4: 引っ越し
///
引っ越しの経験はどれぐらいあるだろうか? 一年ごとにする人もいれば何十年もしない人もいるだろう。
ただ、経験がない人にとってみれば、実際に引っ越しをしようと思った時、その手間に驚いてしまうことが多いだろう。引っ越し先の契約や今いる所の引き払い、荷物の運搬など、やらなければならないことは多々ある。
まあ、オレの場合は頼りになる二人がいたし、『魔法の鞄』があったのでこれといった苦労はしていないのだが。
///
二人をどうにか宥めることに成功した後、とんとん拍子で物事が進行していき、浴室を実際に見た二人の勢いに押され、あれよあれよという間に契約の段階にまで至っている。
二人はグレイ村での経験以降、毎日風呂に入るという事を渇望しており、よくそのことについて話していた。ただ、この王都ではそんな機会がある訳もなく、その思いは心の奥底に留められていたのだろうが、ここにきてその思いが叶う機会を得た二人は目を輝かせながら契約の書類を読み込んでいる。
まあ、オレも二人のように風呂の魅力に取りつかれてはいるので、あの物件を契約するのに何の反論もないのだが。
先ほどまでは主にオレが交渉していたのだが、今やオレはお役御免となり、二人が前に立っていろいろと話をしている。オレはそんな二人の姿を後ろから見ているだけの状態だった。
「――では、これで完了です。
他に何か気になる点はございますか?」
「大丈夫です、ね、リーフィア?」
「ええ、問題ないです」
どうやら契約完了したようだ。これからはあの物件がオレたちの家となる。
ルナリアが書類に記名して家の鍵を受け取る。
「じゃあ、アレン、行きましょう!
引っ越しの準備をしなくちゃいけないわ」
「今日中に宿は引き払いましょう」
契約を終えたルナリアとリーフィアがオレを急かす。オレは苦笑しながらも二人の後を追って商業ギルドを後にした。
時刻はまだ昼過ぎぐらい。今から急いで準備すれば今日中にあの家に引っ越すことが出来るだろう。
「ステラもお風呂の魅了を知れば、もっと元気になるかもしれないわ!」
「絶対に気に入ると思いますよ。
浴室に二人ぐらいは入れそうだったので一緒に入りたいですね!」
「そうね、お互いに洗いっこなんかもしたりして楽しみたいわね」
楽しそうに話す二人の足取りはとても軽やかだった。そのため、直ぐに宿に戻ってくることが出来た。
「ただいま、ステラ、良い子にしてた?」
元気に入ってきたルナリアに驚いたのか、ステラは身体をビクつかせてこちらを見た。ただ、入ってきたのがルナリアだと分かると、ステラは身体を弛緩させていつもの無表情な状態へと戻る。
「ステラ、唐突で悪いのだけど今から引っ越しをするわよ!」
「ここよりもっと良い場所を見つけてきたので、そこにみんなで住みましょうね!」
ステラはそんな二人の言葉に小さく頷いた。
オレがステラの主人となって以来、ステラはこの部屋でずっと過ごしてきたので少しぐらい名残惜しさがあるかと思っていたが、今のステラの様子を見るに杞憂だったようだ。この部屋に特に思い入れはないらしい。若しくは、最近仲良くなってきたルナリアとリーフィアが一緒にいればどこでも良いのかもしれないな。
「私たちは今から引っ越しの準備をするから、ステラはそこで待っていてね。すぐに終わらせるから」
「まあ、そんなに時間はかからないですけどね。
荷物も少ないですし、そもそも私たちには『魔法の鞄』があるのでいくらでも運べますから」
「冒険者様様ね。
今日ほど冒険者で良かったと思った瞬間はないわ」
二人は次々に『魔法の鞄』へと荷物を収納していく。冒険者ではない一般に人々であれば、この作業だけで一日を有するのだが、『魔法の鞄』を持つ冒険者であるオレたちはものの数分で作業を完了させた。
「ステラはこの服を着てね。
温かくしていないと風邪ひいちゃうから気を付けるのよ」
リーフィアが可愛らしい子供用の服をステラに手渡す。あの服は以前冒険者ギルドからの帰り道にステラ用に買っていたものだ。装飾は華美過ぎないが、かと言って単調でもない。選ぶのに大分時間が掛っていただけあり、とてもステラに似合っている。オレが選んでいたらこうはなっていなかっただろう。
着替えを終えたステラにリーフィアが頭に布を優しく被せる。それによってハーフエルフであるステラの特徴的な耳を隠して、人間ではないということがバレないようにする。引っ越し先の家の周囲は人気が無いので耳を隠していなくても大丈夫かもしれないが、そこまでの道中は今の時間ぐらいだとまだまだ人通りが激しいので直ぐに気づかれてしまうだろう。さすがにオレたちが傍にいるので直接的な危害を与えてくるような馬鹿な輩はいないだろうが、用心するに越したことはない。
幸いにも、季節は冬。外に出ている人々はみんな厚着をしているので、頭に布を巻いていたとしてもさほど変な目で見られることはないだろう。
「準備完了ね!
