プロローグ
異世界ドラゴンズ
プロローグ
世はまさに大プロ野球時代!各都道府県に一つずつ、東京は二つ、合わせて四十八ものプロ野球チームが日本一を目指してしのぎを削っていた。
そんな時代に一際弱いチームが一つあった。その名は「味噌かつドラゴンズ」。所属する東部リーグにおいて十年連続最下位。昨年度に至ってはプロ野球記録となる年間百敗を達成。愛知を本拠地とし根強いファンを多く抱えているにも関わらず、消滅の危機に瀕している。
「そんな!年俸が払えないんじゃ選手がいなくなっちゃいますよ!」
部屋の中に怒鳴り声が響いた。声の主はドラゴンズのGⅯ(ゼネラルマネージャー)、東海 道。選手の獲得を指揮する立場である彼は、チームを運営する親会社から呼び出され、そこでオーナーから直接衝撃的な事実を聞かされていた。
「それならそれで構わんということだ。私からは以上だ。下がり給え。」
オーナーは椅子に座ったまま東海を睨みつけながら言った。
「たった一億円だなんて……。」
諦めきれない東海は食い下がったが、それ以上は言葉が出てこなかった。彼が伝えられた事実というのは来シーズンの年俸の合計を一億円以内にしろというものだった。ドラゴンズに所属している選手は育成も含めて五十人以上はいる。それらの年俸を一億円以内でやりくりしろというのは不可能だった。つまりこれは見方によっては「ドラゴンズの解体宣言」ともとれるものだった。
「まだなにか文句でも?」
なおも部屋を出ようとしない東海に対してオーナーは強い口調で言った。
「……ッ!」
東海は何か言いたげだったが、オーナーの決定に逆らえるはずもなく、黙って部屋を後にした。プロ野球開幕まで残り一か月。東海に残された手はないに等しかった。
「はぁ……」
家への帰り道、東海は大きくため息をついた。彼は元々ドラゴンズに所属するプロのピッチャーだった。子供の頃からドラゴンズのファンであり、怪我で選手を引退してからも職員として球団を支え続け、今年からGMに就任した。その矢先にこれだ。愛するドラゴンズにつくしてきたつもりだったが、その仕打ちはあまりにもひどいものだった。もはや彼は生きる希望を失っていた。
「そういえば、今日は月刊誌の発売日だったな。」
毎月発売される野球雑誌、その発売日だったことを思い出した東海は本屋に寄った。目当てのものを見つけた東海は手に取って、ページを開いた。シーズン開幕前であるため、月刊誌には各球団の注目選手や、戦力分析、そして順位予想が載っていた。
ドラゴンズの予想は当然最下位。それどころかまだ噂の域ではあるが、解体されるのではないかという記事が選手の紹介の代わりに載せられていた。こんなもの買う気にはならず、東海は雑誌を閉じて元の場所に置き、本屋を出ようとした。
「ん?」
ところが、一つの本が東海の目を引き、足を止めた。タイトルは「初心者でもできる異世界召喚魔術」。
現代の日本において野球に負けないくらい流行っているのが、「異世界転生アニメ」だった。東海もその例に漏れず、いくつかの異世界アニメを視聴していた。熱狂的なファンは本当に異世界に行きたいと思うほどだというが、彼はそこまでではなかった。しかし限界まで精神を追い詰められた今となっては、それは非常に魅力的であるかのように見えた。彼はその一冊だけを買って、家へと帰ったのだった。
「なにしてんだろうな、俺。」
家のリビングの地面に描き終えた二メートル近くある魔方陣を見て東海はつぶやいた。それは買ってきてある本にあった通りに描いたものだった。こんなことをしたって異世界になんかいけるはずもない。冷静に考えれば分かることだったが、それが分からなくなるほどに彼は疲れ切っていたのだ。
「まあせっかく描いたし一応やってみるか。呪文はええと……ツウガレダヤキナタウガエマオ?これでいいのか?」
シーン……。なにも起きない。当たり前だ。こんなことをしたって何か意味があるわけじゃないのに……。
と、思ったその時。ピカっと魔方陣全体が光った。そして、あたり一面を煙が覆った。煙を吸い込んだ東海はむせ返り、目をつむった。そして、内心期待に胸を膨らませながら目を開いた。ひょっとして異世界転生に成功したんじゃないだろうかと心を躍らせる。ところが、煙の向こうに見えたのは、見慣れたいつものリビングの天井だった。
「なんだったんだ……。」
困惑しながらあたりを見回す東海。違和感に気づく。未だ消えやらない煙の中に人影がある。さっきまで一人だった部屋に誰かがいる。それも二十人近く。やがて煙が晴れ、状況を呑み込めない東海の目に飛び込んできたのは異様な光景だった。
「女騎士!一時休戦だ!何か様子が変だぞ!」
「その手には乗らんぞ!卑怯なオークめ!」
鎧を着た長身の女性と、人間とは思えぬ見た目をした化け物が剣を交えて戦っている。
「待て、女騎士!本当に様子が変だぞ!」
ロールプレイングゲームの主人公のような恰好をした男が鎧の女性を制止した。コスプレと言うには気合が入りすぎている。
目から入ってくる情報を東海の脳は処理しきれずにいた。突然自分の部屋に現れた二十名近くの者たち。その半数以上は人間には見えなかった。いつも見ている異世界アニメ、その登場人物たちによく似ていた。
このときはまだ誰も知らなかった。この異世界人たちが、今年のプロ野球界に大旋風を巻き起こすことになるとは!
