16: フォーキュリー家にて
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まさか、生きている間に貴族の屋敷に足を踏み入れることになるとは。ギルド職員時代は貴族は時々依頼を持ち込んでくるだけの存在だった。それなのに、こんなことになるなんて考えてもいなかったな。
無礼を働かないようにしないと。
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「――甘いぞ!」
「――ッく!?」
オレの胴体に向けて剣が薙ぎ払われる。そのあまりの鋭さにオレは打つ手無く、辛うじて剣を防御のために出すことしかできなかった。
しかしながら、その一太刀には速さだけでなくしっかりと重さも備わっており、無理な体勢であったオレを真横へと吹き飛ばす。
オレは冬にしてはしっかりと手入れされている芝生の上を無様に転がりながら、容赦なく迫りくる追撃に備えるために視線だけは相手から外さない。
オレの目には、真っ赤な長い髪をなびかせながら剣を振りかぶる女性――フレイヤ・フォーキュリーが写っていた。
オレが体勢を立て直すと同時に、フレイヤは今度は左肩を目掛けて剣を走らせる。オレは振り下ろされるフレイヤの剣に合わせるように剣を出す。今までの相手ならばこれでどうにか受けきることが出来た。そのため、オレは今回も上手くさばききることが出来ると思い、反撃の一手を繰り出す準備に入る。
しかしながら、オレの予想は裏切られた。オレの左肩辺りで打ち合わされると思われていたフレイヤの剣は、オレの剣と重なることなく少し手前で空を切った。一瞬、フレイヤがオレとの間合いを見誤ったのかと思ったが、相手はAランク冒険者、オレとは次元の異なる強さを持つ人だ。そんな素人みたいな間違いは犯さないだろう。事実、彼女の顔には焦った様子は見受けられず、こうなることを想定していたようだ。
オレがフレイヤの追撃に戸惑ってしまった次の瞬間、右の脇腹に強い痛みが走る。オレの脇腹を見ると、そこには下から上へと切り返されたフレイヤの剣がめり込んでいた。防具を着けているとはいえ痛いものは痛い。オレは立っていることが出来ずにその場に崩れ落ちる。額には長時間動いたことによる汗と痛みによる汗で一杯だった。芝生にオレの汗が次々としたたり落ちる。
そんなオレの方へと汗一つかいていないフレイヤが近づいてくる。
「もう終わりか? まだ私に一太刀も届かせることが出来ていないぞ」
「……もう一本お願いします」
「では早く立て。そして私を楽しませてくれ」
オレの返答が嬉しかったのか、フレイヤは剣を構えながら歯を出してニッカっと笑う。その笑顔はとても美しいものではあっただろうが、オレにとっては肉食獣が獲物を見つけた時に浮かべる猟奇的なものにしか見えなかった。そんな相手にもう一度挑まなければいけないなんて、剣を合わせる前に心が折れそうだ。
オレはくじけそうになる心をどうにか励まして己を奮い立たせ、笑うフレイヤに向けて踏み込みながら、こうなった経緯を思い返していた。
オレたちがフレイヤに孤児院でのことを報告し終えた後、フレイヤは席から立ち上がった。そしてそのままギルドを後にしようとしていた時、オレはフレイヤを呼び止めた。それは前からそうしようと意識していた訳ではなく、彼女の背中を見つめている際に無意識にオレの口から発せられていたと思う。
「何だ? 何か用か?」
「えっ、あの……」
この時オレの頭を支配していたのは、以前フレイヤがオレに向けて投げかけてきた言葉――「何かを守るためにはそれなりの力が必要になる」という至極当然の言葉だった。今のままのオレではいつか大切な物を失ってしまう。オレがどんなに縋ったとしても、それは水のようにオレの手から零れてしまい、たちまち無くなってしまうだろう。
そんな最悪な未来を変えるためには、オレの大切な物を守り抜くためには――
「オ、オレを強くしてくれませんか?」
「君を?」
――オレはここで一歩を踏み出すしかない。自らを変える大きな一歩を。