じゃあ、部屋を引き払いに行くわよ」
オレが王都で暮らすことになって以来この宿でずっと生活してきた。そのため、オレにとってはとても特別な空間であり、いざ離れるとなると少しばかり感傷的になってしまう。
それはルナリアとリーフィアも同じだと思っていたが、二人はオレと違ってさほど落ち込んだ様子は見られなかった。そんなことよりも今から行く家のことで頭が一杯なのだろう。オレは苦笑しながらも二人を追う。
まだ万全の状態ではなく、目的地まで自分自身で歩いて行くことが出来ないステラはリーフィアが抱いていた。ステラはリーフィアの身体の柔らかさと温もりを堪能するかのように頬を擦り付けている。
……なんて羨ましい。
ステラに少し嫉妬しているとルナリアが宿の女将さんとの話を終えて戻ってきた。
宿の引き払いの手続きを無事に終え、そのままオレたちは新たなる家を目指して宿を後にした。
家に着くまでの道中、ルナリアとリーフィアがステラに対して新しい家に関して話している。まあ、大半は浴室の素晴らしさをスゴイ熱量で語っていただけなのだが。
「――それでね、お風呂に入るとたちまち幸せになるの」
「温かい湯に全身が包まれて、力が抜けていくんですよ。
そして、まるで空を飛んでいるみたいになるんです」
「疲れも一瞬で吹き飛んじゃうわ!」
「時間も忘れてしまうほどなんですよ!」
ただ、ステラも二人のあまりの熱の入れように興味を抱いたのか、二人から視線を離すことなく熱心に話を聞いていた。
オレはそんな三人の空間に入ることが出来ずに、ただ後ろからその様子を見つめながら歩いている。
……本当に姉妹のようになってきたな。まあ、三人の仲が良いことは良い事なのだが、オレとしてはどうしても孤独感を抱いてしまう。オレもあの空間に入ることが出来るのならば、そんなことは感じないのだろうけど、今のオレにそんな勇気も能力もない。
そうやって後ろから付いて歩くこと数十分。オレたちは新しく借りた家の前へとたどり着いた。
ルナリアがその古びた扉を開けて中へと入る。
「ここがステラ専用の部屋になる予定よ。
ただ、今日は家具がないし掃除もしなくちゃいけないからまだ使えないけどね」
「今日は三人で一緒に寝ましょうね。
ステラが真ん中で私とルナリアが両脇です」
昼間の内に話し合っていた通りに部屋分けを行う。部屋の大きさなどはさほど変わらないのでどこでも良いと思うのだが、ステラもオレとよりも二人と隣同士の方が安心するだろう。そのため、廊下を挟んで二つずつある部屋の内、オレとステラは一番離れた対角線上の部屋を使うことになっていた。
ルナリアとリーフィアはステラの隣の部屋を二人で使う様で、せっかく一人一部屋あるのだからと思ってしまうが、二人がその方が落ち着くのならばそれで良いだろう。結果的にオレの隣の部屋は空き部屋となり、物置に使う予定だ。
「まずは掃除からだな。
最初は居間、その後に浴室、最後に各部屋で良いか?」
「ええ、それで問題ないわ」
「とりあえず、ホコリを払って軽く拭き掃除でもしましょう」
「それじゃあ、作業開始だ!」
ステラを居間に用意したイスに座らせて、オレたちは掃除に取り掛かる。長年使われていなかったため、大量のホコリが至る所に積もっていた。それでも、家具や装飾がないため掃除をするのは思っていたよりも簡単だった。オレたちは丁寧にホコリを一か所に集め、空き家を人の住める状態へと生まれ変わらせていく。
余談だが、魔法士の中には生活魔法である『クリーン』を応用して家の汚れを一瞬で綺麗にしてしまう者もいるらしい。ただ、一般的に使用頻度はさほど高くなく、それに比べて高度な技術が要求されてしまうため、早々使える者はいない。使える者の大半はその便利さから貴族によって雇われていて、屋敷の保全に努めている。
それから、オレたちは居間、浴室、各部屋と順番に掃除を進めていき、無事に夕飯時までに終わらせることが出来た。各々の部屋に宿から持ってきた物を設置し、その後、居間に集まり食事をする。
引っ越し作業で疲れていた為、今日は浴室を使用することなくそのまま床に厚い毛布を敷いて寝た。
一緒に寝ている三人と違って、オレは久しぶりに独りで寝ているためなんだか寂しさを感じてしまった。
……人肌が恋しい。
読んでいただき、ありがとうございました。




