開幕戦③
八回裏のマウンドにはそれまでライトを守っていたオークが上がった。これは既定路線ではあったものの、ベンチの東海は不安を胸に抱えて見守っていた。開幕前の一か月間の練習の中で異世界人たちは打撃においては高いポテンシャルも見せつけたものの、投球に関しては優れた才能を見せたものは少なかった。またその数少ない投手陣たちは主に先発に回さねばならず、中継ぎはとくに人材不足が浮き彫りになっていた。そこで苦肉の策として考案したのが、オークをはじめとした肩がいい野手に投手を兼任させることだった。
「おっ、野手がマウンドに上がりましたよ?まだ同点なんですが……。」
「よっぽど投手がいないのでしょうね。」
普段のプロ野球では見かけることのない状況に実況と解説も驚きを隠せなかった。敵チーム、球場の観客、そして自チームのベンチすらどうなるか分からないまま、オークは第一級球を投じた。
「ストライク!」
アウトコース低めぎりぎりいっぱいのストレート。ボールと言われてもおかしくない所だったが、審判はストライクをコールした。バッターからすればまぐれだと思いたいほど、良いボールだ。続く二球目はカーブ。一球目よりは甘いところにきたものの、見逃してストライク。そして三球目のフォークであっさり三振。
「代わったピッチャーのオーク、先頭を三球で仕留めました。」
「ええ、コントロールも良いですし、球種も多そうです。」
野手が登板したことで、チャンスだと思っていたティータイムズの選手たちはたったの三球で油断ならない相手であるという事を察知した。一方の東海は先頭打者を簡単に仕留めたことで少し安心していた。ところが二人目の打者キャッチャー浜松に対する初球、今度はストレートが少し真ん中よりに入ったところをライト前へとはじき返された。ワンアウトランナー一塁。八回裏、四対四で同点の場面。絶対に返したくないランナーだ。
そして、続く三人目の打席。ストレートで一つストライクをとったあとの二球目、一塁ランナーの浜松がスタートした。オークが投げたのは変化球で、捕球したキャッチャーの女騎士は慌てて二塁へと送球した。矢のような軌道でボールはショートのワーウルフのグラブに収まったが、その頃には浜松は二塁へとすでに到達していた。
「くっ!」
完璧な送球だっただけに女騎士は悔しがった。
「キャッチャーの女騎士、見事な送球でしたが判定はセーフ。これでランナーが得点圏へと進みました!」
これはオークの弱点でもあった。もともと肩が強いうえに器用で様々な変化球を操ることはできたが、練習期間中に投手としての修練をする機会はあまりなかったので、ランナーがいる状況でのクイックでの投球には慣れていなかったのだ。そして、それをランナーの浜松は一球で見抜いていたのだった。
そして次のピッチング。ツーストライクと追い込んでいたものの、盗塁による動揺か変化球が甘く入り、センターへと打ち返された。打球の速さと外野の前進守備に助けられ、ランナーがホームまで返ってくることはなかったものの、ワンアウトランナー一、三塁と最大のピンチを背負うことになった。フジヤマ球場には今日一番の大歓声がライトスタンドを中心に沸き起こっていた。
対するドラゴンズの面々は経験したこともないような騒がしさに面食らっていた。本来ならタイムを取って内野陣で集まる所だったが、それもなかった。もともと魔王軍の幹部であるオークとその魔王軍を倒すべく勇者と旅をしていた女騎士は犬猿の仲であり、本来なら顔も見たくないところを嫌々バッテリーを組んでいる。さっきの盗塁は自分のせいではなく、相手のせいであるとさえお互いが思っていたのだった。ドラゴンズはまだチームとしては非常に未熟だった。
ランナーが一塁にいることで、再び盗塁してくるかもしれないと思った女騎士はストレートばかりを要求した。配給が一辺倒になったことで簡単にバットに当てられ、あわやヒットというようなぎりぎりのファールの当たりもあった。そして、四球目。とうとう一塁ランナーがスタートを切った。オークの投げたストレートはやや高めに外れたものの、捕球した女騎士は素早い動作で、二塁に送球した。ボールは鋭い軌道で突き刺さるようにワーウルフのグラブに収まり、ランナーは悠々タッチアウト。
「見たか!」
女騎士は雄叫びをあげる。球場全体がわっと大きく湧いた。ところが、その歓声が自分に向けられたものでないのを知るのに、一秒もかからなかった。三塁ランナーの浜松がホーム目掛けて走ってきていた。
「ホーム!ホーム!」
「え?なんのこと?」
二塁手のドワーフが慌てて指をさしたが、ワーウルフはきょとんとしたままで結局ボールが本塁に返ってくることはなかった。
そういえば、有地が言っていた気がする。一、三塁の場面では一塁ランナーを囮にして三塁ランナーが突っ込んでくることもあるから、油断してはいけない、と。そしてキャッチャーは常に冷静でグラウンド全体を広く見なければいけない、と。呆然と立ち尽くす女騎士の目の前を浜松は堂々と通り過ぎていった。
「確かにお前らはすげぇよ。身体能力だけでいったらメジャー級かもな。だけどな、俺らはくぐってきた修羅場の数がちげぇんだよ。」
浜松はベンチに戻る前に吐き捨てるように言った。対する女騎士はただ黙って歯を食いしばるほかなかった。
その後、バッターは打ち取り八回裏は終わった。だがスコアボードにはこの上なく大きな一が刻まれた。
「油断しちゃだめってあんなに言ったじゃないか!」
「ごめんなさい~」
ベンチで有地に怒られるワーウルフ。
