29: あっ、近衛騎士になりました
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生きていると、どうにも抗えないことが頻発するものだ。
力があれば抗う事も可能なのだろうが、都合よくそのような力を持っている者も少ないだろう。
であれば、無理に抗おうとせずに、その場で楽しんでみようという精神性が大切なのかもしれない。
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「――王女殿下におかれましてはいつにもなく見目麗しく、まさにスレイブ王国に咲く一凛の華の様でございますな」
王宮内の廊下にて、貴族の男が王女に歯の浮くような言葉を連ねる。
「ふふ、そんなにおだてても何も出ませんよ」
聞いていて身震いしそうになるのを何とか我慢するのがやっとで、王女もその顔に笑顔を浮かべながらも、目の前の貴族にバレないように身体を震わせていた。関係のない男が聞いても気持ちが悪いのに、それを向けられた当人であれば気持ちの悪さは何十倍もの威力があるのではないか。そんな状況下でも顔には笑顔を浮かべている王女には特大の拍手を送ってやりたい。
「いえいえ、おだてなどとそのような無粋なものではなく、偽らざる私の本心でございますよ」
しかしながら、王女のそのような様子などまったく察することなく、貴族はつらつらと薄っぺらい言葉を紡いでいく。このような言葉をよくもまあ得意気に発することが出来るものだ。一瞬、詩人かなと思ったりもしたが、このような駄文しか頭に思い浮かばないのならば違うだろうと切り捨てる。
「まあ、何て嬉しいことを」
王女も早くこの場から逃げたそうにしているのだが、貴族の男は察しが悪いようでなかなか逃がしてはくれない。
「しかしながら、そんな殿下の傍にそのようなハエが集っているのは看過できないのですが」
貴族の糾弾するような視線が王女の後ろで控えていたオレへと向けられる。
「殿下の騎士ともあろう者がそのような下級貴族では世間への体面を悪くなるというもの。いかがでしょう、我が家に腕利きの者がいるのですがそちらと取り換えてみては?」
侮蔑の籠った言葉が王女の近衛騎士――オレへと向けられる。
――あっ、そうです、オレは王女の近衛騎士になりました。大見え切って断ったものの、その後に出された要望がかなりオレにとっては酷であり、これなら近衛騎士の方が幾分かマシかと、嫌々ながら承諾してしまった。完全に王女の手のひらで踊らされた気分だが、老獪が闊歩する王宮で生まれ育った王女にオレなんかが勝てるはずもないので気にしないようにしている。
「せっかくのお言葉ですけれど今は間に合っていますのでお断りいたしましょう」
「なぜです! そのような平民上がりの成り上がり者よりも絶対に役に立ちますよ!」
まさか、王女が断るとも思っていなかったのか、貴族が驚きの表情で詰め寄る。
突然汚い顔に詰め寄られたことによって、王女は不快な表情を一瞬だけ浮かべたが、一歩後ろへと下がると、貴族に悟られる前に元の笑顔に戻す。
「あら、あなたのおっしゃるその方はドラゴンを討伐するほどの腕の持ち主なのかしら?」
「……そ、それは」
さすがに王女も大人げなさ過ぎだと思う。ドラゴンを討伐できるものがそうそういる訳がないだろうに。貴族の男もさすがにドラゴンを討伐することが出来るとの嘘を述べることは出来ず、王女へと返答する代わりに、オレの方へと恨みをぶつけてくる。
「……絶対に後悔しますよ」
そう言って、荒々しくオレたちの前から立ち去る。
残された王女は貴族の姿が見えなくなると、ふうっと大きなため息をつく。不快感から解放された彼女の額には少しばかり冷や汗が浮かんでいる。あのまま貴族が立ち去らずに王女にさらに詰め寄っていれば、もしかしたら王女の面白い姿を見ることができたのではないかと心のモンスターが残念がっている。常日頃のあのこちらを馬鹿にしたような笑顔をもう少しで崩すことが出来ていたのに。まあ、今日の所はこのくらいで我慢しておこう。死そして、何かあればあの貴族を王女の前へと召喚して王女に嫌がらせをするのも良いかもしれない。
「……何か良からぬことを考えていますね?」
「いえ、別に」
「……」
「……」
オレは知り合いのメイドがするような無表情で王女の鋭い視線を受け流す。こんな時のためにオレもステラから極意を聞いていたのだ。たとえ王女といえど、オレの鉄壁を貫くことは出来ない。
「もう良いです」
根負けした王女はわざとらしい態度で明後日の方を向く。
「ああっ、どうして私の近衛騎士はこんなにも主人への敬意がないのでしょうか?」
王女が胸の前で手を合わせながら天を仰ぎ、わざとらしくこちらに聞かせてくる。
当然のことだが王宮内なので、見えるのは豪華な天井だけなのだが、あれでも神へと届いているのだろうか?
