第27話 イザベラの心残り
オルフェス大公国の政務官となって3年。
サイモン・ガーフィールドは、執務室に現れたロマリア王国一の才媛を、涙、涙、涙で出迎えた。
「うううぅっ、ギルガルド侯爵令嬢、ようこそ。本当にようこそ。ある意味、わたしが一番、御令嬢がいらっしゃるのを心待ちにしておりました」
「サイモン卿、お久しぶりです。本日より、よろしくお願いします」
イザベラから差し出された手を握ろうとしたところで、サイモンの手は死神に叩き落とされた。
「さわるな」
「痛いのですが……ところで、普段は執務室に寄り付きもしないジークバルト様が、いったい何の御用でしょうか」
自分よりもかなり高い位置にあるジークバルトの顔に、サイモンは書類の束を突き付ける。
「いいですか。ここにいるのなら、だれであろうと仕事をしてもらいます。ちなみに、いつも兵舎まで運んでいる書類がこれです。さっさと目を通してください。ギルガルド侯爵令嬢のことならご心配なく。政務については、ジークバルト様の100倍有能な御方ですので!」
なんとも懐かしい。
ロマリア王国の政務官だった頃から、サイモン・ガーフィールドは上の者に対して、臆せずものを言う。
上官の顔色をうかがう者が大半の王宮内で、サイモンの物怖じしない姿は、イザベラの目にはとても好ましく映ったけれども、残念ながらそうではない者の方が多かった。
そのため、仕事ができるにもかかわらず、出世の道が閉ざされていたサイモンを、自分が王家に嫁いだときには、専任の政務官として迎えたいとイザベラはずっと思っていたのだ。
それがオルフェス大公家で、こうして再会できるとは夢にも思っていなかった。
声をひそめることもなく、サイモンは言う。
「ギルガルド侯爵令嬢、聞いてください。こちらの政務官に着任して、わたしは驚きました。大公家の財政管理はザルです。大げさではなく、穴のあいた大ザルなんです。大公閣下もそこの大公子殿下も、すぐに戦に行ってしまって、お金を使いたい放題してくるのですが、後処理はすべてこちらに丸投げなんですよ!」
サイモンのうしろにいる同僚の政務官たちも、首を大きく縦に振っている。
「まあ、それは大変ね。軍事費に予算がまわりすぎると、他の予算にしわ寄せがいってしまうから、結局、領地の内政に必要な経費が削られてしまうのよね」
「ああ、感動的です。ひさしぶりに我々の話が通じる方がいらっしゃった。ギルガルド政務官殿、さあ、こちらにどうぞ。専用の机をご用意しております」
「サイモン卿、どうか、イザベラと呼んでください。皆様も、どうぞよろしくお願いたします」
執務室を見渡しながら、丁寧にお辞儀するイザベラに、サイモンをはじめとするオルフェス大公家の政務官たちは、全員ポ~ッと頬を染めた。
昼休み。
昼食にイザベラを誘いに来たジークバルトは、日当たりの良いサンルームで口を尖らせていた。
「この前のリカルドといい、今日の政務官たちも! イザベラに少し話しかけられたぐらいで、すぐに赤くなりやがって」
「気に入りませんか?」
「当たり前だ。これまで俺が、どれだけ顔にださないように努力してきたと思っているんだ。まあでも、イザベラが楽しそうにしているから……我慢はするけどな。その……イザベラは領地の内政に、むかしから興味があっただろう」
「覚えていてくださったのですね」
少しずつ、ジークバルトの表情がやわらいできた。
「イザベラのことならなんでも――と、いいたいところだが、この2年はあまり会えていなかったからな。できれば、いまからその分を取り戻したい。政務以外で、何かしたいことはあるか?」
「そうですね」
ジークバルトとこうして穏やかな時間を過ごしていると、ふと忘れそうになってしまうけれど、イザベラには少々心残りがあった。
「ジーク、じつはわたし、デア・ラケティアで、ずっとやってみたいことがありました」
「学園でやってみたかったこと? それはなんだ?」
「恋人とのイチャイチャです」
勢いよくジークバルトは茶を噴いた。
「イチャ……なんだって?」
「イチャイチャです。いけませんか?」
困惑顔のジークバルトを見るのも楽しくなってきた。
「いや、悪くはないが……」
「協力してもらえませんか?」
「え、俺が?」
「はい、いま、わたしとイチャイチャしてくれるのは、ジークしかいないと思うのですが。それとも代役を立てますか?」
「立てるわけないだろっ! 俺がやる!」
「よかった」
ジークバルトに御茶を淹れなおして、「どうぞ」と渡す。
「ありがとう。でも、少し驚いた。イザベラはあまり……」
「イチャイチャしそうにありませんか? まあ、理由はもちろんありますけどね」
「やっぱりな。で、どんな理由だ?」
「意趣返し、とでもいうのでしょうか。ここ2年ほど、目の前で見せられてきたものですから」
「ああ、そういうことか。たしかに、それは俺じゃないとダメだ。ということは、しばらくしたら学園に戻らないといけないな」
心得たとばかりに、ジークバルトの顔に笑みが浮かんだ。
「イザベラがやりたいことは、なんでもしていいぞ。なんであれ、俺は協力するからな」
「ありがとうございます。ああ、それともうひとつ。これもつい最近、学園でやりかけたばかりだったのですが……」
「やりかけたこと? 何をしていたんだ?」
新しい御茶に口をつけたジークバルトの前で、イザベラは蒼銀の髪を掻きあげた。
頬杖をついて、黄金の瞳を光らせる。
「わたし、王国一の悪役令嬢を目指そうと思い立ちまして」
「あ、あく……」
獰猛な獣の群れを前にしても、眉ひとつ動かさなかったジークバルト・オルフェスは、愛しい侯爵令嬢が目指すものに、困惑の極みといった表情で眉をひそめた。




