第10話 ミランダ・ミラーラの王子様
子爵令嬢ミランダ・ミラーラは、昨日から胸の動機がおさまらなかった。
それは、あまりに突然だった。
昨日の放課後、いつものように学園の庭園にあるテーブル席で、すっかり仲の良くなった第二王子クリストファー様と楽しく語らっているときだった。
真横のテーブル席に腰をおろしたのは、名門侯爵家のイザベラ嬢。
冬の女神とも称される美しい蒼銀の髪と金色の瞳を持つイザベラは、圧倒的な存在感を放ちながら、こちらをジッと凝視してきた。
その表情からは、喜怒哀楽というものが一切うかがい知れず、その相貌が美しいだけに、ミランダは恐怖を覚えた。
となりに座るクリストファーも、ここまで至近距離から凝視されることに驚いているようだった。
イザベラの表情がわずかに変化したのは、このときだ。
強烈な居心地の悪さを感じはじめたミランダとクリストファーを見て、薄ら笑いを浮かべてみせた。
このとき、ミランダは悟った。
ああ、自分は、怒らせてはいけない人を、怒らせてしまった。
ミランダの実家は、王都から遠く離れた穀倉地帯にある領地をおさめていた。
領地といっても、そのほとんどが伯爵領で、子爵家のミラーラは管理を任せられているにすぎず、王都の華やかな貴族社会とは完全に隔離されていた。
そのため、憧れだけがつのった。
王都ではきっと、連日連夜、御茶会や夜会があって、社交界には素敵なドレスを着て、キラキラと輝く宝石を身につけた貴族令嬢たちであふれているんだわ。
なんて素敵な世界かしら。
このころ、社交界を夢見るミランダの一番の願いは、
「ああ、わたしも王都に行きたい。そして一度でいいから、王城の舞踏会に参加してみたい」
地方の領地に住む令嬢のごくありふれたものだった。
それが思いがけず叶ったのは、〖王立デラ・ラケティア学園〗の入学許可証が届いたことだった。
王都にいる貴族の子息や令嬢たちの多くが通う王立学園は、その年、地方に住む貴族の子息令嬢にも等しく教育を受ける機会を与えるべき、という貴族議会の方針から、ちょうど入学する年齢を迎えたミランダの元にも、入学を許可する通知が届いたのだった。
喜び勇んで入学した学園で、ミランダは王子様をみつけた。
ロマリア王国第二王子 クリストファー殿下
クリストファーは、ミランダが思い描いていた王子様像そのものだった。
王族の品格があり、だれよりも優雅で華やか。それでいて、明るく気さくなところがあって、爵位の階級に関係なく、話しかけてくれる。
あこがれの王子殿下に声をかけてもらい、誰もが浮かれ喜んだ。それはミランダもおなじで、地方から来たこを告げると、
「へえ、ずいぶんと遠いところから来たんだな。いろいろと勝手がちがうことが多いかもしれないけれど、何かあったら遠慮なく相談してくれ」
その言葉がどれほど、嬉しかったことか。
気が付けばミランダは、憧れの王子様クリストファーに夢中になっていた。
そして、調子にのりすぎてしまった。
イザベラ・ギルガルド侯爵令嬢が、第二王子クリストファーの婚約者であることは知っていた。
皇太子殿下の妃候補でもあったイザベラ嬢は、同じく妃候補であったロザリンデ公爵令嬢とともに、学園では別格扱いだった。
高位貴族として幼いころから培ってきた礼儀作法は、王国最高峰の妃教育によって磨き上げられていて、話し方から所作、そのすべてが完璧だった。
あまりに完璧すぎて、近寄ることさえできない。王族であるクリストファー殿下の方がよほど気さくだった。
学園に入り、自然と目がいってしまう第二王子とイザベラ嬢、それからロザリンデ嬢は、良くも悪くも目立っていた。
そのせいか、ミランダもすぐに気づいた。
近寄ることさえできない侯爵令嬢は、気さくな王子様に嫌われていた。
それはもう、だれがみても、はっきりと分かるほどに。
最初は、遠巻きにクリストファーを見つめるだけだったミランダも、たまに「あれ、久しぶりだね」と通りかかった第二王子から話しかけられるうちに、「こんにちは」とあいさつをするようになり、いつしか自分から「殿下」と話しかけるようになっていた。
そんなミランダを、おなじクラスの令嬢たちは、
「王子殿下からお声をかけてもらうのはいいけれど、こちらから話しかけない方がいいわ」
そう言って、何度かたしなめてきた。
なかには、
「ギルガルド侯爵令嬢に悪いと思わないの? 王子殿下の婚約者は、あの方なのよ」
口調を荒くして詰め寄ってくる者もいたけれど、そのころにはもうミランダは開き直っていた。
「どうしてそれを、貴女が言ってくるの? わたしに文句があるなら、直接、イザベラ嬢がくればいいじゃない。それに、本当にわたしが悪いのであれば、クリストファー様からお叱りを受けているはずよ。貴女は、クリストファー様が諫めないことを、わたしに言ってきているのよ。それは、クリストファー様に対する意見と受け取ってもいいのかしら」
クリストファーの名前をだしてからというもの、だれも文句を言ってこなくなった。
婚約者であるイザベラからも、相変わらず何ひとつ文句を言われないまま、婚約者よりも遥かに優遇され、特別扱いされるままの二年が過ぎていった。
そして昨日、
「わたしに対して、うしろめたいことをしていると分かっていながら、わざとそれを見せつけるように、おふたりそろって悪意をさらす。これはつまるところ、わたしに対する、殿下とミラーラ子爵令嬢の宣戦布告と捉えてよろしいか」
まっすぐな金色の瞳に射抜かれたとき。ミランダは息が止まるほどの恐怖を覚えた。
クリストファーが「まて、イザベラ……」と声をかけたにもかかわらず、ひとつも聞く気のない侯爵令嬢は不敵な笑みを浮かべつづけた。
「待ちませんよ。どうか大目にみてください。わたしもこれまで、おふたりのことをだいぶ大目にみてきましたのでね。このあたりでそろそろ、殿下とそちらの御令嬢のことを、学園だけではなく王城ならびに国王陛下のもとで、公にするのもありかと」
自分のなかに生まれたイザベラに対する恐怖感で、ガラガラと音をたてて崩れていくものがあった。