5: 今後
「ただいまー」
オレは元気に宿へと入る。いつもはこんな明るい時間に帰ってくることはできないし、こんなに元気な状態であることもない。
「ただいま」なんて言ったのはいつぶりだろう。最後に言った時を思い出すことができない。それぐらい長い間言っていなかったんだろう。オレは人間らしい生活を取り戻したことをしみじみと感じながら、まだ明るい宿の中を見渡す。
ギルドで働きだして以来この宿を利用してきたのに、そこにはオレにとって見慣れない光景が広がっていた。それもそうだろう、明るい時間帯にここにいたことなんてなかったからな。長年住んでいるのに初めて見るなんて、今までのオレはなんて馬鹿らしい生活を送っていたのだろうか。そんな大馬鹿者はこの世界を探してもオレぐらいだろう。とにかく、今オレは初めての経験を絶賛体感中だった。
一階には宿泊客がチラホラおり、食堂で酒を飲みながら楽しく食事をしている。厨房ではマーサさんが忙しそうに料理をしていた。どうやら、こっちにはまだ気づいてないようだ。額にうっすらと汗を浮かべながら、大きな調理器具を豪快に動かしている。そのカッコイイ姿に目を奪われつつも、オレはギルドから持ち帰った荷物を置くために自室へと向かう。
オレは荷物を殺風景な自室へと運び、少しばかり人間味のある部屋へと変えた後、マーサさんのいる食堂へと向かう。
「マーサさん、今日のオススメは何ですか?」
マーサさんは何かを炒めながら、顔をこちらへと向ける。
「今日は、オークの焼――」
オレに気付いたようだ。ただ、オレがこんな時間に帰ってくるとは思っていなかったのだろう。マーサさんにしては珍しく固まってしまった。「驚かせることに成功したな」と、マーサさんの貴重な姿を目に留めながら、オレはもう一度注文をする。
「ただいま、マーサさん。今日は早く帰ってきました。
それより、お腹がすいたから今日のオススメを下さい」
「あ、あぁ、わかったよ。
じゃあ、席で待っておきな」
オレは食堂を見渡して空いている席へと移動した。食堂は酒の匂いと食べ物の匂いが充満しており、オレの食欲を強烈に刺激する。早くマーサさんの温かい手料理が食べたいな。長い間口にすることが出来なかった温かい食事の味は、いったいどんなに美味しいのだろうか。今から食べる料理が待ち遠しくてたまらない。
そんな風に考えていると、マーサさんが出来上がった料理をテーブルへと持ってきてくれた。
「はいよ、今日のオススメのオークの焼肉だよ」
運ばれてきた料理からはアツアツの湯気が立ち上っている。食べる前からわかる。これは絶対においしい。
オレはこんがりと焼かれた熱々のオークの肉を口へと運び、そのあまりのおいしさに驚いた。
「――うま! マーサさん、これめちゃくちゃおいしいですよ」
「ありがとよ。
それはそうと、いったいどうしたんだい、こんなに早く帰ってきて。
ギルドで何かあったのかい?」
料理に対するオレの感想に喜びながらも、マーサさんはすぐにそのことから話題を変える。その顔は本当にオレの事を心配しているようだった。そんな慈愛に満ちたマーサさんの姿に温もりと感謝の念を感じつつ、オレはこれ以上心配させないように出来るだけ落ち着いた明るい口調で、今のオレの状態を話し始める。
「実はオレ、今日で辞めたんですよ、ギルド職員。
だから、今日から無職になっちゃたんですよね」
マーサさんはオレの返答に驚いてはいるものの、どこか納得したような表情をしていた。その表情からすると、マーサさんは何れこうなることを予想していたのだろう。そんなにオレのことを親身になって考えてくれている人が他にいただろうか? マーサさんにとってオレはただの宿泊客でしかない。それなのに、こんなに見てくれているなんて。
「社会に出てしまえば大人なんだから誰にも支えられずに独りで生きるべきだ」という様な考え方もあるかもしれない。もちろん、そのような生き方を否定する訳ではないが、その考えを持つ者がオレと同じ境遇に置かれた時、果たして誰にも縋ることなく独りで生きていくことが出来るのだろうか。オレが思うに、知らず知らずのうちに絶対に心も身体もだんだんと蝕まれていき、最終的には修復不可能なぐらい壊れてしまうだろう。
そう考えれば、マーサさんという縋ることのできる存在がいてくれて本当に良かったと思う。日々ボロボロと壊れていくオレに寄り添ってくれ、その温かさで優しく包み込み、周囲にバラバラに散ってしまったオレの欠片を集めながら、どうにか生きていくことが出来るようにオレを修復してくれた。この人なしではオレは今ここに存在することが出来ていなかっただろう。
オレが改めて感慨に浸っていると、マーサさんが口を開いた。
「そうかい、やっと辞めたのかい。それは良かったよ。いつも死んでいるみたいなあんたは、もう見たくないからねぇ。
それで、これからどうするんだい?」
「それが、まだ考えてないんですよ」
「あんた……それで大丈夫かい?
