で槍を磨いていた。昨日と同じ試し歩きを頼み、変わった場所を一つずつ見てくれと言う。彼女は「一晩で何が変わるの」と言ったが、迷宮へ入って最初の角で立ち止まった。
「ここ、戻れるようになってる」
「走っても次の魔物とはぶつからない。広い部屋まで行けば槍も振れる」
俺が案内する必要はなかった。ミレイユは通路を往復して床を踏み、魔物の動きも確かめる。二階から戻ったときには袋に薬草を入れていた。重さを測る間、彼女は受付の横に置いた価格表を見ている。
「これなら銅貨三枚を払っても残る。私の袋でこれだから二人で来たらもっと採れるね」
「全部採ったら翌日には減るけどな。根が付いた分は残してくれ」
「最初にそう書いておいて。採る人間には分からないよ」
また板を一枚増やすことになった。素材はギルドの値を基準に俺が買い取り、運ぶ手間と査定の分だけ手数料を引く。ギルドへ直接持ち込む冒険者からは取らない。ミレイユには両方の値段を見せた。迷宮で売って手ぶらで帰るほうを選んだので、俺は代金を払って薬草を乾かす棚へ運ぶ。
「次も来るか?」
「一回で試しは終わりでしょ。今度は料金を払うよ」
「なら受付で名前を書いてくれ。人数を数えたい」
彼女は俺の帳簿をのぞき込み、昨日まで名前がほとんどない欄を見て笑った。からかう言葉は出てこなかった。その日の午後、ギルドへ戻った彼女が何を話したかは知らない。翌朝の受付にはミレイユを含めて三人が来た。
「ここなら魔法を使わない仲間でも練習できるって聞いた」と一人が言う。「道を間違えたら戻れるって本当か」ともう一人が聞いた。俺は板を指して説明したあと、三人分の銅貨を受け取った。
次の日には八人になった。八人を一度に入れると広い部屋でも危ないので、先の組が二階へ下りるまで後の組には待ってもらう。待つ場所がないと文句が出たから井戸の周りの石をどけて腰掛けを作った。空いた壁に帰還時刻の目安も書く。毎日の仕事が帳簿の右側へ増えていった。
一週間で入場者は日に十人を超えた。薬草を乾かす棚が足りず、荷物預かり用の棚も空けた。銅貨を取って装備を貸すときには傷を確かめる。初心者には逃げ道と魔物の習性を入口で教えた。説明の間に迷宮の修復が遅れ、夕方には自分で地下の床を直しに行く。
「税金を払うためだったのに、なんで俺の仕事が十倍になってるんだ」
受付で数を数えていたミレイユが笑った。いまは臨時で客の案内を頼んでおり、働いた分は払っている。朝の混雑を一人でさばけないので助かったが、彼女が毎日いるとギルドで別の依頼を受ける時間がなくなる。
「今日の午後は空けていい。ギルドに行く用があるなら行けよ」
「依頼は見てきた。明日の朝は休む。その代わり新人の講習は今日中にやるから」
それ以上は口を出さなかった。迷宮へ入るときのミレイユを見ていれば、案内役に収まっていたいわけではないと分かる。彼女は三人の新人を広い部屋へ連れていき、魔物が肩を下げる瞬間を見ろと教えた。俺には速すぎて見分けられない。新人たちは一度避けられると声を上げて喜び、次の動きではきっちりしりもちをついた。
エルナも様子を見に来た。受付から二階まで歩き、案内板の字と休憩室の水差しを確認する。最初の査定は厳しかったが、帰る前に見学を頼みたいと申し出てきた。
「ギルドで新人向けの迷宮を探しています。使うなら記録が必要です。入場者と負傷者の数、それから階ごとの変更内容を残してください」
「客が増えれば客の帳簿だけでよくなると思ってた」
「迷宮の安全を人に勧めるなら要ります。協力してくれるなら候補として申請できます」
エルナが差し出した書類には王国冒険者育成指定迷宮という長い名前が書かれていた。仮登録になれば地方領主が税率を独断で変えられなくなるとも説明される。ただし実地の確認とギルドによる記録が必要で、申請しただけでは効力がない。
「もし通ったら来月の三倍は戻るのか」
「もう決まった額は払いましょう。登録で止められるのは次の変更です」
