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ギルド社畜の転職日記  作者: 森永 ロン
第六章 社畜、貴族になる
154/180

9: 初仕事は一対一

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 どんなに能力がある者も、初めての事をする時には適切な教育が必要だと思う。

 知らないことを一人の力で始めから完璧にやれというのはあまりにも酷なことだし、実際のところ不可能だと思う。

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「――じゃあ、君はもう下って良いよ。

 自分に与えられた仕事がかなり残っているだろう」


 フリンクの突き刺さるような冷たい視線がゴルギアスへと向けられる。


「いえ、アレンは本日が初めての出勤ですし、貴族になって間もないですから私がいた方が良いかと思うのですが」


 ゴルギアスの口調からはいつものような豪快さは感じられない。まるで上司の機嫌を窺うためにペコペコとしていた昔のオレの様だ。低姿勢なゴルギアスの様子と昔の自分を重ね合わせ、なんだか心がキュッと締め付けられるような思いだった。しかしながら、それ以上にゴルギアスの屋敷では見ることの出来ないレアな姿を目の当たりにして、揶揄う材料がまた一つできたなとほくそ笑んでしまった事は内緒だ。


「君がここにいた所で何もできないよ。

 そんなくだらない気配りをするぐらいなら、課された仕事を早く終わらせてくれるかな」


「……はい」


 さすがのゴルギアスも上司の言葉にはさらうことが出来ず、結局しぶしぶと部屋から退出した。


「さて、邪魔者もいなくなったことだし、改めてよろしく」


 フリンクは先ほどまでゴルギアスに向けていた鋭い視線を一変させて、あたかも優し気な雰囲気でオレへと話しかける。


「……アレンです。本日からよろしくお願いいたします」


「そう緊張しなくても大丈夫だよ」


 目の前の人物がかなりの曲者だとオレの長年の社畜魂が警鐘を鳴らしている。ゴルギアスとには先ほどまでのような厳しい態度であったのに、なぜ、オレに対してはこうも気持ちの悪い笑顔を向けてくるのか。ただ単にゴルギアスが仕事をためてしまっていたという可能性もあるのかもしれないが、オレにはそれ以上に目の前の男から得体の知れないものを感じてしまう。


「君には前から興味があったんだ」


「……オレにですか?」


「ああ、色々とね」


 オレの何に対して興味を抱いたのかは教えてくれない様だ。代わりに含み笑いでオレの疑問を受け流していた。


「ところで、オレの仕事は何なのでしょうか?」


 オレは聞いても無駄だと悟り、オレがここに呼ばれた目的に話を移した。


「まあ、初日だからね。

 そんなに難しいことは任せないから安心して欲しい」


 当然の事だろう。貴族になって間もなく、貴族とは何なのかも理解していないオレに難しい仕事など割り振ることなどないだろう。それに、どんな仕事であれ平民が知りえることのない王国の政事に携わるのだ。その中には外に漏らしてはならない王国の秘密も含まれていることだろう。そんな重要なポジションに新人を配属することなんて不可能だ。


「とても簡単なことだよ」


 そう言って部屋にあるもう一方の机を指さす。


「あの全ての書類の精査と内容の要約をして欲しい」


「……あの書類を全部ですか?」


「ああ、全てだ」


 笑顔のまま悪魔のようなことを告げるフリンク。


 オレの視線の先にある机の上には山のように積まれた大量の書類。それはオレのギルド職員時代の机をほうふつとさせる。


「これをいつまでに?」


 仕事をする上で大切なことはいつまでに完了させれば良いかという「期日」だ。期日によって着手する順番を考えたり、他者の協力を扇いだりする。


 もしかすると、オレに目の前にそびえ立つ書類の山も期日はかなり先なのかも知れない。本当に、本当にもしかするとではあるが、その希望が残っていない訳では無かった。


「えっ、今日までだけど」


 フリンクはわざとらしそうな驚いた口振りで無理難題を宣告する。


「一人でですか?」


「当たり前じゃないか。ここに君以外いないだろ」


『――お前がいるじゃないか』と叫びたいところだがグッと息を飲み込む。ここでそんなことを指摘してもオレの処遇が悪くなるだけだし、与えられた仕事が減る訳でもない。


 だが、客観的に見てこの量を一人で今日中にこなすことは無理だと思われるのだが、この上司は本当に完了することが出来ると考えているのだろうか。もしそうであるならば、こいつもかなりの無能という事になるのだが。


「ギルド職員として働いていた君ならばこのくらい余裕でしょう」


「――っ!?」


 その言葉を聞いた瞬間、オレの中の警鐘がけたたましく鳴り響く。


「……よくご存じで」


 オレが元ギルド職員だという事は隠してはおらず、ルナリアやリーフィア、フォーキュリー家にて暮らす面々、あとはセレナさんも知っていることだ。しかしながら、別に自ら吹聴し周っていると言う訳では無いので、オレとの関係性がない者たちが自然と知りえることはまず無いだろう。


 ということは、だ。


 なぜ、初対面のこの男がそのことを知っているのか?


 その答えは、「オレの事を調べたから」だと簡単に導き出すことが出来る。


 では、なