第36話 尽くしたい男
「なんだよ。そんな面白いことになっていたのか」
ガルディア家が所有する海上レストランで、オルフェス大公国の大公子ジークバルトは大笑いした。
日曜日。
プライベートルームとなっている特別室で、イザベラと楽しくランチをしているところに乱入してきたジークバルトに、
「うるさいわね。ああ、もう。戻ってくるのが早すぎない?」
ロザリンデは心底嫌そうな顔を向けた。
「昨日の午後に王城に行ったのに、どうして今日のお昼に戻ってきているのよ。国境線上の軍事報告っていうのは、そんなに簡単に済むものなの?」
「通常演習の報告だからな。『いつもどおりです』といえば、それで終わる。ああ、クソッ――クラリス王妃殿下にさえつかまらなかったら、昨夜のうちに戻れたのにな」
クリストファーの婚約が保留となり、イザベラが唯一申し訳なく思ったのは、王妃クラリスに対してだった。
厳しい方ではあるけれど、王太子妃候補を退いたイザベラが、第二王子クリストファーの婚約者となったときは、ことあるごとに気遣ってくれた。
「ジーク、王妃殿下はお元気そうでしたか?」
「目を吊り上げながら、俺に文句を言ってくるくらいには、元気だったぞ」
「クラリス王妃殿下に限らず、王宮の人間は全員、北の大公子に文句のひとつも言いたいでしょうね。なぜなら、ロマリアの宰相クラスの政務能力があって、王太子妃教育を施された才媛を、オルフェスにかすめ取られてしまったんですから」
ロザリンデがそう言えば、ジークバルトは愉快そうに、また笑い声をあげた。
「ああ、そうだな。どこかの有能な公爵令嬢の根回しのおかげだな。ああ、そうだ。御礼に今日は俺が奢ろう。貸し切りパーティーでもするか?」
「貸し切りもなにも、ここは、わたくしのお店よ!」
そこに料理長のトムが、イザベラが大好きなシーフードマリネを運んできた。
つづいて、ブイヤベースとジャガイモとキノコのオムレツ。さらには、イザベラのために朝から焼いたクロワッサンと、料理がならべられていく。
「料理長、ずいぶんと張り切ったわね。全部、イザベラが好きなものばかりじゃないの」
「昨夜、わたしとエマで仕込みました」
「うれしいわ。ありがとう、トムさん」
イザベラに笑顔を向けられたトムは、すでに涙ぐんでいる。
「イザベラお嬢様、遠くに行かれても、どうかたまには、わたしとエマの料理を食べに帰ってきて……ううっ」
「もちろんよ。トムさんとエマさんの料理を食べるためだけに、ロマリアに帰ってきたいくらいなのだから。わたしが、王宮の料理よりも、ふたりが作ってくれる料理が大好きなのを知っているでしょう」
イザベラの言葉に涙もろい料理長は、さらに涙腺を崩壊させると、ジークバルトに黒革の手帖を渡した。
「大公子殿下、恐れ入りますが、こちらをオルフェスの料理人にお渡しくださいませんか。イザベラお嬢様が好んでいらっしゃる料理のレシピとなっております」
ジークバルトは立ち上がり、両手で受け取った。
「感謝する。城館にいる料理長に、俺が直接渡すと約束しよう。それにしても、こんなに貴重なものを無償で譲ってもらうわけにはいかないな。ぜひ、礼をしたい。何かないか。俺にできることなら最善をつくそう」
この申し出にトムは――
「それでしたら、あの……大公子殿下は黒竜の乗り手であると聞いております。ラケティアの渓谷はご存知でしょうか」
「知っている。深い谷がある場所だろう」
「左様にございます。じつは深い谷底には、最高の香辛料となる植物がたくさん自生しているのですが、切り立った崖が険しく、獣も出ることから、我々が取りに行けるような場所ではありません。妻のエマがいつも、ラケティア渓谷の香辛料を使って、イザベラお嬢様にアップルパイを作るのが夢だと申しておりまして……」
「それは、最高の夢だなっ! わかった。あとで取りに行くから、必要な種類や量を教えてくれ」
「かしこまりました! ありがとうございます! それでは皆様、どうぞ食事をお楽しみください」
料理長のトムが、弾むような足取りで出ていったあと。
「ジーク、大丈夫なのですか? ラケティア渓谷には獣が多いと聞いていますが」
イザベラが心配すると、マリネを一口食べたジークバルトが微笑んだ。
「問題ない。ラケティアの谷に、俺が倒せない獣はいない」
自信に満ちた目で、イザベラの蒼銀の髪を嬉しそうに撫でる。
「俺の夢は、愛した女に尽くすことだっった。いま、だれにも邪魔されることなく、それができるのだから最高に幸せなんだ。今夜中に戻ってくるから、行ってもいいだろ?」
ロザリンデも賛成する。
「取りに行かせればいいじゃない。最高に美味しいデザートが食べられるのだから。それに、黒竜で谷底に行くオルフェスの王太子に近づく獣なんていないわよ。暴君が来た~って、獣のほうが隠れるでしょうね」
「まあ、そうだろうな。それにしても、このマリネは美味いな。イザベラ、ほら食べてみろ」
自分のフォークでイザベラに食べさせようとする北の大公子は、心底嬉しそうだ。
本当に尽くすのが喜びなのか、
「イザベラ、これは? ブイヤベースは冷ましておこう。ほら、クロワッサンだ。飲み物は?」
あれこれと、ウルサイ。そして、非常にウザイ。
こんなに美味しいマリネやブイヤベースを食べながら、胸やけがしてくるのはひとえに、目の前にいるデレデレの男のせいだと、ロザリンデは思う。
イザベラにしか目に入っていない様子で、あれこれと世話を焼きたがる様子は甘々で、こちらの食欲をおおいに減退させているけれど、この2年間、クリストファーからの仕打ちで傷ついてきた親友が、困った顔をしつつ楽しそうにしているのを見て、ロザリンデもまた嬉しくなる。
あとはこのまま、田舎令嬢と第二王子の愚か者同士のカップルが、おとなしくしていればいいけど……
田舎令嬢の方はともかく、昨夜、だれよりも打ちひしがれた表情をしていたクリストファーのことが、ロザリンデは妙に気に掛かった。




