3: 転機
「……うぁ……」
いつもと同じようにオレは目を覚ます。
昨日もいつの間にか寝てしまっていたのか。
ぼんやりとした意識の中、オレは疲労感が取れていない身体をゆっくりと起こしてベッドに腰かける。視界には未だに霞がかかり、ボンヤリとしか見ることが出来ない。そんな目をこすりながら少しの間待っていると、次第に霞が晴れてくる。
「今日もか……」
周囲はまだ暗く、宿の外から人の声は聞こえない。それもそうだろう、まだ日が出ていないのだ。こんな時間に起きるやつが異常なんだ。もし起きていたとしても、それは朝食の準備をしている料理人や、仕事帰りの夜街に努める人々か娼婦ぐらい。もっとも、彼らは今からぐっすりと寝るのだろうけど。まあ、一般的にはまだ寝ていることが許される時間帯。
オレは自虐しながらも、素早く身支度をする。オレだって本当はもっと寝ていたい。だが、この生活が身体に染みついているため、意識しなくてもそうしてしまう。見えない鎖によって操られているかの如く身体が勝手に動き出してしまう。
いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ内容の自虐をしながら、いつもと同じ服を着る。ギルドに努めて以来、変わらないオレの朝の習慣。
他の客を起こさないように、ゆっくりと部屋の扉を開ける。そして、宿を出ようとしたところで後ろから声が聞こえた。
「もう行くのかい?
今日もご苦労なことだね」
「はは、マーサさん。
もう慣れましたよ」
この人はこの宿のおかみさんであり、オレにも優しい希少な存在だ。年齢は教えてくれないが、恰幅の良い人で面倒見も良く、周囲の人々から慕われている。そんなオレとは真反対な存在であるマーサさんはオレを蔑みを含んだ目で見ることなく、いつも親身になって気にかけてくれる。
「ほら、今日の朝飯だよ。
それ食って頑張りな」
マーサさんはオレの方に食べ物の入った袋を放り投げ、そのまま自室へと帰っていった。今日もこのためだけに朝早く起きてくれたんだろう。「ありがとう」の言葉しか出てこない。これで今日も何とか倒れずに済みそうだ。
オレは朝の閑散とした道を重い足取りで歩く。今日も昨日と同じことをやられるのかと思うと足はますます重くなる。まるで身体がギルドに向かうのを拒否しているようだ。ただ、結局はギルドに行かなければならないため、我慢しながら歩を進める。
そうしていると、オレはギルドに到着した。オレは慣れた手つきでギルドの鍵を開け、書類が大量に積まれたオレの机へと向かう。
「あいつら、こんなにオレに押し付けやがって……」
オレは愚痴りながらもイスに座り、まだ誰もいないギルドで今日もまた黙々と仕事を始めた。
「おい、社畜。ギルドマスターが呼んでるぞ。
さっさと行ってこい」
オレが一人で仕事を進めていると、先輩のギルド職員から悪意に満ちた言葉を浴びせられた。こうも『社畜』と公然と呼ばれると、かえって清々しさすら感じてしまう。
「はぁ……今日は何だよ」
どうやら、このギルド内で最もオレを下等生物だと決めつけているだろう奴からの呼び出しらしい。オレはゆっくりと二階にあるギルドマスター室へと向かった。
「失礼します」
ノックをしてギルドマスター室へと入ると、豪華なイスにふんぞり返った小太りのおっさんがそこにいた。そいつは「お前はブタか!」と叫びたくなるような見た目をしており、もしブヒブヒと鳴いていたら、十人に一人は本物のブタと間違えるのではないだろうか。そいつは何が面白いのか、ニチャニチャとした笑みを浮かべている。普通の感性を持っている人間なら、その姿に対して嫌悪感しか抱かないだろう。ギルド内でもほとんどの奴に嫌われていることを、こいつは知っているのだろうか。
ただ、みんなこいつの前ではそのことを表に出すことはない。給料や昇進、仕事のノルマなど、様々なことがこいつの一存で決定されていることを知っているからだ。そのせいで、ただでさえ見栄っ張りでその地位を使って我儘の限りを尽くしているこいつはますます増長し、今ではこのギルドは独裁的な組織へとなってしまった。
こんな奴がギルドマスターなんだ。その下で働くみんなが、立場の弱いオレをストレス解消のために使うのも仕方ないのかもな……。
オレは半ば現実逃避をしながら、そのブ、ギルドマスターに話しかけた。
「お呼びでしょうか?
