最低限が最大限
自分の新しいおもちゃを自慢する子供のように、きらきらとした瞳を向ける男性に、黒田は少し溜息を吐いた。悲しいことに自分の上司は、自分の部隊がこの先で意気揚々と戦闘訓練をしているのを喜ぶタイプらしい。そう感じた。黒田は、早速この舞台にした事を後悔していた。部隊今すぐやめたいんだけどと。だがそれと同時に、聞いた質問に答えてくれる事実に悪い人間ではないだろう。最低ではないだけましなんだろうな、と心に言い聞かせていた。
少し落ち着きを取り戻してから、「あの」と言葉を発する。
「番号はアルファとかそう言う感じじゃないんですね」
「アニメや漫画の見過ぎだ。アルファなぞ、無線でもない限り逆に使われないぞ?軍じゃあるまいし」
「え、部隊って言ってましたよね?」
部隊と言うからには軍の方だと黒田は思っていたが、そうではない事実に驚愕する。その様子に気づいたように男性は、「あぁ、そういうことか」と一人納得したような声をだす。
「前提が違うんだ。いいか?うちは軍じゃない。というより軍だと上から睨まれやすいから、表向きはチームとしてしか扱っていない」
「睨まれるってことは過剰戦力ってことじゃないですか?」
国が主導ではない事実に、少し喜びを覚えながら追加で湧いた疑問を返す黒田に、笑顔と肯定を以て返す男性。その肯定は黒田が最も求めていないものであり、一瞬の安堵が苦虫を噛みつぶした表情へとひと時も持たずに変貌させるには十分だった。
「まぁ過剰戦力でも、軍から大体お目こぼししてもらえるけどな」
「腐ってんじゃねぇか軍」
「そう言ってやるな。こちらも色々技術や金を積んでいるから出来る関係だ」
「それなんて言うか知ってます?」
「ああ、知っているぞ?協力関係だろ?」
「ずぶずぶの癒着関係だよ」
思わずツッコむ黒田の反応に、男性にとってその反応が新鮮なのか大笑いをする。その様子に、苦虫とシュールストレミングのミキサーでも追加されたような、逃げたいような表情を浮かべることになるのは当然であった。
「ハハハ!口に出してはいかんからな~。ほら、そのままでいいから入れ入れ。今からお前の性能テストを行うからな。後、そのままだとキモいからこれ被っておけ」
「ちょっと待ってくださいよ!?キモいって言いましたよね!?」
黒田は、男性が懐から出したニット帽を目元近くまで被せられて、部屋内に押し出される。黒田は『この野郎!俺の事キモいって言いやがった。俺が一番気にしてるのに!ノンデリパワハラクソ野郎め!』と心の中で思いつく限りの罵詈雑言と呪詛と愚痴を唱えながら扉を通ると、そこには毛むくじゃらな男と、目の鋭い女と、とてもきれいなブロンド髪の少女がいた。
黒田は一瞬にして少女に目を奪われた。その姿、その立ち振る舞い、その優し気で明るい雰囲気。それら全てが黒田にとってストライクであった。少し見えたもふもふの尻尾や、美脚も、こと細かく好きと言ってしまう程に
「あっ、新人さんかな~?」
無論声もドストライクであり、太陽のような笑顔も勿論好みであった。
自然と黒田はボーっとしてしまい『結婚したい』と思う程であった。
どれほどボーっとしてしまったかと言うと、
「ぼーっとしている暇があるのか?お前、説明聞いてたか?」
目的を忘れ、説明すら聞き漏らすほどであった。言われたもののおどおどとしていると「分からないのか?」と男性から問われるもので、はっきり「分かりません」などと言えばどうなるのか火を見るよりも明らかであった。だが、黒田は条件反射的に答えてしまう程に目を、思考を奪われてしまっていた。
「何をすればいいんですかね?」
「聞いてなかったのか?シンプルだ。戦闘だよ戦闘。対人性能が何よりも欲しいからな。まぁ今すぐじゃなくてもいい。なんせ少し上の空になるほど弱っているんだろう?病み上がりなのもあるから今日じゃなくてもいいぞ?」
これが本当に全快で聞いていなかった場合は、男性の見た目的にスパルタ指導される可能性が十全にあると今更ながら黒田は気付いた。男性がたまたま黒田にとって都合よく捉えてくれていたため、内心大いにほっとしていた。
「なるほど・・・いや、こういうのは後回しにすると大変なので今やります」
「ふむ、なら駄目そうならストップするからな?」
「是非ともそれで」
後からやるのは面倒なのもそうだが、それに加えてちょっといいところを見せたいと考えた黒田は『ほどほどにかっこつけて戦えそうな相手』と失礼極まる相手の選別を始めた。
