第8話 取引
それから一時間ほど、西の庭園で過ごしたイザベラとジークバルト。
昨日のクリストファーとの一件を、「いいから、教えろ」知りたがりの大公子にせがまれ、
「それなら、オルフェス家の間諜がつかんでいる東方帝国の情報をいただけませんか」
イザベラは取引を持ちかける。
「オルフェスの大公子を相手に取引を持ちかけるのは、イザベラぐらいだろうな」
嫌そうに顔をゆがめたジークバルトに、にっこりと微笑む。
「誉め言葉として受け取りましょう」
「ロザリンデ公爵令嬢が婚約している第二皇子のことなら、問題ないぞ。あれほど叩いて埃のでない皇子もめずらしいからな」
「お会いしたことがあるのですか?」
「何度かな。オルフェスは国境に面していることもあって、中央の森が近い。あそこは唯一の中立地帯でもあるから、けっこう他国の王族も出入りしているんだ。森の獣を狩れば、けっこうな金になるからな」
中央の森。
その名のとおり、大陸のほぼ真ん中に位置する深い森で、各国が崇拝する神々が棲むとされている神域でもある。森の中心部には神殿があり、祈りを捧げにくる王国貴族は多い。
しかし問題なのは、神殿に辿りつくまでに通らなければならない深い森は、大型で気性の荒い獣たちの棲みかにもなっていて、非常に危険なのだ。
「その森で、獣の群れに囲まれていた第二皇子を助けたことがあってな。その縁で交流があるんだ。イザベラも知ってのとおり、この時期の軍事演習は、東方帝国との合同演習でもあるからな、そういう意味では、あちらの王族や貴族とは、なにかと顔を合わせる機会が多いんだ」
「そうでしたか。ジークバルト様のことでしょうから、それとはべつに間諜も潜らせていることでしょうね」
「……まあな。で、俺が知っている第二皇子と、間諜から報告のあった第二皇子の行動に差異はない。ほとんどいっしょだ。というよりも、アイツはそのまんまだな。つまり、あやしいところはない。イザベラが心配しているような男ではないから安心していい」
こちらの知りたいことを把握しているので、ジークバルトとの話は早い。
「そうですか。安心しました。ちなみに、ジークバルト様は叩けば埃がでるのでしょうか」
「あのなあ。いっとくけど、俺からは塵ひとつでないからな」
朱金色の瞳が、細められる。
「疑っているな」
「ええ、まあ……」
「賢いイザベラが知らないことを教えてやる。俺ほど一途で純情な男はいない。ちなみに、いまならちょうど狙い目だぞ」
「ジークバルト様」
「なんだ」
「わたしはいま、王城に出入りしているわけではありませんから、さほど王宮の内情を把握しておりません。ですから、ジークバルト様が取引を持ち掛ける相手としては、あまり有益とはいえませんよ」
「……もういい」
「あら、また拗ねましたね」
こんな感じで一時間。
結局イザベラは、東方帝国のさらなる情報と引き換えに、クリストファーとのことを根掘り葉掘り白状させられた。
陽が落ちて、そろそろ大公国に帰還するのかと思ったら、
「腹が減った。食事に付き合ってくれ」
夕食も食べていくらしい。
今日はロザリンデが、朝から王都に出かけて不在にしているので、ちょうどいいといえば、ちょうどいい。
「そうですか。では、食堂に――」
「いや、外に行こう。門限は十時だったよな。あとで女子寮まで迎えにいく。ああ、そうだ、あとアレだ……ちょっと遅くなったが、17歳、おめでとう、イザベラ。祝いに食事でもおごらせてくれ」
「ありがとうございます」
断る理由はない。
外出することになり、自室で着替え、エントランスに降りていくと、そこで待っていたのは、ジークバルトではなく、第二王子クリストファーだった。
気づかないふりをしていると、めずらしいこともある。
「イザベラ……」
クリストファーから声をかけてくるのは久しぶりだった。
ただしその顔は相変わらず不機嫌で、本当に残念だ。
「イザベラ、なぜ返事をしない」
いちいち苛立ちをみせられても、相手をする気も起きない。
「なんでしょうか。クリストファー殿下。ミラーラ子爵令嬢をお待ちなのであれば、まだいらしていないようですが」
「ミラ……ミランダを迎えに来たわけではない。今日は……夕食でもどうかと、イザベラを誘いにきたんだが……出かけるのか?」
こちらが外出着であることに気づいたようだ。
「ええ。そうですが」
「……話がある。外出はまたにしてもらえないか」
「無理ですね。約束をしておりますので」
にべもなく断れば、クリストファーの顔色がサッと変わる。
「約束? ロザリンデ嬢は王都に出かけていて不在だろう。いったい、だれと――」
「俺だ」
背中からの声に振り返ったクリストファーが、予想外の人物の登場に驚いているのがわかる。
まあ、そうなるのもわからなくはない。
それにしても、また随分と絶妙なタイミングで登場してきたものだ。
オルフェス家の息のかかった間諜が、女子寮にもまぎれているのかもしれない――などと考えているうちに「イザベラ嬢」と差し出された手。
約束どおり、人前では敬称をつけてくれるジークバルトに微笑みながら、イザベラはその手に、自分の手を重ねた。