何も問題を起こしてはないと思うのですが……」
「なんだね、その口の利き方は。
社畜だから言葉もろくに喋れないのかね」
「……」
「それに、問題なら起こしておる。
仕事をいつもため込んで。
どうせ、ろくに仕事もせずに、ただボーっとしておるんだろう」
オレは「お前らがオレに押し付けているんだろうが!」という叫びを何とか飲み込みながら、これ以上何を言っても無駄だと思い、素直に謝罪する。
「分かればいいんだよ。
ということで、減給するからの」
「……えっ……い、いや、これ以上減給されたら、生活が苦しすぎるんですが……」
「そんなことは知らんよ。次からは頑張りたまえ。
さぁ、話は終わりじゃ。出て行っていいぞ」
「は、はい……失礼します」
オレは怒りで声を震わせながら、何とか言葉を口に出し、ギルドマスター室を後にした。
「……どうしよう……ただでさえ節約しても苦しいのに……こんなんじゃ、本物の奴隷の方がいい生活できるんじゃないか?
いっそ本当に奴隷にでもなるかなぁ……」
この先、オレはどんな風に生きていけば良いのだろう。このまま、ここで働き続けて良いのだろうか。このままここに留まったとしても、待遇が改善される未来は全く見えない。このままずっと、いいように使われ続けるだけだ。そんな人生でいいのか。もっと楽しく生きてみたい。何かに縛られことも、誰かに命令されることもない、そんな生き方をしてみたい。でも、オレにそんなことができるのか。ギルド職員という子供の頃に憧れた職業に、せっかく就くことができているのに。オレはその立場を捨てることができるのか。
「はぁ……仕事するか」
――夜。
今日も宿の明かりはもうすでに消えていた。
いつものように疲れた身体を引きずって自室へと入ろうとしたとき、いつもとは違い後ろから声をかけられた。
「あんた、今帰ったのかい。
もっと身体を大事にしなよ。そんなんじゃ、すぐに死んじまうよ」
憐れみと同情が入り混じったマーサさんの声は、オレにとっては温かすぎ、いつの間にかオレの瞳からは涙がこぼれていた。
「あぁ、いい歳して泣くんじゃないよ。
今日はもう寝な。明日の朝飯はちょっといいもの作ってあげるから」
「……あ、ありがとうございます……」
オレはどうにか声を絞り出しながらマーサさんに感謝を伝えると、いつも通りベッドへと倒れこんだ。
――朝。
今日もいつもと同じ一日が始まる。唯一違うとすれば、マーサさんがちょっと豪華な朝飯を作ってくれたということだけ。ただ、それだけでもオレにとっては幸せなことだった。
だが、そんな幸せも束の間。今日も無理難題を押し付けられる。
「おい、さっさと金をよこせつってんだろ!」
「もたもたするなや!」
「こっちはこの後も予定があるんだよ!」
前に絡んできた冒険者たちだ。今日もまた代金を上乗せしろと迫ってくる。オレは心の中でため息を吐きながら、媚びへつらった表情と声色で対応した。
「ですから、無理なんですよ。
この程度だと、このぐらいしかお支払いできないんです」
「うるせぇーな。そんなことは知らねぇよ。
お前がどうにかしろつってんだろ!」
「てめー、ナメてると殺しちまうぞ!」
「殺されたくなかったら、さっさとしろや!」
「……」
オレは冒険者たちの言葉を聞き流しながら、考えていた。「こいつらに義理立てする必要がるのか」と。そもそも、こいつらはオレのことを、ただの都合の良い道具としか見ていない。オレはそんな奴らに使われ続ける道具なのか?ギルドの奴らもそうだ。同僚なんだから助けてくれても良いじゃないか。なのに、助けてくれるどころか、面白がって笑っているだけ。そんな奴らと今後も一緒に働き続けるのか?
そんなことを考えていると、オレに迫っている冒険者たちのある言葉が鮮明に聞こえた。
「おい、聞いてるのか『社畜』」
その瞬間、オレの中にあった得体の知れない何かがプツリと切れた。
「――じゃかしいわ!
無理なもんは無理っつってんだろ!」
オレはいつの間にか右手を握りしめ、リーダーの冒険者の顔に渾身の右ストレートを打ち込んでいた。
そう。オレはついにやっちまった。
そう思いながらも、オレはどこかスッキリした感情で倒れ行く冒険者を見下ろしていた。
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