次も上げられたら困るので署名した。エルナが必要な書類を持ち帰る。俺には今月の帳簿を黒字にする仕事が残っていた。
三日後、二階の休憩室の水が空になった。補充に行くと入口の前で冒険者たちが腰を下ろしている。最初のころは誰も使わなかった部屋だ。今は採取の途中で袋を整理したり、これから下りる相手へ通路の様子を伝えたりしていた。
「一階の広い部屋でゴブリンを倒したら二階の段差に気を付けろ。昨日、そこで転びかけた」
「直したはずなんだが」
俺が割り込むと床を指していた男が首をかしげた。確かめてみれば段差はなく、壁際に積んであった空の袋が通路へはみ出していた。採った物を置く棚を用意したのは俺だが置き方までは教えていない。
「棚の上を使ってくれ。通路へ出したら蹴ってしまう」
「分かった。けど棚はもういっぱいだよ」
客が増えると一か所を直しても別のところが詰まる。帰還記録を見れば夕方に客が集中していた。皆が仕事を終えてから来るのだから、俺の都合で朝へ散ってくれるわけではない。翌日から入場時に帰りの目安を書いてもらい、休憩室へ入れる人数も板に示した。
それでも次の日には水差しが足りなくなった。俺が井戸と二階を往復していると薬草を積んだ袋を抱えたミレイユが通りかかる。
「管理人、そこに水を運ぶなら帰りにこの袋を持っていって。私は新人に二階を見せる」
「それじゃお前の採取が終わらないだろ」
「今日は案内の仕事。採る方は朝やった」
彼女は俺の手から空の水差しを一つ取り、階段を下りていった。かつては通路に入るだけで不機嫌になっていた冒険者が、今では自分から新人へ行き先を説明している。俺も袋を引き受けて地上へ運んだ。
このころには入口の外にも変化が出ていた。井戸の向こうに露店が一つ立ち、革ひもと乾いたパンを売り始めた。俺が店を出してくれと頼んだわけではない。店主は客が水くみの順番を待つのを見て場所を決めたと言った。
「ここは迷宮の入口だぞ。馬車が通れるだけ空けてくれ」
「もちろん。邪魔ならすぐ動きますよ。パンは一つどうです?」
自分の昼飯までここで買い始めたら何のために畑を作ったか分からなくなる。そう言って断った数日後には売れ残りを安く買っていた。井戸の脇で朝から晩まで帳簿を付けていると、家まで戻る時間のほうが惜しい。
三週目に入ってすぐ、二階で淡い色の魔石が一つ出た。迷宮核が採取区画の脇に作ったもので、いつもの魔石より良い値が付く。見つけた冒険者はギルドで売り、翌日には噂を聞いた者が入口に並んだ。
「ああいうのがもう少し出れば客が増えるな」
俺は五階で迷宮核の力を確かめた。通常の魔石を作る分を抑えれば二階に高い品を幾つか置ける。維持費は上がるが採取料も入場料も増える。税の期限まで半月もない。帳簿に上向きの数字を書くために、魔石の生成へ力を回した。
翌朝は十七人。昼にはさらに七人が来た。俺は増えた人数を見て受付の銅貨を箱へ移した。奥へ行こうとする客には人数を説明し、一度に入れる組を分けた。だが二階に珍しい魔石があると分かると、採取区画で待つ者が出てくる。俺が決めたのは入場の間隔だけで、行き先までは分けていなかった。
「先に見つけたのは俺たちだ」
「袋に入れてから言えよ。ここは皆が料金を払って入ってる」
声が聞こえたとき俺は一階の点検口にいた。二階へ下りる途中で武器を抜く音がして走った。口論した二組の間に魔物が入ったわけではない。狭い採取区画で片方が袋を引き、もう片方がそれを押し返した。棚にぶつかった男が倒れ、槍の柄が別の冒険者の腕に当たった。
「全員、武器を置け。先に倒れた奴を運ぶ」
俺が声を掛けてもすぐには止まらなかった。通路の奥からミレイユが出てきて槍の穂先を床へ向けると、ようやく二組が離れた。倒れた男は頭を打っており、腕を押さえた冒険者の指先には血が付いている。二人とも歩けるが迷宮へ残すわけにはいかない。
休憩室まで連れていき応急の手当てをした。そこから地上へ戻し、露店の商人に馬車の手配を頼む。ギルドへ報告する者も必要だった。ミレイユが自分で行くと言ったので任せる。俺は入口を閉め、地下に残っていた客を一組ずつ呼び戻した。