「フレイヤさんは前に言っていましたよね。オレはオレが大切だと思う者を守りたい! でも今のオレにはそれができない。それはオレにそれ相応の力がないから――だったら! それを持っている人に学ぶしかない。今のオレにとってそんな人はフレイヤさんだけなんです」
今のままでもゆっくりとではあるが成長することは出来るため、普通ならばそんなに焦ることもないのだろう。ただ、今のオレにとってはそんなゆっくりとした成長なんて何の意味もなさない。
フレイヤ・フォーキュリー。オレの知りうる中で最強の冒険者。そんな彼女に師事することにより、劇的な変化を及ぼすことが出来るだろう。
オレはまっすぐに彼女の燃えるような目を見る。彼女もまた、そんなオレから視線を逸らすことなく真剣な眼差しで受けとめていた。
「……この前会った時よりも良い目だな」
オレの耳に聞こえないくらいの声量で呟いたフレイヤは、オレの横で成り行きを見守っていたルナリアの方へと目を向ける。
「君の守りたいものは彼女かい?」
「ええ、まあ……」
「そうか」
フレイヤは顎に手をやり、しばらくの間一言も発さずに黙っていた。
そんな彼女をオレはただ待つことしかできない。冷静に考えて、彼女がオレに稽古をつけることに何の得もない。弱者であるオレがただ彼女の強さにあやかりたいだけだ。断られてしまったとしても、それは至極当然の反応であり、オレもそれぐらいは理解している。ただ、そんなことで引く程オレは諦めが良くない。冒険者になって以来、自身のために生きると決めたオレにとって、このぐらいの厚かましさは何てことないものだ。
それに、あのような言葉をオレに投げかけて、オレを悩ませているのだから、これぐらいは了承してくれても良いのではないかという思いもある。
「――分かった。その申し出を受け入れよう」
「――っ! 本当ですか?」
「ああ、こんなことで嘘なんて言わないよ」
「ありがとうございます!」
「それでは早速我が家に行くとしようか」
「……えっ?」
その後、半ば連行されるかのようにフレイヤに手を取られて彼女の後をついて行き、平民が立ち入らない貴族街へと足を踏み入れた。貴族街にはかなり大きな屋敷が点在しており、綺麗に手入れされた庭やそれを囲う堅牢な壁などを見ることが出来る。オレたちが徒歩で向かっている間、オレたちの横を貴族のたいそう豪勢な馬車が何台も通り過ぎって行った。
そんな平民からすれば何とも場違いな魔境へと足を踏み入れてしまったオレとルナリアは、肩身の狭い思いをしながら、悠々と前を行くフレイヤの背中について行く。
「着いたぞ。ここがフォーキュリー家だ」
もう少しでオレたちの心の耐久値が無くなりそうになっていた時、今まで後ろを振り向かずに歩いていたフレイヤが立ち止まり、オレたちの方へと身体を向ける。
オレたちが視線を上げると、フレイヤの後ろには他の屋敷よりも少し小さいものの、武骨で堅牢そうな建物がそびえ立っていた。その建物には他の屋敷のような装飾の類は見受けられず、実用性を重視している造りをしている。まあ、それでも平民のオレたちからしてみれば、かなり派手である訳だが。まあ、貴族の屋敷をオレたちの価値観で測るのは間違いだろう。それでも、建物だけでも住む世界が違う生き物だという事を実感させられる。
そんな風に半ば現実逃避気味に考えていたが、今、オレたちはその別世界に足を踏み入れようとしている。
「では早速君と打ち合うとするか。家の者への挨拶はその後で良いだろう」
「……あっ、お、お願いします」
――えっ!? 家の者ってフォーキュリー家の現当主ってこと? いやいやいや、それはぜひ遠慮したい。えっ!? ただオレを強くしてくれるだけじゃないんですか? オレとしてはフレイヤさんは貴族でありながらも冒険者であるため、何とか話すことが出来てはいるが、そうじゃない純粋な貴族となると話は別。無礼を働いて殺されてしまうのではないかという不安で碌に話すことが出来そうにないのだが。
「どうした? 何か考え事か?」
オレの顔に心の声が表れていたのだろうか。フレイヤがオレの顔を覗き込む。
「いえ、大丈夫です」
「そうか、では行こうか」
そう言って、フレイヤは建物の前にある大きな門の方へと歩き出した。
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