「こりゃ転移魔法じゃなくて召喚魔法じゃな。」
ローブに身をつつんだ老人、魔法使いが言った。異常事態なのは東海だけでなく、異世界人にとっても同じだった。彼らは勇者を筆頭とする勇者一行と、オークたち魔王軍一行、その戦闘中に突然この世界へと転移させられたのだった。今は状況把握のために戦闘を一時中断し、話し合いを行っていた。
「へぇ、つまりここは日本?とかいう場所でアンタが俺たちを召喚したってワケか。」
精悍な顔立ちでいかにも主人公といった見た目の青年、勇者が言った。東海が召喚したというのは間違いではないが、しようとしてしたわけでもないので当の本人も困り果てていた。
「俺もまさかこんな事になるとは……。」
「で、元の世界には戻れそうか?」
女騎士と呼ばれていた女性が尋ねる。
「うーむ、こういう魔法はワシの専門外じゃ。解析には時間がかかるじゃろうて。少なくとも半年くらいはこの世界に留まることを覚悟したほうがええぞ。」
魔法使いが答えた。それを聞いた女騎士は思わず声を荒げた。
「半年だと!そんなに長く待てるものか!第一、我々がさっきまで戦っていたあの村はどうなる?オークたちに滅ぼされてしまうぞ!」
「そりゃあ、心配ないだろ。その奴らもこうして一緒に飛ばされてきてるわけだからな。」
勇者がオークのほうを指さしながら冷静に突っ込んだ。
「む、そうか。」
一連のやり取りを見ていて東海は思った。この女騎士とかいうやつは、見た目は真面目で堅物そうだが、中身は割とポンコツなんじゃないかと。
体は人型だが、顔は猪と豚の中間のような化け物、オークが口を開いた。
「こんな緊急事態となると、さすがに争っているわけにはいかんな。元の世界に戻れるまでは協力関係といこうじゃないか、勇者諸君。」
東海にはこの醜悪な面をしたオークのほうがよっぽど聡明なように思えた。というか実際そうだった。この提案に勇者も納得した様子を見せた。
「まあ、そうだな。よしじゃあ半年間、冒険者でもして食いつなぐか。悪いけど東海さん、この世界の案内をしてくれると助かるよ。意図したものではないといえ、俺たちを召喚したのはアンタなんだからさ。」
「案内は構わないけど、この世界には冒険者なんて職業はないんだ。魔物も魔王軍もいない。」
東海は申し訳なさそうに言った。
「な、なんだって!?」
一同は動揺を隠せなかった。
「つまり我らはこの世界では化け物というわけだ。」
オークがニヤッと笑っていった。
「俺たちの世界でも十分化け物だったけどな。」
勇者が言った。
「冒険者が存在しないだと!それなら我々はどうしたらいい!この肉体だけが取り柄なんだぞ!」
女騎士は東海に詰め寄った。東海は手を顎に当てて、しばしその場で考え込んだ。突然部屋に現れた屈強な肉体だけが取り柄だという二十人。彼らが半年間だけでもやっていけるような仕事を。
「ある。一つだけあるにはある!」
しばらくして東海が口を開いた。異世界人たちは息をのんで東海に注目した。
「なんだそれは?」
女騎士はさらに東海に詰め寄った。勇者一行もオークたち魔王軍一行も黙って、次の言葉を待った。
「野球だ!」
東海は思い切って、半ば投げやりに、吐き捨てるように言った。ところが一方の異世界人たちは、思いがけない、というより聞いたことのない単語にただポカンとしていた。
それなりにやる気がある(*´з`)