夕方にはエルナが怪我人の様子と一緒に戻ってきた。腕の傷は浅いが、頭を打った男は診てもらっている。彼女は受け取った記録を読みながら二階へ続く扉を見た。
「区画の広さを考えてください。何人入れるかを書いても、全員が同じ棚へ集まったら意味がありません」
「分かってる。俺の配置が悪かった」
「けんかを始めた人たちにも責任はあります。でも迷宮を新人に紹介する話は、安全を確認するまで進められません」
想像はしていた。それでも仮登録に必要な確認が止まると言われると、今まで書いた記録の束を見てしまう。エルナは書類を片付けず、事故の場所を一緒に確かめると言った。
ミレイユがギルドから帰ってきたのは日が暮れてからだ。槍を受付へ立て掛け、俺の帳簿の横にある魔石の控えを見つけた。
「増やしたんだ」
「迷宮核から二階へ回した。客が欲しがるなら出してやろうと思った」
「金を稼がせたいんじゃなかったの? 取り合いになったら、まともに採れた人は何人いたの」
「今日一番売れた奴は銅貨を稼いだ。けど大半は手ぶらだ」
「手ぶらならまだいいよ。あの二人は診療代が掛かる。先に入った者が全部取る区画へ新人を連れていけると思う?」
俺は帳簿を開いた。客が増えた分だけ入場料は入った。一方で魔石を作るために止めた床の修復は残り、壊れた棚と診療に掛かる費用も出る。二階の人数が増えてから薬草を採れた客は少ない。俺が入口に書いた価格表は、採る物がなければ役に立たなかった。
「今から戻す。明日は二階を閉める」
「一階は?」
「安全を見直してから開ける。今日のことは受付にも書く。黙ってりゃまた同じ奴らが来る」
ミレイユはもう文句を言わなかった。俺が迷宮へ降りると言うと、壊れた棚を先に見てくると言って槍を取る。二人とも残った荷物を取りに地上へ戻ったのは夜遅くなってからだ。
魔石の生成を元へ戻し、二階の採取区画に入れる人数を区切った。高い魔石が出る場所に客が集中しないよう、そこは一度閉めて核の力を休ませる。低い値でも数が採れる薬草は離れた二か所へ分けた。一階は新人が動き方を試す場所、二階は採取と次の戦いへ進む場所と決め、三階へは経験のある組だけを通す。
人数を減らすから収入も減る。それでも入口から地下まで人を詰めた結果の修理代を払うよりは安い。翌日一階を開け、二階は作業が終わるまで閉じた。引き返して大型迷宮へ行く客もいた。閉鎖の理由を聞かれたら、昨日のけがと通路の変更を伝える。
怪我をした二人にも会いに行った。腕を打った冒険者には診療代を渡し、頭を打った男には事情を確認する。口論の相手について二人の話は違ったが、俺が見たときに区画が混んでいたことだけは同じだった。謝っても昨日のけがはなくならないので、変更した入場の人数と区画の使い方を説明した。
「また来いと言うなら、あの棚をどかしてくれ。ぶつかったのは俺だけじゃない」
「もう外した。置き場所も変えた。入る前に見てくれ」
二人とも返事はしなかった。戻ってくるかどうかは向こうが決めることだ。俺は彼らの名前と事故の内容を帳簿へ書き、翌朝エルナに写しを渡した。
二階を開け直した日にギルドの見学があった。エルナのほかに二人が来て、入口の説明から休憩室まで見て回る。ミレイユが新人を案内し、魔物が出たときにどの道へ戻るかを自分の足で示した。見学者の一人は彼女が魔法を使わないと聞くと、どうやって新人を守るのかと尋ねる。
「先に私が歩いて、相手の足を見ます。避ける前に逃げ道も教える。魔法で助ける人は別に頼んでください。私の仕事はぶつからずに帰すことです」
言い終わるとミレイユは槍を肩に担いだ。ここに来た最初の日には自分の戦い方を役に立たないと言っていたのに、今は見学者へ言い切っている。俺は階段の脇で足元の石を一つ拾い、通路へ転がらない場所に寄せた。
見学者は一階の魔物の配置を確かめてから二階へ進んだ。戦う部屋を広くした理由、休憩室の使い方、採取区画の人数。質問には俺が答え、負傷者の記録も隠さず見せる。事故の日から変えた部分を地図に書き込んでいたので説明はできた。ただ判定を急いでほしいとは言わない。直したものが機能するかどうかは彼らが確かめることだ。
