2: 現当主
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どんなに身分が変わろうとも、父親の在り方は同じなのかもしれない。家族のことを顧みることのないクソみたいな父親もいれば、家族思いの良い父親もいる。どんな父親のもとに生まれるかを子供は選ぶことが出来ない。ただ自分の父親の性格を受け入れるだけ。
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染み一つない真っ白な壁、貴族家の当主として最低限に備えられた装飾品、壁に並べられた装備の数々。どこか娘と同じような空間がそこには広がっていた。
「ふむ、君たちが娘の客か」
その空間にある大きな窓の前に用意された机に両肘をついてこちらを睨みつける男性。身体は厚く、筋肉の鎧をその身に纏い、眉のあたりに刻まれた古傷はこの人物が歴戦の猛者であるということを物語っている。顎に蓄えられた立派な髭にはチラホラと白髭が混ざっているが、反ってそれが強者としての風格を醸し出していた。
しかしながら、そんな猛々しい男の目の下には大きなクマが浮かび、皮膚は心なしかくすんでいるように見える。瞼も重たげに持ち上げられていて、今にも落ちてしまいそうだ。
そのような状態の為、せっかくの雄々しさはくすんでしまい、疲労感を強烈に感じさせる。
――ああ、この人も社畜か。
それがその人物を見た瞬間のオレの感想だ。
とても既視感がある。ギルド職員時代のオレ。仕事に押しつぶされて健康を害していても、休まない――いや、休むことを許されない哀れで不憫な存在。いくつもの不可視の鎖で身体の自由を奪われた小間使い。
そんな昔のオレのような人物がオレたちを値踏みするような視線を送ってきている。
「父上、こちらはアレン、ルナリア、リーフィアです。
イザベルからもうすでに聞いているとは思いますが、いろいろあって屋敷に居候してもらっています」
「ア、アレンです。挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
「ルナリアです」
「リーフィアです」
「……ふむ」
オレを見る目とルナリアとリーフィアを見る目は明らかに違っていた。
オレの時は明らかに警戒し疑っている目。
特段、オレが何か無礼な態度を取ってしまったと言う訳ではないだろうし、身なりが怪しい訳でもないと思う。いや、貴族からすればオレたちの恰好は十分汚らしいものかもしれないが。
「……アレン君、一つ聞きたいことがあるのだが良いかね?」
「……はい、何でしょうか」
重々しい雰囲気に、オレは思わず喉を鳴らす。
張りつめた空気。これからこの人物が何を語るのだろうという緊張感がこの場を支配しており、オレたちは言葉を発することが出来ずにただ次の言葉を待つだけ。
さっきまで疲れ切っているように見えたのに、気のせいか少しばかり覇気が戻っているように見える。
フレイヤも珍しく父親のことをどこか不安げな様子で見つめていた。
「――君はうちの娘に手を出したかね?」
……
「えっ、もう一回良いですか?」
「……うちの娘に手を出したかどうかを聞いている」
予想外の質問に全く頭に入ってこなかった。そのせいで聞き返してしまうという無礼を働いてしまった。
「いや、出してないですけど」
「――何で出さないの! うちの娘に魅力がないと言いたいのか! ぶち殺すぞ」
――えっ、何この人!? 何で怒っているのか理解できないんだけど。普通、逆じゃね?自分の娘がどこの馬の骨か分からない奴に手を出されたのなら、激怒しても当然だろうが、オレは幸か不幸か手を出していないし、そもそもフレイヤとそんな雰囲気にすらなっていない。確かに、最初に見た時はあまりの美しさに見惚れてしまったが、そんな感情はとうの昔。今は笑いながらオレに襲い掛かってくる戦闘好きなヤバい人という認識だ。
ただ、オレの返答で猛烈に怒らせてしまった事だけは理解することが出来た。今にも壁に掛かった切れ味の良さそうな剣でオレのことを切り倒してしまう勢いだ。
オレはどうにか機嫌を取るために、全力で謝る。もちろん、オレの得意技――土下座も添えて。
「も、申し訳ないです! だ、出したいです! ぜひフレイヤさんとお近づきになりたいです! フレイヤさんのその美貌に自分も魅了されています。ええ、今すぐにでもベッドに押し倒して、あんなことやこんなこと、それだけに止まらずにそんなこともやってみたいです!」
「――誰がそこまで許すか! 貴様、やはりうちの可愛い娘を狙う狼藉物か! 今すぐ殺してやる! うちの娘で如何わしいことを考えるその頭を胴体から切り離してやんよ!」
――や、やべ! 間違えた! 先ほどまでよりも状況がさらに悪化してしまった。いや、でも要望に応えたじゃん! 手を出せって言ったじゃん! それなのに怒るなんてあんまりだよ。
オレの心の中の訴えなんかお構いなく、フレイヤの父親は勢いよく立ち上がると壁に掛けてあったオレの首をはねるのに丁度よさそうな剣を手に持ち、こちらに襲い掛かってきた。
「――父上、落ち着いてください! それ以上動くとどうなっても知りませんよ」
剣を抜き、怨念の籠った一撃を放とうとするその首筋にフレイヤの剣が添えられる。そのおかげでフレイヤの父親は剣を振りかぶった状態で止まり、オレの首は切り落とされずに済んだ。フレイヤ、マジでありがとう!