「それにしても、王女も何かと忙しいのですね。オレはもっと暇なんだと思っていたのですが」
嫌味な王女に構っていても何も良いことがないので話題を逸らす。
オレの言う様に、本日の王女は色々と忙しかった。朝から偉そうな学者のもとで政治や王国の歴史について、昼には魔法士のもとで魔法学について学んでいた。後ろで見ていたオレにとっては内容が難しく、眠くなってしまったが、王女は熱心に話を聞いていた。
「あら、影響力がないといえども一国の王女ですよ? 暇なわけがないでしょう。
それともあなたの目には私が暇なように映っていましたか?」
「毎日お茶に誘ってくるので暇なのかな、と」
「本当にあなたは不敬すぎますよ!」
「オレはこの前まで平民でしたからね。オレに貴族社会の礼儀を求める方がおかしいのですよ」
王女が本気の怒りをオレにぶつけてくるが、オレは特に気にしない。だって、オレは悪くないから。前まで平民だったオレに、いきなり貴族としての生き方なんて出来るはずがないし、そんなものを求められても困る。別にオレが貴族に成りたいなんて頼んだ訳では無く、王女の父親――国王が決めたのだから、苦情は国王に言って欲しい。なんなら、爵位をはく奪してくれても一向にかまわないのだから。
「はあ、近衛騎士に邪険にされる私はなんてかわいそうなことなんでしょう」
「いやいや、あなたが近衛騎士に半ば無理やりしたんでしょうが」
「まあ、私の心労と引き換えに面白いおもちゃを手に入れたと考えれば、何とか心の平穏を保てますかね」
王女は勝手に自信を納得させていたが、聞き捨てならない言葉が含まれていた。
「……オレは近衛騎士にはなってあげましたけれど、おもちゃになったつもりはないですよ」
「ふふ、冗談ですよ。
あなたは私の立派な近衛騎士。その姿もお似合いですよ」
王女がオレの姿を見て意地の悪い笑みを浮かべる。
今のオレはいつもの冒険者姿ではない。まあ、王族の騎士なのだから当然なのだが、王女によって用意された華美な装備に身を包んでいる。こんな飾り要らないだろうというオレの訴えは一蹴されてしまったので、仕方がなくこの装備を甘んじて受け入れている。
ちなみに、屋敷でルナリアたちに見せたところ、腹を抱えて笑われてしまったので、この装備を着ている時には、なるべくルナリアたちに見つからないように屋敷を出ている。ただ、ステラにはかなり好評だったらしく、興奮した様子でオレの事を褒めてくれていた。
「ところで、次はどこに向かっているのですか?」
オレは現状から目を背けるために王女へ尋ねる。
「宰相のところよ」
「それはかなりの大物ですね」
「あら、他人事みたいに言うけれど、宰相の目的はあなたよ。あなたを連れて是非って言われているから」
「オレ、帰りたいのですが」
「諦めなさい、もう着いたから」
嬉しそうに微笑む王女が立派な造りの扉の前で立ち止まる。
一度で良いからこの顔に拳を沈めてやりたくなった事はオレの胸の中にしまっておこう。
読んでいただき、ありがとうございました。