第31話 近況と苦戦
「イザベラ、お帰りなさい。会いたかったわ」
「ただいま、ロザリンデ、わたしも会いたかったわ」
名門ガルディア公爵家の御令嬢ロザリンデのために用意された学園の特別室で、再会を果たしたふたり。
「オルフェスに行ってからは、あっという間の1か月だったわ」
「1か月ではないわ。55日ぶりよ。ほぼ2か月よ」
「そうだったわ。オルフェスの政務室で過ごす1日は、学園に通っていたころの倍近いはやさで過ぎていくから、時間の感覚がずれてしまうのね」
「まあ、イザベラ、そんなに働かされているの? でも、さもありなんね。オルフェスの軍事費のデタラメ具合は有名ですもの。トンチキな財政を立て直すのも大変そうだわ」
「まあ、ロザリンデ、あなた、オルフェスの財務諸表を見たような口ぶりね。もしかして政務官のサイモン卿とツーカーだったりするのかしら」
「やめてちょうだい、イザベラ。希少価値の高いオルフェス産のコーヒー豆とワインを融通してもらうために、ガルディア家が公国費の一部を支援しているからって、わたしから財務諸表を見せろ、だなんて言ってないわ」
立ち話をつづけるロザリンデとイザベラの元に、ティーワゴンを押してきたメイドがお辞儀をする。
そこでロザリンデが「あら、いけない」と、イザベラに窓際の椅子をすすめた。
「ごめんなさい。会えたのが嬉しくて、ついつい立たせたままだったわ。イザベラ、座りましょう」
「そうしましょう。ひさしぶりに会うと話すことがいっぱいだわ。ベッキーもお久しぶりね。本邸からはいつきたの?」
イザベラを慕う公爵家のメイドは、顔をほころばせた。
「ギルガルド侯爵令嬢、お久しぶりにございます。2か月ほど前、ロザリンデお嬢様が、朝も明けきらないうちから王都にいらして、恐ろしい手際の良さで王令を捻じ曲げたときにございます。その日のうちに、血相をかえて学園にお戻りになると言い出したお嬢様に、わたしも同行いたした次第です」
「まあ、そうだったね。では、あの夜は、あなたにも世話になったのね。すっかり御礼が遅くなってしまったわ。ありがとう、ベッキー」
「もったいない御言葉にございます。ギルガルド侯爵令嬢が心健やかにお過ごしになるためであれば、わたしをはじめ、ロザリンデ様に仕える者は、いかようにもお手伝いさせていただきます」
それを聞いたロザリンデが、「まったくもう」と苦笑いを浮かべる。
「イザベラの人たらしぶりは顕在ね。ああ、そうだったわ。じつはね、学園にもうひとり、イザベラのことを目にいれても痛くないほど可愛がっていらした貴婦人が、それこそ血相をかえて特別講師として王宮からいらしているわ」
「どなたかしら。王宮で親しくさせていただいている方は、何人かいらっしゃるけれど……」
「元侍女長のナタリア夫人よ」
その人物の名に、さすがのイザベラも驚いた。
「妃教育の筆頭担当官であるナタリア様が?」
「ええ、新しい第二王子妃候補者たちが学園に集められることになってね。ナタリア夫人は、イザベラが王宮に嫁いでくるのを心待ちにしていらしたから、婚約保留になって、よっぽど腹に据えかねたようね」
「ご挨拶にいかないと」
時刻は午後3時。
「ああ、それはもう少し時間を置いてからがいいわよ。この時間はちょうど、基本作法をビシバシ鍛えているころだから」
御茶の香りを楽しみながら、ロザリンデは冷ややかな笑みを浮かべた。
「少し様子を見たけれど、伯爵令嬢は半泣きだったわ。男爵令嬢はすでに脱落。子爵令嬢にいたっては脱落したくても脱落できなくて、学園から逃亡しそうよ」
子爵令嬢ミランダ・ミラーラが、あれからどうなったか。
王都から離れ、オルフェスで充実した日々を過ごしていたイザベラは、ロザリンデの話を聞きながら、「あらあら」とおなじく冷笑を浮かべた。
――まあ、そうなるでしょうね。
クリストファーと過ごす放課後や休日。夜会でエスコートされることに、何よりも喜びを感じているようだったミランダが、王国でもっとも洗練された行儀作法やマナーを身につけ、ロマリア王国史や法令法規、王宮行事の数々のしきたり、3か国以上の外国語をマスターすることは、容易ではないだろう。
もちろん王子妃に求められるのは、それだけではない。
他国の要人との外交をするためには、相手国の文化、歴史、政情にも明るい必要があり、不測の事態が起きた場合の臨機応変さや適応力も、当たり前のように求められる。
歴史や法令、語学などは、本人の資質や努力によって成果は上がりやすいかもしれないけれど、行儀作法やマナーは、貴族の子女として生まれてから、段階的に身につけていくものである。
短期間で詰め込んでも粗が目立ちやすく、国の代表として表に立てるようになるまでは、相当な時間を要するはずだ。
さらには、特別講師として令嬢たちの妃教育にあたっているらしいナタリア夫人は、求めるレベルがもっと高いことで有名だ。その教育の厳しさは、イザベラもロザリンデも身をもって知っている。
学園から逃亡したくなるほどミランダが苦戦している様子が、イザベラには手に取るようにわかった。




