第3話「漆黒の神器と岩偶の禍器」
図書館と大学校舎を繋ぐ石造りのアーチ型回廊を、マリアと巡査部長が並んで、その後ろをスカラーが付いていくように歩いている。
薄暗い回廊、中庭に面している側は吹き放しとなっており、そこから午後の柔らかな日差しが差し込み、心地よい風が回廊いっぱいに吹き抜ける。
スカラーはきょろきょろと落ち着きがなく、やがて自分と同じようなツノが生えた学生を見つけると、嬉しそうに興味深そうに目で追っていた。
「──おや?」
巡査部長は立ち止まり、じっと中庭のほうを見る。
「どうかしました?」と尋ねるマリア。
「あ、いや、知ってる顔を見かけたような……。ちょっと先ぃ行っててもらえますか」
巡査部長は中庭に飛び出すと、「スカラー! 頼んだぞー!」と言い残し、いずこかへと走り去った。
「──え? らじゃ?」
話を全然聞いていなかったスカラー、とりあえず敬礼してみる。
「……あれ? うちの巡査部長どこへ行ったんですか?」
思わず苦笑するマリア。
「知り合いを見かけたから会ってくるみたいよ?」
ふたりは横に並び、校舎に向かって回廊を歩き出した。
「さっきから学生に興味があるの?」
相変わらず学生を目で追っているスカラーに話しかけるマリア。
「あ……はい。同じパーン族が学生だと嬉しくてつい……」
「ああ~……」
なにかを察するマリア。ふたりは校舎の入口にたどり着く。
入口はいかにも重そうな、鉄製の扉に阻まれている。
「パーン族にも優れた学者はいっぱいいるわ。もしかして当学に入りたいの?」
「入れたらいいな~……とは思ってます」
堅く閉ざしている扉を前にして、苦笑するスカラー。
マリアは扉の引き手を軽く握る。すると、ドアは淡く輝き、見た目とは裏腹にあっさりと軽く開いた。
「重そうに見えて実はそうでもないんだよね。どうぞ」
開かれた扉、マリアに促され、スカラーは校舎の中へと足を踏み入れた。
ところどころに窓はあるが薄暗い廊下を歩き、マリアの研究室へと向かうふたり。
よくある石造りのなんてことない建物の、なんてことない廊下だが、スカラーは興奮を隠しきれず、相変わらず辺りをきょろきょろと見回している。
立ち話をしている学生たちの会話に聞き耳を立てるスカラー。誰もが神代語を使いこなしている。
「スカラーさん、だっけ?」
神代語でスカラーに話しかけるマリア。
「あ、はい」
すかさず神代語で応答するスカラー。
「失礼、自己紹介が遅れました。本官はスカラー・レイファース。階級は巡査です」
スカラーは流暢な神代語で自己紹介し、敬礼する。
マリアは聞いているのかいないのか、スカラーの服をじろじろと見つめている。
「……これは私服です。今日は非番なので」
「うん知ってる。てかこの格子柄、たまに見かけるけどおしゃれよね~……」
マリアは中腰になり、スカラーの服の格子柄を食い入るように見つめる。
「──あれ? この格子のパターン……これって……」
マリアはぶつぶつと独り言をつぶやきながら、パターンを指でなぞった。
「──スカラー巡査って、もしかして防人?」
「サキモリ……? それって神代語ですか?」
きょとんとするスカラー。
「サキモリは知りませんが、この域……ええと、このアワイの人たちは、私たちのことを標準語で『ハイランダー』と呼んでます」
「あ、ずっと神代語でごめんね。ついクセで。でも会話レベルは十分合格点に達してるよ」
「ホントですか??」
驚きと嬉しさが入り混じった表情を見せるスカラー。
「んーでも、高地民族……? ヨミ域に高地なんてあったっけ?」
標準語に切り替えて質問するマリア。
「高地というか、空というか、外というか、裏というか……」
ふたりのすぐそばの部屋のドアが開き、中からごっつい体格に似合わぬKAWAII猫耳をした男性が出てくる。
「あッ!! 教授ーッ!!」
「──ん? ジュリアンくん?」
声がやたらと大きい。振り向くマリア。
「実は先ほど警察のかたが……っとーッ!?」
スカラーの存在に気がつくジュリアン。
「きみーッ!! すまないけどマリア教授に大事な話があるので、少しだけはずしてもらっていいかなッ!?」
ジュリアンは神代語でスカラーに話しかける。
「あ~ジュリアンくん、彼女は学生じゃなくて警察よ」
「えッ!? このコもッ??」
スカラーの服を思わず一瞥するジュリアン。
「……これは私服です。非番中に呼び出されまして」
標準語で敬礼するスカラー。
「そうでしたかッ!! こーれは失礼しましたッ!!」
標準語で謝るジュリアン。
「すいませんが小生は用事があるのでッ!! これにてッ!! ではッ!! ではではッ!!」
ジュリアンは会釈すると、シッポをふりふり廊下を早足で去っていった。
「………………彼は?」