見学が終わるまで受付には冒険者を待たせた。二階の人数を減らしたうえに半日使ったので、その日の入場料は予定の半分以下だ。客を呼び込んだころなら机をたたいたかもしれない。今は客に次の入場時刻を伝えて順番を決め、待てない人には料金を取らず帰ってもらった。
帰り際、エルナが帳簿を返した。
「確認した内容を提出します。仮登録の通知が来るまでは今の税額で計算してください」
「それなら毎晩やってる」
「もう一つ。無理に三階を開けて客を増やさないこと。そこはまだ見ていません」
「分かってる。五階まであるのに二階で疲れ切ってる」
彼女が笑う前に、順番を待っていた冒険者が二人入ってきた。俺は帳簿を開いて入場料を受け取る。次の月の税を心配するより先に今日の帰還時刻を書かせなければならない。
その週は朝の客が減り、夕方の客が増えた。二階の人数を絞ったせいで入れずに帰る者もいる。儲けを考えれば受付へ詰め込むほうが早いが、事故の翌日にそれをやれば何のために棚を外したか分からない。待ち時間を知らせる板を外へ出し、戻ってきた客の名前を消して空きを作る。
一度来た人間は案内板の読み方を覚えてくれた。はじめて来た者へ順番を教える声も聞こえる。水を汲みに出るたび井戸の周りで誰かが紙を広げ、持って帰った素材の値段を計算していた。受付へ戻って質問されるのは三階の魔物についてではなく、次は何人で入れば採取区画を効率よく回れるかだ。
「二人でいい。交代で袋を持てば手が空く」と俺が答えると、三人で組もうとしていた冒険者が顔を見合わせる。「三人目が余るなら一階の新人についてやれ。今日の魔物の動きはそっちでも見られる」
それで二人は二階へ、もう一人は一階の講習へ向かった。人数を振り分けるくらいはできるようになったが、誰と組むかまで決めるのは俺の仕事ではない。講習を頼まれたミレイユが、槍を置く場所を示しながら新人に声を掛けている。
彼女がいない日は俺が案内をする。魔物の癖を教えようと実演したら、一歩目で足を滑らせた。新人が心配するより先に笑い出したので、その場にいた全員へ床の浮いた石を見せた。管理人でも転ぶと分かったら次から足元を確かめるだろう。俺は二階の床が直りきっていないことを帳簿へ書いた。
迷宮核を使えばその夜に修復できたが、全部を一晩で直せば薬草の成長が止まる。次の朝は採取区画を片方閉め、床へ力を回した。冒険者が稼げると宣伝した場所で採るものが減れば文句は出る。それでも倒れた棚を直す前に魔石を増やしたときより理由は説明しやすかった。
ミレイユはギルドから帰るたび別の冒険者に声を掛けられるようになった。新人の案内を見た者が短い依頼に誘う。戦うときは避けるばかりで役に立たないと言っていた相手も、危ない場所を先に見つけられるなら一緒に来てくれと言ったらしい。
「行けばいい。ここは俺の迷宮だし受付は俺がする」
「明日は行くよ。二日分の仕事。受付の板は直しておいたから字を読んでね」
「自分で書いた板だぞ」
「昨日は講習の時間を間違えてた」
言い返せなかった。客が来た時間を記録し終える前に水差しを取りに走り、戻ったら紙を一段ずれて見ていた。彼女がギルドの依頼へ出る間は一人でやるしかない。ガルドの古い椅子をもう一脚引っ張り出したが、座る暇はほとんどなかった。
月末が近づくと雨が降った。井戸の脇で順番を待つ客がぬれるので、受付の屋根から布を伸ばした。露店の商人が余った縄を貸してくれたが、代わりに店を迷宮入口へ寄せたいと言う。
「馬車の通る分を空けておくなら好きにしろ。入口の前で足を止められると帰ってきた冒険者が出られない」
「線を引いておきます。客が増えればこっちも助かりますから」
彼は土の上に石を並べて店の場所を決めた。俺は井戸までの通り道だけ確かめる。商人から場所代を取る案も帳簿の端へ書いたが、いまは屋根と入口の修理が先だ。場所の取り決めを作らず金だけ受け取れば、次は馬車と露店の間で言い合いになる。
