第13話 イザベラとロザリンデ
船首に仁王立ちしているのは、暗闇のなかでも光輝く黄金の巻き毛を持つ令嬢。
「こんばんは、突然あらわれて、あれこれ引っ掻き回してくれた大公子殿下。まったく、とんでもない目に合ったわ」
「おかえりなさい、ロザリンデ。すっかり、迷惑をかけてしまったわね」
「ただいま、イザベラ。いいのよ、迷惑だなんてこれっぽっちも思っていないから」
船から上がってきた公爵令嬢ロザリンデから「はい、これ」と渡された書状に、イザベラは目を通した。
「完璧よ。ロザリンデ」
「当たり前よ。イザベラ」
公爵令嬢ロザリンデの登場に、ますますポカンとなっているジークバルトに、イザベラは書状をみせる。
あまりの展開のはやさに状況がのみ込めていない大公子の目が、書状の文言を追いかけていき、さらに大きく見開かれた。
「……任命? 本日付けで、イザベラ・ギルガルド侯爵令嬢と第二王子クリストファー・ロマリア殿下の婚約を一時保留とし、オルフェス大公家の政務官として臨時派遣……する、だって!?」
「ほほほ、北の大公子よ、とくと御覧なさい。わずか半日で、王令すら捻じ曲げるガルディア家の権威に、ひれ伏してもよくてよ」
ロザリンデは、どうだといわんばかりに胸をそらしたが、残念ながらそれは、書状を見つめるジークバルトの耳には届いてなかった。
「つまり、これでイザベラを、オルフェスに連れていける大義名分を得られたということか」
「そのとおりよ、オルフェス大公子殿下。貴方が大慌てでやってこなければ、一時保留などではなく、正式に婚約解消まで持っていけたのに」
「イザベラとようやく……ずっといっしょにいられる」
「オルフェス大公子殿下は、文字が読めなくなったようね。臨時派遣よ。その間にイザベラが、自分の夫にふさわしいか、貴方を見極めることでしょう」
「俺が、イザベラの夫に……」
書状に釘付けの大公子と話すのをあきらめたロザリンデは、「侯爵閣下からよ」イザベラに手紙を渡す。
「お父様……突然のことで心配したかしら」
「大丈夫よ。少々、驚かれてはいたけれど、イザベラの御父上ですもの。すべて把握していらしたわ。それから、こちらは侯爵夫人から」
イザベラの手に渡されたのは、菓子の箱。
「さすがはエミリア様よ。一切、動じていらっしゃらなかったわ。オルフェスに向かう途中で、大公子殿下と召し上がれ、ですって。わたくしも頂いたのよ。ああ、憧れの剣士エミリア様から手製の菓子を頂けるなんて……これだけでも王都を駆けずり回った甲斐があるというものよ」
結婚前、イザベラの母エミリアは、ロマリア王国初となる近衛騎士団長に任ぜられた女性だった。
王都ではいまも、絶大な人気を誇り、剣士としてはいまだに現役。
ロマリア王国の剣術大会で10連覇中という、ロザリンデが敬愛してやまない憧れの剣士なのだ。
接岸した船には、イザベラに必要な荷物がすべて積み込まれていた。
「さあ、行くわよ」
ふたたび船首に立ったロザリンデの合図で、イザベラとジークバルトが乗り込んだ船は、ゆっくりと動き出した。
芸術と花の都と称される美しい街の明かりが小さくみえる海岸で、船を降りたイザベラとジークバルト。
砂浜には、竜騎士ジークバルトの相棒である黒竜が待っていた。
黒竜の背に、船夫たちによって荷物がのせられている間。
イザベラは、大親友ロザリンデとの、しばしの別れを惜しんだ。
「ありがとう、ロザリンデ。貴女の友でいられることが、わたしの誇りよ」
「どこにいても忘れないで、イザベラ。貴女の幸せをいつも願っているわ」
そうして目尻に浮かぶ涙を拭った公爵令嬢は、真っ赤な瞳を燃え上がらせ、大親友をさらっていく大公子を睨んだ。
「いいこと。ジークバルト・オルフェス、貴方がソードマスターだろうが、戦場の死神と恐れられていようが、わたくしの親友イザベラ・ギルガルドを悲しませようものなら、その首、刺し違えてでも斬り落としやる。忘れないことね。わたくしが首を狩りにいくときは、そのうしろに剣聖エミリア・ギルガルド様がいるということを!」
「肝に命じる。だが、万が一にも、俺がイザベラを悲しませるようなことがあれば、俺の方からこの首を差し出す覚悟だ」
「その言葉、信じましょう。それから、これも覚えておくように。わたくしがイザベラに会いたいときは、つべこべ言わず、早急に連れてくること。まずは近日中に、ギルガルド侯爵家にて、エミリア様が主催する御茶会があります。今回のわたくしの働きを褒めてくださる会なので、必ずやイザベラを連れてくるように! いいわね!」
「…………」
「返事はっ!?」
「……わかった」
ロザリンデとガルディア家の従者に見送られ、イザベラを背後からしっかりと抱きかかえたジークバルト。
「ありがとう、ロザリンデ」
「礼など無用よ、イザベラ」
「感謝する、ガルディア公爵令嬢」
「ジークバルト・オルフェス、しょうがないから、ロザリンデ様と名前で呼ぶことを許してあげるわ」
「……ああ、そうですか」
「もっと嬉しそうになさい。わたくしを名前で呼んでいいのは、両親と兄弟、イザベラとエミリア様、それから、婚約者の皇子殿下だけよ」
「……けっこういるじゃねえか」
「何か言いましたか、ジークバルト・オルフェス」
「いいえ……ありがとうございます。ロザリンデ様」
「まあ、すごいわ、ロザリンデ。オルフェスの大公子が敬語を使ったわ!」
「ほほほ。わたくしには一生頭があがらないことを、北の暴れん坊も悟ったのでしょう。さあ、もう行って、別れが悲しくなるだけだわ。イザベラ、また会いましょう」
「ええ、ロザリンデ。何かあったらいつでも呼んで。また会う日まで、どうか元気で」
夜空に、黒竜が飛び立った。