「女騎士、君もだよ。」
「すまない…。」
女騎士はベンチでうなだれていた。間違いなく自分のミスで失った一点。それもカッとなり冷静さを失ったためだ。言い訳のしようもない。そしてお通夜状態のベンチを見て、監督であるはずの東海は何も声を出せずにいた。
九回表ドラゴンズの攻撃は二番からの好打順だったが、マウンドに上がったティータイムズの抑え、伊豆の投球に手も足も出ず二者連続で三振。十球もかからずにツーアウトになってしまった。
「次は貴様だぞ。用意しなくていいのか?」
ベンチに戻ってきた三番のオークは、女騎士がまだベンチでうなだれているのを見て呟いた。
「ああ、そうか。すまない。」
女騎士は未だ心ここにあらずというと感じで、バットを持ちベンチから出た。そして、ネクストバッターズサークルで素振りをするでもなく、ただ考え事をしていた。
「俺らはくぐってきた修羅場の数がちげぇんだよ。」
前の回に浜松に言われた言葉が何度も頭の中を巡っていた。悔しいが彼の言うとおりだ。まだ野球を始めてから日が浅い自分たちが経験で勝てるはずがない。そもそも素人がプロの舞台に挑もうなど甘かったのだ。女騎士だけではない、ベンチにいる選手たち、それを率いる東海までもがその事を実感していた。
「あと一人!あと一人!」
消沈しきったドラゴンズにとどめを刺すかのように、球場内にティータイムズファンのコールが木霊する。レフトスタンドのドラゴンズファンはすでに席を立ち、出口へと向かう者が多くいた。今年こそはと淡い期待を胸に抱いていたが、結局は例年と同じだ。肝心な所で勝負に勝ちきれない。
ところが、完全にティータイムズムードの中、打席の村人は一人冷静だった。ノーボール、ワンストライクから一球、低めの変化球に対してフルスイングで空振り。有効と見たバッテリーは二級連続で同じ球を選択した。しかし、次は落ちが甘くなったのを村人は逃さなかった。先ほどと同じフルスイングで低めの球をバットの芯で捉える。ライナー性の打球が遊撃手の遥か頭上を越え、センターとレフトの丁度真ん中あたりに落下し、外野を転々と転がる。その間に村人は一塁を蹴り、二塁へと向かった。スライディングすらせずに楽々セカンドベースへと到着。貴重なヒットにもかかわらず、村人は塁上でもガッツポーズひとつせず飄々としていた。
「四番村人、土壇場でツーベースヒット!同点のランナーが出ました!」
テレビ中継では実況の声が鳴り響いた。これにはテレビのチャンネルを代えようとリモコンに手を伸ばした各家庭のファンも、席を立って帰ろうとしていた現地のファンもその手を止めた。
「同点のチャンスで今日満塁ホームランを打っている五番の女騎士を迎えます!」
「先ほどは自分のミスで失点したので、ここで取り返したいところですねぇ。」
突然湧いて出たチャンスにドラゴンズファンの応援が息を吹き返し、チャンステーマで敵軍の声援をかき消した。一転してドラゴンズムードになったが、打席に向かう女騎士はなおも暗い顔のままだった。
「ストライク!」
初球のストレートにバットをピクリともさせずに見送った。立つ足が震え、バットを握る手が震える。何万人もの観客の注目が自分に向かっているのを感じる。野球とはこんなに恐ろしいものだったのか。彼女は重圧に今にも押しつぶされそうだった。
二球目はインコースに来た。自分の体の近くに凄まじいスピードで飛んでくるボールを見て、思わず腰が引け、体がくの字に折れ曲がる。しかし、ボールはバッターボックス手前で曲がりはじめ、キャッチャーミットに収まる頃にはど真ん中まで変化した。
「ストライーク!」
見たこともない球に対して呆気にとられた女騎士は、そのままバランスを崩し、ドシッとしりもちをついてしまった。
「くっ……」
悔しそうに呟いたが、その声にはどこか元気がなかった。
「なにやってんだよ!」
みっともない姿にバックネット裏のファンから怒号が飛んでくるのが聞こえた。所詮自分のような素人には無理なのだ。
「これでわかっただろ。乗り越えてきた修羅場の数が違うって。」
浜松はボールを投手へと投げ返すついでに前と同じセリフを地面に転がっている女騎士に向かって吐き捨てた。
明らかに力を出せていない女騎士をベンチから見ていた東海は、どうするべきか必死に頭を巡らせた。そして、初めて会った時に彼女自身、彼女の仲間、加えて彼女の敵であるオークたちから聞いたその人となりを思い出していた。鍛錬を欠かすことがなく真面目で清廉潔白な女性であること、少しキレやすい所があるが仲間思いであるという事、そして何より逆境に強い戦士であるという事。
何かをひらめいた東海はオークのもとへ行き、耳打ちをした。
「オーク、ひとつ頼まれてくれないか?俺が言うより君が言った方が響くと思うんだ。」
「監督殿の頼みとあれば断らねぇさ。」
東海が話し終えるとオークは一度深く深呼吸をしたのち、大声援の中でも打席の女騎士まで聞こえるほどの大きな声で呼びかけた。
「どうした女騎士!貴様らしくもない!この程度の修羅場、幾度となく乗り越えてきたのを忘れたのか!」
女騎士はオークの言葉を聞いたが、何のことか分からずきょとんとしていた。そもそも公式戦自体がこれが初めてなのだ。子供のころから野球をやっているような相手に勝てるはずもない。そう思っていたが、憎たらしいオークの顔を見ているうちに彼女の心の中に何かが目覚め始めていた。前にもこんな事があった気がする。その時、自分がどうしたんだっけ?瞬間、彼女の脳裏に昔の記憶がよみがえった。