徴税日の二日前、エルナが封筒を持って来た。受付は客でふさがっており、彼女は最後の一人が入るまで井戸の横で待っていた。封筒にはギルドの印が付いている。
「王国冒険者育成指定迷宮の仮登録です。一階と二階が対象。事故の記録も変更後の確認も通りました」
「三階より下は?」
「今回は対象外です。開けるなら別に安全を確認します。書類を読んでから奥の地図を書き足してくださいね」
俺は封筒から紙を出し、登録の日付と条件を確かめた。仮登録が続く間、領主側が独断で次の税率を変えることはできない。ただし現在の納付額には関係がない。今月末に七百二十枚を払うことは変わらなかった。
「明後日が徴税だ。払う額はそろってる」
「でしたら領の担当へ登録の控えを渡します。あなたの原本は保管してください」
「帳簿の下に挟んでおく」
「そこは誰でも触るでしょう。水差しの近くにも置かないでください」
迷宮核より紙の扱いが難しい。エルナの目の前で封筒を小屋へ運び、ガルドの机の引き出しへ入れた。戻ると彼女はまだ受付の前に立っており、案内板に書いた休憩室の人数を見ている。
「最初に来たときより分かりやすいです。入場の順番も誰が決めるか書いてある」
「あんたに言われて直したところばかりだ」
「直したのはあなたです。書いてある通りに運用してください」
最後だけ厳しく言って彼女は帰った。俺は帳簿の人数を数え、計算の途中に付けた印を消した。明後日までに入る金を当てにせずとも税は払える。そう分かってからやっと手持ちの銅貨を全部並べ直す気になった。
この一か月の入場者は三百五十人。最初の数日は二人来れば多かったのに、後半は人数を制限しても一日十五人ほどが来た。入場料は銅貨千五十枚になる。素材は買い取った代金を引いた分が三百枚。装備の貸し出し、荷物預かり、初心者講習を合わせて二百八十枚。手元に残る収入は千六百三十枚だった。
壁と床に使った石材、道具代、事故で掛かった費用が四百三十枚。ミレイユに渡した案内の賃金が百八十枚。二つを引くと千二十枚になる。ここから税の七百二十枚を払えば三百枚残る。先月までより三十枚増えた勘定だが、働いた時間まで並べたら笑うしかなかった。
「十倍働いて三十枚か」
迷宮核へ回す魔力も安定するまで待たなければならない。三階から下は手つかずだ。増えた客の一部が次は奥へ行きたいと言っており、休憩室もそろそろ狭い。税が終われば寝られると思っていたのに、次に直すものが机に何枚も積まれている。
それでも帳簿の最後の数字へ線は引かなかった。家を明け渡す必要がなくなったことは確かだ。ガルドが使っていた引き出しを閉め、税の分だけ別の袋に入れた。
徴税の朝、馬車が来たときには受付の前に列ができていた。バルガスが降りてくると、待っていた冒険者たちが道を空ける。金髪も高い服も先月と同じだが、足元の土は大勢に踏まれて固くなっている。
「管理人はいるか」
「ここに。今日は納付の日だったな」
俺は客の名前を書き終えてから袋を取り出した。役人が一度こちらを見て、バルガスの指示を待つ。バルガスはうなずいて袋を渡すよう言った。
「銅貨七百二十枚。数えてくれ」
役人は受付の端を借り、積んだ銅貨を十枚ずつ分けていく。待っている客の一人が荷物を肩から下ろした。時間が掛かるなら入場の列を先に進めてほしいだろうが、徴税が終わるまでは帳簿を閉じられない。
「随分と客を集めたものだ」
「税を払うにはそれしかなかった」
「あの古井戸に用がある者などいないと思っていたが」
「俺も思ってた。入ったら帰ってこられる道と、採った物がいくらになるかを書いただけで違ったよ」
バルガスの視線が価格表と休憩室の案内に移る。露店の商人は店の前に立って客を呼んでいる。迷宮の扉から出てきた組には受付へ帰還を告げるようミレイユが指で示した。
「今季の改定にも対応できたなら、来季からの税率を見直す余地があるな」
