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フミと白武 1─士官と使い童の話─

登場人物


少女

座敷牢で暮らす。夫はこの城の殿であるが、そこに愛は無い。夫やその取り巻きの『治療』をする時だけ外に連れ出されるが、基本的に牢の中である。虐げられ、疎まれ、学ぶ機会すら奪われた。愛とは何かを知らぬまま生きてきた。


フミ

白武の使い童。十五になる。聡明で心優しい青年。少女と出会い、密かに会っては文字を教えている。鎮西山に自分の帰りを待つ大切な人がいる。


白武

東院の士官。長く美しい黒紫の髪に凛々しい顔付きの三十六歳。六の間にて、東の村々の税の計算や戸籍を取りまとめる。右足が不自由。婚姻者はいない。



 フミはとても聡明な子供だった。



 読み書きもさることながら、機転が利き、頭の回転も速い。周りの使い童と比べてはいけないのかもしれないが、他の子供よりも頭一つ以上抜きんでていた。


 本来は使い童とは、士官の身の回りの世話「だけ」を行う。起床から就寝まで、衣食住の環境を整えることがその仕事だ。そもそも士官の下で働くにも、いくつかの試験を受けなければならない。ただ家柄が良いだけでは、とうてい仕事の役には立たない。だから使い童が士官の仕事を手伝うなど、本来あり得ない。所詮は子供であり、重要な機密事項を取り扱うことが多い士官の仕事には一切手を出すことがないのだ。


 だが、先述の通り、フミはとても聡明な子供であった。最初はやけに気の利く子供ぐらいにしか思っていなかった白武も、そのフミの類まれなる記憶力と仕事の速さに、周囲には内密に士官の仕事を少しだけ手伝ってもらっていた。


 白武が執り行う仕事は、東の地の戸籍の総括と、村々が城に納める税の勘定である。これが意外にも厄介で、白武の下には十余人の者が働いていたが、それでは到底足りぬのだ。北や南や西の地は、さらに細分化してその地に士官を割り当てる。せいぜい多くても三つの村の管轄だけだ。

 だが、何の嫌がらせか白武だけが、六つの村を管轄している。東部の際の村に至っては民も多い。白武のいる東院の六の間だけは、夜遅くまで灯が灯り続けている。仕事が終わらないからだ。下々の者を帰らせた後で白武はこっそりとフミを呼び、隣で算盤を弾いてもらっているのだ。


 「白武様」

 税の計算を終わらせたフミが、頃合いを見て、隣で頭を抱えて確かめ算をする白武に声を掛けた。

「腹は減ってはいませんか」

「減っている。頭を使うとどうもいけない。さっき食べたばかりなのに、もう腹の虫が鳴いているようだ」

「私、炊事場で握り飯を貰ってきます」

「ああ、ありがとう。三つ貰ってきておくれ」

 フミが静かに廊下を出た後、白武は再び算盤を弾き始めた。静かな夏の夜である。城内の大楠にしがみついて喧しく鳴いていた蝉も、こんな夜更けは黙り込む。時々遠くから犬の遠吠えが聞こえてきては、軒下に吊るした風鈴が夜風に揺られて音色を奏でる。仕事の忙しさを忘れるほど優しく風流な音であるが、ついに今日、隣の徴兵を執り行う五の間から苦情が来てしまった。「うるさくて気が散る」らしい。いつか来るだろうとは思っていたが、風鈴を吊るして一日目にはこれである。五の間は短気が多いことは知っていたが、せめて七日は我慢してほしかった。

 悲しいが、明日の朝にはこの風鈴を外さなければならない。蝉の命よりも短い音色であった。


 白武は手を止めて、僅かに空いた障子から見える三日月を眺めた。ああ、自分があの月の世界に行けたらと、仕事に行き詰まると決まって物思いに耽る。だが、連れ出す者もいなければ、自分で駆けだす足も頑丈な足もない。

 白武の右足は、先の戦で大怪我を負い、杖なしでは歩くことが不自由になってしまったのだ。自分で右足を触っても感覚が無い。まるで自分の足なのに自分のものではないみたいだ。


 「入ります」

 潜めた声の後、ゆっくりと障子が開いた。

「すみません、私、開けっ放しのまま出てましたか」

「いや、いい。月も見えるし風も涼しい。おかげで良い気分転換になったよ」

 フミは白武の前に、皿に乗った三つの握り飯を差し出した。白武はそこから一つだけ受け取ると、残り二つをフミの前に戻した。

「私は一つで十分だから」

「でも」

「子供はたくさん食べなさい。お前だって頭を使って腹が減っただろう」

 断り続けるフミの腹が、ぐう、と鳴った。酷く赤面したフミに、白武は笑う。大人びていても子供は子供だ。さあ、食べなさいと笑って皿を差し出せば、渋々頭を下げて申し訳なさそうに受け取った。