「……フレイヤ、なぜ止める」
「私は当然のことをしているだけだと思うのですが? 逆に聞きたいのですが、なぜ私の客にこんなことを?」
「そんなの、お前を狙うこのいけ好かないクソ野郎をこの世から消すためだ!」
フレイヤの父親はオレに恨みがましい視線を送る。
オレがフレイヤのことを狙っているという事に関しては完全に誤解なんだけどな。今そのことを伝えても信じてもらえないだろう。それどころか、また怒り出すかもしれないので黙っていよう。
「父上、とりあえずのその剣を下ろしていただいてもよろしいですか?」
フレイヤは大きな溜息を吐きながら睨みつける。
「……お前がそう言うのなら仕方がない」
フレイヤの父親はゆっくりと振り上げていた剣を鞘に戻す。それに応じてフレイヤも首筋に当てていた剣を下ろした。
「――でも、覚えていろよ! うちの娘に手を出したら絶対に殺すか「父上!」」
「……すまん」
フレイヤの父親はおずおずと立ち上がる際に倒れてしまったイスを元に戻して座った。
娘から怒られて静かになったその姿に、貴族家の当主もオレたち平民とあまり変わらないんだなと思ってしまう。イスに座っているそのしょぼくれた姿はなんだか最初よりも小さく感じられた。
「――父上が無礼を働いてしまってすまない」
「いえ、お気になさらず。オレも当主様の仰っていることは理解できますから」
――嘘である。全然わかんねえよ!
「そうか、そう言ってもらえて安心したよ。
父上にはもうこんなことはさせないから安心して欲しい」
「ええ、ありがとうございます。何かあったらすぐに報告しますね」
オレは先ほどの仕返しとばかりに、勝ち誇った笑みを浮かべながらフレイヤの父親の方をちらりと見た。
「ああっ、コイツオレのことを笑いやがった! フレイヤ! ねえ、見たよね? 絶対コイツ笑ったもん!」
フレイヤの父親が再度立ち上がり、オレのことを指しながらフレイヤに必死に訴える。
「……はあー、父上は少し落ち着いてください。アレンも出来れば父上を挑発しないでくれ。父上は見ての通り少し残念な人だからな」
「分かりました。この辺で許してあげることにしておきます」
その後は特に波風立つことなく言葉を交わした。
フレイヤの父親は名をゴルギアスと言うらしい。その身体からは考えられないくらいの小さな声で伝えられたので、もしかしたら間違っているかもしれないがまあ良いだろう。
「では父上、顔見せは終わったのでこれで失礼しようと思います。父上もお疲れでしょうから休んでください」
オレたちはゴルギアスに一礼すると部屋を後にする。その時、ゴルギアスの視線がずっとオレの方へと向けられていたことを追記しておく。
「ふうー、やっと終わった。貴族家の当主様と対面するなんてさすがに緊張しちゃったわね」
「アレンさんに襲い掛かった時はどうなるかと思いましたけどね」
ルナリアとリーフィアが大きく伸びをしながら笑みをこぼす。二人はオレと違ってゴルギアスからかなり歓迎されていた。「娘が友達を連れてくるなんて」と目を潤めていたほどだ。
「フレイヤ、この後はどうするの? いつも通り稽古する?」
「ああ、そうだな。でもその前に少し皆に頼みたいことがあるんだ」
「フレイヤが頼みごと何て珍しいわね」
「だからこの後は出来れば私の部屋に来て欲しい」
「分かりました」
今までフレイヤがオレたちに何かを頼むことなんてなかった。そんなフレイヤがオレたちを頼ってくるという事はよっぽどのことが起きたのかもしれない。
オレたち三人は顔を見合わせ、これからのことについて覚悟を決めながらフレイヤの部屋へと歩き出した。
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