1話:生きる場所
そこは都会の喧騒から一歩離れたとある郊外の橋の上だった。橋の下には国内最大規模の川が流れている。そんな橋の上に彼はいた。彼の名前は望月匠。その目に光などはなく、ただ虚ろに橋の下を見ているだけだった。
「生きてても何もいいことなんかなかった。15の時に親に捨てられて、高校も行けなくて、ただバイトをしながらご飯食べて寝て起きる。それを繰り返す日々。俺に生きてる意味なんてないんだよね。バイト先では排他的な目で見られて、肩身は狭い。本当についてないよなぁ。神様は酷いな。でも、その苦しい生活も今日この瞬間に終わる。いや、終わらせるんだ。自分で・・・・・。」
そうつぶやいておもむろにパーカーのポケットに手を入れ、何かを取り出す。それは・・・・・なんと包丁だった。その包丁を自身の手首に狙いを定め、勢いよく振りかぶる。その目には絶対に外さない、そんな意志が籠っていた。その時だった。
「おい、兄ちゃん。そこで何してんだ?」
「え・・・・。」
現れたのは50歳前後であろう首から顎にかけて深い傷の入った漢。本能的に匠の手が止まる。そして包丁をポケットに隠す。それを見た男はさらに続ける。
「兄ちゃん、死のうとしてたな?何があった。俺に話してみろ。」
その言葉に偽善や悪意などは微塵も感じず、匠は本能で確信する。「この人には話していいんだ」と。その瞬間、匠の目に涙が溢れる。
「実は・・・・・」
そう言って匠は涙を流しながら今までの事を全て洗いざらいその男に話した。男は嫌な顔一つせず、真剣にそれでいて優しく全てを聞いてくれた。全てを話し終えた後、男は匠を抱きしめてこう言った。
「辛かったな、兄ちゃん。でもな、一つ聞いてくれ。自分で命を絶つことはな、どんな罪よりも大罪なんだ。お前はそれをしようとした。つまり、罪を償わなきゃならねぇ。それが何をすればいいか分かるか?」
「え・・・?分からないです・・・。」
「馬鹿野郎。簡単なことだ。幸せに生きるんだよ。お前は今まで、不幸の連続だった。どんなことがあっても全てが不幸になってきた。だからな、そろそろ報われなきゃダメなんだ。生きててよかったって、そう思えるような人生にならなきゃいけないんだよ。」
「どうすれば・・・いいんですか?どうすれば幸せになれるんですか?こんな俺如きが・・・。」
「今ここで俺に出会えたのも何かの縁だ。この縁は大事にしてぇ。俺はそう思うんだ。お前はどうだ?」
「・・・したいです。大事に、したいです・・・!」
「よし、良い目になってきたな。話を聞いた感じだと、今は一人だな?」
「はい、そうです。」
「なら俺んとこに来い!腹いっぱいの飯も、あったけぇ風呂だってある。これからは俺と一緒に暮らすんだ。どうだ?来るか?」
その濁りの一切ない言葉を聞いた瞬間、匠の涙腺が決壊する。
「行きます・・・!行かせてください・・・!」
「おうおう、泣くな泣くな!せっかくの顔が台無しだぜ?」
「はいぃ・・・。すみません・・・。」
匠は強引に泣き止むと、男が名乗った。
「名前がまだだったな。俺の名前は天馬。天馬海だ。この辺で極道張ってるんだ。お前は?」
「望月匠です。これから、よろしくお願いします・・・!」
「おう!いい名前じゃねぇか!こちらこそよろしくな!そんじゃ、さっそく家帰るか!」
そう言ってスタスタと歩き始めた。それに遅れないように匠も後ろについて行く。その道中でこんな話をしてきた。
「匠、よく聞いてほしいことがある。聞いてくれるか?」
「な、何ですか?」
「俺は腐っても極道だ。死ぬときはあっけなく死ぬ。でもな、その時が来るってことはやるべきことをやり切ったってだけの話だ。さっき匠を止めたのも俺のやるべきことだったんだろうな。そして匠が死ねなかったってことは、まだ匠はやることが残ってんだよ。俺はそれが幸せになるってことだと思ってる。匠はどうだ?」