ぱっと見ゴリラ、ぱっと見怖いけど普通そうな女性、ぱっと見天使とそれぞれ判断を下す。その中で、戦い辛いのはゴリラ、天使と決まり消去法で、ちょっと怖い女性を選ぼうと考えた。入りたての新人のお願いとして聞いてもらおうと、意気揚々と上司の方に向き直って頼もうとする。
しかし、図々しくも頼みいるには、少し熟考しすぎたようでそれを見かねた先輩が動き出すのは当然であった。
「戦う相手って選べま「おう!新入り!俺とやらないか!」せんよね~・・・はい」
「そんなに嫌だったか?俺は恵原智一ってもんだ。カズ、カズさんってよく言われてるぞ。よろしくな!」
「あ、お手柔らかにお願いしますぅ・・・」
ゴリラのような先輩である智一が、黒田の肩をしっかり掴み屈託のない笑顔で誘う。その瞬間思惑が打ち砕かれ、さっきまでの元気が嘘のように引き攣った笑みを浮かべる。嫌そうな態度に智一は少し気を使うが、その気遣いが黒田の断れない気持ちを強くするのだが、それに智一が気付くことは無かった。『嫌な人じゃなさそうだ・・・何でここに居るんだ?借金でもしたのか?いやまぁ戸籍を売ることはなさそうだけども』とどこか調子の外れた思考をしているが、現実逃避である。
智一は黒田の返事を快く見た後、男性に向きなおってにやっと笑った。
「にしても隊長自らがスカウトしてくるってことは、よほど凄いアニマなんだろうな!何のアニマなんですかい?」
「隊長?誰が・・・あっ」
にやりとした上司改め隊長の笑顔が黒田に向けられた。まさかと思う黒田は、想像以上に自分を連れてきた男性が高い地位にあることに驚愕と苦笑いを禁じ得なかった。
「私だよ。964号君。それとも本名の方がいいかな?」
「あ~なるほど~。俺をここに連れてきてくださった方は隊長だったんですね~」
「棒読みの敬語をありがとう。君の主な仕事は鉄砲玉でいいかな?」
「隊長!あなた様に最大の敬意を!」
せめてもの抵抗を完全なオーバーキルのカウンターが突き刺さる。にやにやとした笑顔と回答が黒田の退路を完璧にふさぎ込んだように思えた。
黒田は『あぁ、俺この性格が悪そうな隊長の元、働かなきゃいけないんだなぁ』と半ば諦めた表情を浮かべるしかなかった。
隊長と呼ばれたその男性は、先ほどの嫌みな笑顔は程々に次の瞬間には顔を引き締め、全員を見回してから口を開いた。
「結構。では、改めて紹介させていただこう。私の名前は梓。柴田梓というものだ。ここ、アニマ部隊3の隊長をしているものだ。そして」
黒田は説明に合わせて背中を押し出される。勿論、全員によくみられるようにである。詰まるところ、黒田は心の準備をする前に天使のように思っている少女の前に押し出されたわけで「うぇ!?」と言う声が出るのも当然であった。
そんな黒田の様子を知っていて無視しながら隊長は次の言葉を紡いだ。
「諸君、よく聞いてくれ。新しい仲間のことだ。私が連れてきた新人君。名は【黒田光】。君たちと同じ実験棟から来たもので、君のアニマは・・・隠している方が好都合だろう?君としてもな」
様になったネクタイを締める仕草を、少し羨ましそうに、同時に恨めしそうに見る。しかし、投げられた疑問に黒田は瞬間で思考した――――
『え~クロゴキブリのアニマ?キッショ』
――――致死量の毒かつ最悪の結末を。
天使と思うその少女から、到底思い当たらない、しかし年頃の少女からは容易に口から出るだろうと想定が出来る発言できる。それが、余りにも致命傷であった。想像するだけで思わず口から血がドバドバと出る黒田に周囲は驚愕と唖然を禁じ得なかった。
「涙を流しながら血を吐いてどうした!大丈夫か!?」
「えぇ・・・隊長の気遣いに感謝の余り吐血してしまいました」
「とりあえずバイタル・・・なんも悪くないぞ!?なんで吐血してるんだ!?」
「へへ・・・これはメンタルダメージってやつですよ。まじで隊長ありがとう」
黒田は滂沱の涙をながして感謝する。今後彼は隊長に足を向けて眠ることなどできないだろう。
起こっていることの波乱万丈さに比例するように、黒田の感情は情緒不安定の如く揺れ動かされている。人生最初の恋と人生最大レベルの絶望を交互に叩き込まれていると考えれば妥当かもしれないが。
黒田は、口元の血を袖で拭い取り、手足をぶらぶらと揺らしながら準備を整える。
「とりあえず、戦闘訓練は出来そうか?」
「ええ、体調はばっちりですよ!」
