第11話 未来の暴君
「今夜、イザベラを夕食に誘う予定だ」
昨日のことがあり、ようやく事態の深刻さを受け止めたクリストファーは、今朝、そう話していた。
夕刻、高位貴族用の女子寮に向かう王子を見送ったとき、側近のエリオットは祈るような気持ちだった。
どうか、ギルガルド侯爵令嬢にお許しいただけますように。
しかし、つい20分ほど前に見送った第二王子は、これまで見たことがないほど打ちひしがれた表情をして、フラフラとした足取りで戻ってきた。
その姿に、良い結果にはならなかったことを察したエリオットは、椅子に座ってうなだれるクリストファーのそばに膝をつく。
「殿下、これまでのことを考えれば、イザベラ嬢のお怒りはごもっともです。ですから、一度、夕食を断られたからといって、あきらめてはいけません」
明日も、明後日も、まずは話し合う機会をもつべきだと進言しようとしたとき、両手で顔を覆ったクリストファーが声を震わせた。
「アイツが……ジークバルトが来ていた。イザベラに会いに……」
「なんですって! オルフェスの大公子殿下がっ!?」
その名を聞いてエリオットは、気が遠くなるのを感じた。
ジークバルト・オルフェス 通称「死神」
ロマリア王国の血筋を受け継ぐ大公家の後継者にして大陸最年少のソードマスターは、戦闘力最強といわれる竜騎士団を率いるロマリア王国の軍事の要であり、同時に最大の警戒対象だった。
その大公子が、ギルガルド侯爵令嬢に会いに来ていた、しかも昨日の今日で……
エリオットの背中には、冷や汗がつたう。
「そ、それで、どうされたのですか? ギルガルド侯爵令嬢にはお会いにならなかったのですか?」
「会った。ちょうど、女子寮のエントランスに着いたとき、階段からイザベラが降りてきて、そこで夕食に誘ったんだ。そうしたら、先約があると断られて、すぐにジークバルトが現れた」
「先約の相手というのが、大公子だったのですね」
「ああ。アイツとは……いつものように言い合いになって、それで、いつもどおり言い返された」
大公子ジークバルトとのやり取りを聞きながら、エリオットは唇を噛みしめた。
――くそっ、こんなときに! 一番、厄介なヤツがっ!
ジークバルト・オルフェスの肩書きはいくつもあるが、エリオットがひとことで称するならば〖未来の暴君〗だ。
王家の血筋を引くだけあって、クリストファー同様、容姿は優れている。
しかし、この男の最大の魅力は、その並外れた戦闘力で、こればかりはクリストファーがどうやっても敵わない。
わずか13歳にして戦場を縦横無尽に駆け抜け、翌年には黒竜を従えて竜騎士となった。そこから連戦連勝。ここ数年、ロマリア王国が他国からの侵攻という脅威にさらされていないのは、もちろん王太子殿下の外交力もあるが、この北の大公子ジークバルト・オルフェス率いる、竜騎士団への恐怖からであった。
軍事面においての多大なる貢献。
それゆえに、ロマリア王国の属国であるはずのオルフェス大公国ならびに大公子ジークバルト・オルフェスへの待遇は、かなり特別なものとなっていて、あらゆる特権が与えられていた。
オルフェス大公国の自治権はもちろん、後継者である大公子には、ロマリア王国軍の指揮権、制限のない他国への出入り、他国との軍事的交渉権などなど、書きだしたらそれこそ数枚にも及びそうな特権の数々。
いくらなんでも与え過ぎだと、エリオットのみならず王都の貴族たちは感じていた。
事実、エリオットをはじめ王都の貴族子息は、この大公子を好ましく思っていない。
なぜなら、とにかく態度が横柄で言葉遣いを知らない。
大公子が敬語で話すのは、国王陛下ぐらいで、かろうじてクリストファーの兄である王太子殿下には敬意というものをわずかにはらっているが、それ以外はすべて見下した口調で話すのが常だ。
とくに王都の貴族子息に対してはそれが顕著で、第二王子クリストファーの側近であるエリオットなどは、「おまえ、だれだっけ?」と挨拶すらしてもらえず、この大公子が王城に顔をだしたときなどは、
「よう、調子はどうだ? この間の怪我は治ったか?」
王国軍の兵士たちの方が、よっぽど人間扱いされている。
口が悪く粗暴で横柄なこの大公子が、この学園の学生であるということを「ジークバルトが来ていた」というクリストファーの言葉で、久しぶりに思いだしたエリオットだったが、もうひとつの記憶もよみがえった。
あれは――ギルガルド侯爵令嬢とロザリンデ公爵令嬢が、まだ王太子妃候補だったころだ。
回廊で、王太子妃候補ふたりと顔を合わせた大公子は、何ごとか言葉を交わしていた。ギルガルド侯爵令嬢に何かを言われた大公子が、声をだして笑った。
大公子の笑い声をエリオットが聞いたのは、後にも先にも、あのときだけだ。
さらにあのときは、目を疑う光景も目にている。
あの傍若無人な大公子は、立ち去っていくギルガルド侯爵令嬢のうしろ姿を、いつまでも見つめていた。
後にも先にも、あれほど穏やかな目をした大公子を、エリオットは見たことがなかった。