「正直なところ、俺にはよくわかんないです。まだ自分の生きてる理由もわかっていなくて、未だに希死念慮があります。」
「そうか・・・。ならいい。今は幸せになるってことだけを考えろ。俺がその一助になってやるからよ。」
「ありがとうございます。俺は今日、海さんに出会えて、最高に幸せですよ。」
「そうかそうか!だがまだ足んねぇよな!もっともっと幸せにしてやる!」
そんな会話をしていると、海の住むマンションに到着していた。
「ここが俺の家だ。さぁ、上がってくれ。」
「お、お邪魔します・・・。」
「そんな緊張すんなって!俺らは今日から家族だ!」
「家族・・・。ありがとうございます・・・!」
家族。普通の人間には当たり前にいるんだろうが、匠にはもういない。それがどんなに空しく、悲しいことだかわかるだろうか。一定数の人間にはわかるのだろう、だが、並の人間には到底想像もできない。匠にとって真の家族とは、見返りの必要ない愛で押しつぶされんばかりに愛してくれる人間の事だった。それが今、目の前にいる。天馬海。まさに理想の家族となったのだ。そこからは早かった。
「まずは風呂だな。ささっと入って来い!その間に飯作っといてやる。」
「あ、ありがとうございます・・・。」
「敬語なんていらねぇ。ありがとう。ただそれだけでいいんだよ。」
「あ、ありがとう・・・。!」
「おうよ、それでいい。」
海はそう言った途端、満面の笑みを見せた。そうして匠は脱衣所へ向かい、服を脱ぎ始める。その身体には、リストカットやアームカットといった痛々しい傷跡が残っていた。その傷を見た匠は自分の身体に嫌悪感を覚える。
「こんな身体、海さんに見られたら・・・」
その瞬間、扉越しに海の声が響く。
「匠、入るぞ?」
それを聞いた時、どこから出したのかわからないような大きな声でこう叫んでいた。
「だめ!!!」
その尋常ではない叫びを聞いた海は扉越しに話し始める。
「なんでだ?俺はどんなことがあっても嫌いになったりしない。だから全部ぶつけてみろ。」
「本当に嫌いにならない?」
「あぁ、本当だ。約束してやる。男に二言はねぇよ。」
「わかった。じゃあ、話すね。」
「おう、聞かせてくれ。」
「実はね、俺、リストカットとかアームカットをしてたんだ。それで、自分の身体を見るたびに嫌悪感を抱いちゃってね。それで海さんに身体を見られたらなんて言われるのか怖くてさ・・・。海は俺の身体についてどう思ってる?」
「ある程度傷があるのは気づいてはいたな。だが、傷の多さで人を判断はしねぇよ。家族なんだから、尚更だろ?」
「海さんはやっぱり優しいね。俺もそんな優しい人になりたいよ。」
「そうか?匠なら俺なんかよりもっとすげぇ人間になれると思うぜ?」
「えへへ。ありがとうね。」
「そんじゃまぁ、入ってもいいか?」
「うん、いいよ。」
この時点で匠は海に完全に心を許していた。そして海が脱衣所の扉をゆっくりと開ける。そこで見たのは腕、肩、太もも、胴に深い切り傷を負った匠の身体。それを見て海はこう言った。
「辛かったんだな、匠。でもな、その傷は決して無駄なものでも嫌悪するようなものでもないんだぜ?その傷はな、匠が生まれてからの人生そのものだ。だから、自分の傷は愛してやれ。どれだけ時間がかかってもいい。少しでも愛せるようになればもっと幸せになれると思うぜ。」
そう言って再び匠のことを強く強く抱きしめた。
「海さん・・・。ありがとう・・・。」
「いいってことよ!匠が幸せになってくれりゃそれでいいんだよ!さ!風呂に入ってきな!飯は炒飯でいいか?」
「うん!」
そうしてその日は終わりを迎えるのだった・・・
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