力こぶを作るように万端であることをアピールするが、それがあまりにも不毛なことを瞬間で察知した。お世辞にも体格は恵まれてはいないが、逃亡生活で培った枯れ枝のような黒田の四肢は、肉体の改造と血管から投与されていた十全な栄養で、多少なりと見れるレベルで整ってはいた。しかし目の前には、金剛と言うにはあまりにも毛むくじゃらな、仕上がりきっている肉体があるせいで比較すると貧相に見えたのである。黒田は新しい日課として筋トレをすることを心に誓った。
「そうか、じゃあカズ。後は頼むぞ」
「了解!黒田君・・・黒田でいいか!加減はある程度してやるから全力で気張れよ!」
思い出してしまった。黒田は他の誰でもなくその剛体が相手であることと、その絶望感を。だが、やけくそ気味且つ直近の最悪を回避した高揚感も相まって、気分としては良かった。それと同時に、辺りにマットぐらいしかまともな事故防止用の装備がないことに気が付いた。当然あると思っていた黒田は、まさかと思いながら疑問を口にした。
「ちなみにヘッドギアとかは?」
「そんなもの、あると思ってるのか?」
「ゴリゴリに安全性を考えてねぇじゃねぇか!」
絶望感はないが、確実にやけくそ気味であったことは誰から見てもわかりやすかった。
――――――――――――――――――――――――
「なんか・・・その・・・すまん」
「いへ、かふぁいふぁせん。ありふぁとうふぉふぁいまふぃた」
顔が潰れてしまいロクにしゃべれない黒田は、何があったのかを思い返していた。
戦闘自体は一瞬で終わった。痛みも一瞬だった。黒田が走ろうとした瞬間、体が爆発的加速を生んで、ロケット発射された。そう、まっすぐすっ飛んだのだ。智一がゴリラ化を強めてパンチしたのに重なって、思いっきり回転しながら吹っ飛ぶ。つまりは黒田自身のスピード分も破壊力に加算されたわけだ。ゴリラの握力や筋力は語るまでもないが、それを人間レベルにスケールダウンしても十全な破壊力になるのは語るまでもあるまい。
それがスピードを人間台のゴキブリ分。ざっくり時速200km加算した場合?そう生きているのが奇跡のレベルの破壊力を生み出した。
それを本能的に上手く回転に使った黒田は奇跡的に生きていた、が、メンタルダメージは十分であった。
「ひぐっ、ぐすっ」
「あ・・・」
「智一・・・泣かせたな」
「いや、これ隊長の指示が悪いでしょ!アニマ使いこなしてる思ったし、戦闘も多少やってるって思うでしょ!」
「ふみまふぇん・・・」
なんも練習する前に来ちゃってすみません・・・という自己嫌悪に陥りつつも、隊長の責を咎めるべく目線を向ける。なんせ、本気で走ったら瞬間移動並みに移動することなど、想像する余裕がなかった。それにあったとしても『そこに合わせて向けられる拳』をどうやって避けろという疑問が浮かんできた。『どうにかできる方法があるなら教えてくれ!』と黒田はそう思わずにはいられなかった。
視線に流石に咎を感じたのか、隊長は黒田の肩をポンポンしながら申し訳なさそうに口を開いた。
「とりあえず・・・そのスピードに慣れるところからだな」
「ふぁい・・・」
「その・・・すまん」
「まったふでふ。はんへいひへふははい」(全くです、反省してください)
「なんと言ってるんだ?」
当面の目標が決まったのであった。戦闘(と言うか自爆しただけだが)の反省会が終わると天使とお姉さんが黒田に近づいてくる。片や目をキラキラさせながら。片やかわいそうなものを見る目で。どっちがどっちとは言うまい。
「いや~すごいスピードだったね~!吹っ飛んでくのも!」
「慣れないうちはそんなもんよ。慣れれば受け身も取れるようになるわよ」
手をパタパタさせて、新しいおもちゃに飛びつく子供のような視線を向けてくる天使のような少女。対して気遣いがてら氷嚢を当ててくれる女性。その二人の姿に思わず止まりかけていた涙が再びあふれ出てくる黒田。『結婚してくれないかな。二人とも。養ってください・・・温かいご飯が1食毎日出るだけでいいので・・・』という最低の思考をしつつ、やる気を滾らせるのだった。
「ふぁんふぁりまふ!!!」(頑張ります!!)
そんなことをしている陰で、智一と隊長が何かしら話をしていた。
「あいつ現金なやつですね」
「まぁいいんじゃないか?やる気がある方がいいし、恋も努力も生きてるうちしかできないからな」
「そうですなぁ・・・ところで隊長、アイツは何のアニマなんです?」
「カズ、人には聞かない方がいい真実がブフゥ」
「隊長!?なんでそこで笑うんです!?教えてくださいよ!めっちゃ気になるじゃないですか!隊長!何処にいくんですか!隊長~!!!」