まぁ、しばらくは宿代を立て替えてあげられるけど」
マーサさんはどこか呆れたような口調だった。ただ、そこのは侮蔑の色は含まれておらず、やんちゃな子供を見守る母親のようであった。
「ありがとうございます。
まぁ、今日はゆっくりして、それから考えますよ」
「そうかい……あんたの人生なんだから、好きにしな」
オレの境遇を聞けて満足したのか、マーサさんは厨房へと向かい、他の宿泊客の注文をさばくのに戻った。
オレは忙しそうにしているマーサさんを横目で見ながら、オークの肉が冷める前に平らげる。付け合わせの野菜と肉に絡まっているソースが絶妙に相まって、幸せをオレの口に運んでくれる。皿に大量に盛られていたオークの肉は瞬く間にオレの胃袋へと消えて行った。
「マーサさん、ごちそうさま。
おいしかったです」
オレは空になった食器を厨房へと持っていき、マーサさんにお礼を言う。そして、今まで感じたことのないような満足感に包まれた状態で自室へと戻った。
自室に入ってすぐに、オレはベッドへと倒れ込んだ。いつもの自室に入った時の行動だけど、いつもとは違う。今日はいつもとは違い、オレが自分の意志でそうしたのだ。それに、マーサさんの料理のおかげでいつもの空腹感やみじめさは全くなく、今日のオレには幸福感しかない。そのためか、いつもオレを受け止めてくれているベッドも、いつもより柔らかく温かい気がする。
オレはベッドの上で仰向けになりながら、今後のことについて考えた。
勢いでギルドを辞めてしまったけど、明日からどうしようかな。まぁ、あんなところから抜け出せたから良いんだけど。そもそも、オレ、ギルドでしか働いたことないし、他の仕事でもやっていけるのかな。まぁ、あそこより環境の悪い職場なんてさらさらないと思うけど。新しい職場で同じことをされたら、ギルドを辞めた意味がないからな。マーサさんに迷惑はかけられないから、できるだけ早めに決めないと。
明日からの自分を考えると不安がないと言えば噓になる。だが、その不安は今まで感じたことのない前向きな不安であり、今までのような、オレを絶望へと導くものではない。突然、ギルドから『自由』になったことで、その他人から縛られることのない『自由』の中で「どうやって生きていけば良いのか?」ということから生じる不安だ。
ただ、その不安な状態に不快感は全くなかった。選択することができる『自由』。自分らしく生きることができる『自由』。温もりを感じることができる『自由』。そう、オレは様々な『自由』を手に入れたんだ。これらを決して手放したくはない。そのためにはどんな仕事に就けば良いのか。
そんなことを長々と考えていると、オレはウトウトと瞼が重たくなってきた。
次第に薄れていく意識の中、オレはある答えへとたどり着いた。
「……そうだ冒険者になろう」
読んでいただき、ありがとうございました。