スカラーは、すでに遠くにいるジュリアンを見つめながら、思わずマリアに問いかける。
「学生のジュリアンくん。別学部なんだけど祇器を持ってるから、研究のために来てもらってるの」
マリアは、ジュリアンが開けっ放しのまま出ていったドアから研究室に入る。
「どうぞ。入って」
スカラーはマリアに促され、興味深そうに研究室を覗いてみる。
すると、橙色になりかけている日差しが広めの窓からうっすらと、汚部屋を静かに照らしていた。
本棚に本、机に本、床にも本、至るところに本、本、本。
スカラーは、部屋じゅうを埋め尽くす本の山に目を丸くし、ぽかんと口を開け、興奮で頬を紅潮させている。
「……散らかってて驚いた?」
スカラーは本の山に目を丸くし、マリアの話が頭に入ってこない。
「でもぉ、学者の部屋なんて、どこもこんなもんよ?」
スカラーは本の山に目を丸くし、マリアの言い訳が頭に入ってこない。
「テーブルの上を片づけるから、そこに座っといて」
スカラーはハッと我に返ると、「失礼します!」と敬礼し、汚部屋……もとい、研究室の中に足を踏み入れた。
「紅茶でいい?」
マリアはテーブルの本類をあちこちに退け、紅茶を淹れる道具を準備する。
スカラーは部屋中の本という本を見回している。
「──スカラー巡査?」
「……! あ、はい。それで」
慌てて答えるスカラー。その様子を見て、思わず微笑するマリア。
「巡査は本が好きなんだね~」
スカラーは「は、はい」と恥ずかしそうに、どこか嬉しそうに答える。
マリアは親指と人差し指でつまむポーズをつくると、指と指の間にビー玉ほどの小さな球体が現れる。それをアルコールランプの芯の先端に嵌め、軽く手で仰ぐと、一瞬でランプに火が点った。
三脚に置かれた金属製のケトルがアルコールランプで温められ、ケトルの注ぎ口から湯気が微かに立ち昇っている。
「……これ全部、教授の本ですか?」
スカラーは、積みすぎて今にも崩れそうな、まるでジェンガな本の塔を眺めている。
「ううん、大学のだよ~」
マリアは茶葉を天秤で慎重に計っている。少しの誤差も許さない所存。
「私はフィールドワーク重視だから、一箇所に長居することないしね。そんなのとても持ち歩けないよ」
マリアは計量に満足し、茶葉をティーポッドに入れると、窓のほうへ歩いていった。
窓の外枠にはいつの間にか、真っ黒な烏が留まっている。
烏をじっと観察するスカラー。烏の首周りをよく見ると、ハルと同様の首輪が浮かんでいる。
「──でも、学者にとって本は、大切な武器なんだよね」
マリアはそう話しながら窓を上げると、烏は羽を軽く羽ばたかせながら研究室に入り込み、マリアの腕に留まった。
「だから要点をまとめてぇ──」
マリアは悪戯っぽい笑みをスカラーに向ける。
「全部こっちに書き写しちゃうの!」
カラスは閃光を放ち、一瞬で大きな本へと姿を変えた。
「……あれ? 驚かない?」
「神器……ですか?」
特に驚いた様子もなく淡々と答えるスカラーを見て、逆にちょっと驚くマリア。
「まさか、見慣れてるの?」
「あ……」
この後の展開が容易に想像でき、しまったという表情をするスカラー。
「……あの、……実は本官も持ってまして……」
心なしか、声のトーンが下がってゆくスカラー。
「ええッ!? 神器を!?」
驚愕するマリア。こくんと頷くスカラー。
「ウソでしょ凄い!! お願い見せて見せて!!」
怒涛の勢いで食いついてくるマリア。やはりこうなったかと引き気味のスカラー。
「!!」「!?」
神威。ふたりは同時に表情がこわばり、そして顔を見合わせた。
「スカラー巡査! いまの威……」
「はい……。禍器……ですね!」
中庭の奥にそびえ立つ、無骨で堅固な切石積みの建物。
ところどころに窓はあるが小さく少なく、中は暗く、外から様子をうかがい知ることはできない。
中庭に面している側が建物の正面であり、入口が一箇所だけ設けられ、周囲には遮る物がなく、広く見渡すことができる。
入口には衛兵が二人立っており、狼狽し、警戒し、辺りを見回している。
建物から離れた、衛兵たちをなんとか視認できる場所に群生する木々の中、浅黒い肌をした猫耳の少女が、木と彼らを背にしてもたれかかっている。
少女の手の中でチチチチ……と、僅かに音を立てている懐中時計。少女は時計をじっと睨む。
「時間だ」
少女の真上──木の葉の茂みの中から、「あいよ」と少年のような声。
その瞬間、建物の重厚な石の壁が、内側から轟音と共に吹き飛ばされた。
崩れ落ちる壁。中から突き出た巨大な岩の拳。その全体像は、岩でつくられた機械仕掛けの巨人であり、無機質な眼光をチカチカと鈍く輝かせている。
巨人は、鈍重そうな見た目の割には速い足取りで、地響きを立てながら前進を開始した。