バルガスがそう言いかけたところへエルナが来た。いつもの受付の服ではなく、ギルドの印が付いた書類入れを抱えている。彼女は俺に会釈し、バルガスへ書類を差し出した。
「リグナ迷宮は王国冒険者育成指定迷宮として仮登録されています。領の担当部署へ控えを届けてありますが、念のためこちらもお持ちしました」
「仮登録だろう。今月の額に影響はない」
「その通りです。来季以降の税率変更には指定迷宮の手続きが必要になります」
バルガスは書類の日付を読み、俺のほうを見た。横で役人は銅貨を数え続けている。俺は今朝受け取った入場料と納税の銅貨が混ざらないよう帳簿を引き寄せた。
「準備がいいことだな」
「次も三倍と言われたら払えない。だから申請した」
「いつまで続くかは知らんぞ。客が減れば指定を維持できなくなるかもしれない」
「そのときは、そのときの帳簿を見て直す」
役人が数を終え、七百二十枚と読み上げた。受領の印が押される。俺は控えを受け取り、金額を確かめてから引き出しにしまった。
「税金は払いますよ。決められた分なら」
バルガスは何も答えず馬車へ向かった。途中で露店の商人が道を空け、彼の靴が並べた石の外を踏む。馬車が通り過ぎるのを待っていた冒険者たちは、すぐに列を作り直した。俺は納付の欄に印を付け、次の名前を呼ぶ。
「これで小屋から追い出されずに済むね」
ミレイユが帰還した客の袋を量りながら言った。昨日までギルドの依頼に出ていたはずなのに、今朝は受付を手伝っている。
「お前、今日はここで働く予定だったか?」
「依頼は昨日終わった。今日は帰りに寄っただけ」
「寄っただけで袋を量ってるじゃないか」
「人が並んでたからね。これが終わったら帰るよ」
彼女が客へ買い取りの値を告げると、相手はギルドの価格表を確かめてからうなずいた。最初に俺が見せたときと同じやり方だ。代金を受け取った冒険者が礼を言い、代わりに新しい客が階段を下りていく。
税は片付いた。これなら受付を閉めて一日くらい眠れるかもしれない。そう考えた翌朝、俺の前には昨日より長い列ができていた。露店の横には新しい馬車が止まり、その向こうではエルナが見慣れない一団を連れている。
「管理人。第三階層の罠、直ってないけど」
ミレイユが一番に言った。昨日帰ると言っていたのに、今朝も短槍を持っている。
「三階は経験のある組だけだ。帰ったんじゃなかったのか」
「朝から次の依頼までの時間が空いた。見てきたの。罠の脇の石が緩んでる」
続いてエルナが紙を掲げた。
「ギルドから見学者が十二人来ます。全員一度に入れないのは分かっています。順番を決めてもらえますか」
「それなら先に連絡をくれ」
「昨日伝えたら、今月の税の計算が終わるまで話しかけるなと言われました」
俺が思い出す前に露店の商人も声を掛けてきた。
「入口に店を出したい者がもう一人いるんです。場所の相談だけでもいいですか」
その後ろでは新人の冒険者が手を挙げている。「初心者講習、今日は何時からですか」と聞かれ、俺は帳簿の余白を見る。講習の時間は書いていない。ミレイユは昼に別の依頼がある。俺がやるしかなかった。
「……税金三倍の方が楽だったんじゃないか?」
「今さら遅いでしょ。あんたが始めたんだから」
ミレイユは笑って、三階の石が浮いた場所を地図に書き込んだ。エルナは見学者を井戸の横へ案内し、商人は馬車をどこへ置くか考えている。俺は講習の時間を板に書いてから迷宮の扉を見た。
ガルドはよく言っていた。迷宮は人を食って育つんじゃない。人が来るから育つんだ、と。何年も客のいない入口に座っていたころは、あの人が何を面白がっていたのか分からなかった。いまは屋根の布が足りず、地下の石まで直さなければならない。来た人間の数だけ手間が増えている。
俺は受付台に座り、先頭にいる新人から銅貨を受け取った。
「一人銅貨三枚。初心者は最初に説明を聞け。無茶はするな。死なれるとこっちが困る」
新人がうなずき、後ろの冒険者も順番に銅貨を置いた。ミレイユが一階まで案内すると言って先に降りる。俺は帰還予定の欄に人数を書き、次の客へ手を伸ばした。




