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ひぐらしの声が聞こえる。僕は、1週間前の記憶を思い返して後悔していた。
「断ればよかった…」
僕の左隣。サイドテーブル。数年前、棚の中で眠っていたところを引きずり出したおぼんの上で、筆と画材が役目をもらえないままこちらを見ていた。窓から差し込む光が、漆に反射している。流石にいつもの絵を葬式に持ち込むわけにはいかないと思って、柄にもなくリアルなタッチの絵を描こうと試みたのだが、全くもってうまくいかない。
「なぁ。こういう時、どうしたらいいんだろうな」
立てかけたキャンパスの向こうに、もう1枚別の絵がある。僕がいつも描くタッチとは違う、繊細に描きたいと思った絵だ。そのキャンパスに向けて、僕は声をかけた。その中では、僕の友人がこちらを向いて向日葵畑の中で腰掛けている。が、首より上がまだ描かれていない。
――画家っぽくね?
という、よくわからない理由で被り始めていたバケットハットが悔しいほどよく似合う、変なやつだった。不意に線香の匂いが鼻をついて、僕はまた昔のことを思い出した。
「タケル、いいか? 似顔絵を描くってのはな、その人の顔を描くってことなんだよ」
「…そんなの当たり前だろ? 似顔絵なんだから」
「その人の鼻とか、口とか、『ここ目立つな〜』ってところを強調して描いたりもする」
「まぁ、そうだろうなぁ」
「でも、その人がその人の顔を好きだと思ってるかどうかって、俺にはわかんねえじゃん? もしかしたら、その人が『だいっきらい!』って思ってるパーツをでかでかと描いちまうかもしんねぇ」
「確かに…」
「でも、似顔絵描いてもらうと嬉しいじゃん? 似てるともっと嬉しい。だから俺みたいな似顔絵師は生きていけるわけで…」
「確かに。俺も鏡を見るのはそこまで好きじゃないけど、似顔絵を描いてもらえるってなると嬉しいもんなぁ…って、お前、似顔絵師じゃねぇだろ!」
「『まだ』、な?」
そう言いながらアイツは、スケッチブックを俺の胸に押し付けてきた。見てみると、そこには『俺だと思われる人物』の絵が描いてある。え、俺こんなに鼻でかいかな?上手いと言い切るには厳しいけれど、似ていないと言うには惜しい。そんな絵だった。なぜか、嫌な気分にもなりきれない。
「だからさ!俺、似顔絵に1番大事なのは愛だと思うんだよな!そいつの顔借りて絵描いてんだから、笑顔で帰せないようじゃナンセンスだと思うわけよ」
その言葉を堺に、意識は1番手前にあるキャンパスに移った。
「『愛』か…」
おぼんに手の影が落ちる。僕は心を決めて筆と画材を手に取った。