「今日はもうこれぐらいにしよう」

「そうですね」

 握り飯を食べた後、大きく伸びをした。寝所に戻って、湯浴みして、布団に入ればまた同じような朝が来る。仕事をして、飯を食って、仕事をして、また飯を食って、仕事をして。同じ毎日の繰り返しではあるが、白武にはどうしても、心に引っかかるものがあった。

「フミ」

「はい」

「このままここで働く気は、やはり無いか」

「……はい」

 夏が終わると、フミは郷里に帰らなければならない。十五になるからだ。使い童の決まりなのだ。

「働きたいと私が言って、ここで働けるものではないでしょう」

 城内で働く者は、士官もその下に仕える者も、由緒正しい家の出でなければならない。使い童は士官の判断だけで雇うことができるが、城内で働こうとする者には厳正な身辺調査があるのだ。戸籍から先祖まで調べられ、税の払い忘れが無いか、血縁者に罪人はいるかと、そういうところまで徹底的に調べられる。

「おまえが働きたいとさえ言えば、私は中央に頭を下げる覚悟はある」

「白武様が頭を下げても、中央は『うん』と言わないでしょう」

「そうだろうか……」



 フミは、正式に言ってしまえば『ただの子供』だ。それも孤児(みなしご)である。何も後ろ楯が無い子供を使い童とすることに、周りは酷く嫌悪感を示した。自分の子供を白武の使い童にさせたくて、わざわざ城内に出向いては袖の下を渡そうとする者もいた。東の村々へ出向く度に、村の長が自分の孫を呼び出しては、あれこれ甲斐甲斐しく世話を焼かせていた。


 だが白武は、それらをきっぱりと断った。使い童は強制ではない。だから採らなくてもいい。ただ、いれば少しは生活が楽になれるというだけ。大抵の士官は袖の下に目が眩み使い童を採っているが、白武は士官になって五年近く、使い童を断り続けてきた。


 白武は孤独を好んでいた。

 自分の生活に誰かが足を踏み入れることが好きではなかった。

 ましてや子供など、どう接すれば良いのか分からない。

 それが白武が、使い童を断り続けてきた理由であった。



 だが、フミだけは違った。


 そもそもフミは、東のとある村の長の子供であった。人望の厚い長の一人息子として、フミはそれはそれは大切に育てられた。博愛と博識の子、将来は彼が跡を継ぐと、誰もがそう思っていた。白武もその村を訪れる度、小さな子供ながらフミの聡明さには目を見張った。たった一介の子供なのに、いずれは国を背負う程の崇高さすら垣間見えた。



 だが、そんな順風満帆に思えたフミの人生は、大きく狂う。


 それは、城内へ年始の挨拶に行く途中のことであった。


 あともう少しで城下町へ辿り着こうとした、林を抜ける途中、フミの父と母、そして護衛の者達が盗賊に襲われたのだ。

 その知らせを白武が受け取った時には、既に年が明けて二日が経っていた。喜ばしい年始にも関わらず、訪れた村はしんと静まり返り、既に冷たい土の中に眠る父母の墓標の前でフミは呆然と立ち尽くしていた。飼っていた犬を抱いたまま、彼は白武に気付くと、こう言ったのだ。


『家族、こいつだけになりました』


 腕に残った刃物による切創が痛々しい。言うことも(はばか)れる惨状であったと白武は聞いた。だが、その中で奇跡的にもフミだけが生き残った。盗賊らは少し離れた場所で、何者かに喉元や臓物を食い千切られて事切れたところを発見された。獣に襲われたという見立てであるが、こんな酷い食い荒らし方をする獣を、白武も皆も知らない。


 親を亡くしたフミは、あれよあれよという間に全てを失った。次の村長には叔父が立ち、住んでいた屋敷は半ば強引に追い払われた。着の身着のまま、屋敷の隅の掘っ立て小屋を宛がわれ、食べ物は叔父家族の残り物の、米がほとんど残っていない粥のみの事もあった。隙間風のびゅうびゅうと吹く小屋で飼い犬と身体を寄せ合って暖を取り、フミはみるみるうちに痩せ細っていった。

 そんな絶望的な状況でも、フミは決して弱音は吐かなかった。どんなに他の者が心配をしても、叔父家族の悪口は言わず、常に毅然と前を向いていた。健気であった。


 だから、見かねた白武はフミに声を掛けたのだ。

 使い童として来ないかと、そう誘った。叔父家族の猛烈な反対意見など無視をして、それは何度も何度も声を掛けた。

 一度ならずとも二度三度と、フミは断り続けた。

 『犬が寂しい思いをする』と言って、頭を振った。ならばと白武は、鎮西山にある自分が昔住んでいた小さな小さな屋敷を彼らに貸した。叔父家族はそれにも酷く反対したが、白武はそれ以上に頑固であり、そんな意見など突っぱねてフミと飼い犬を鎮西山に連れて行った。


 そこに移り住んで二年が経った頃、どういう風の吹き回しか、フミはようやく心変わりをしたようで使い童になることを快諾した。




 フミ──米多(めた)(フミ)、十三の春の話であった。



(続く)


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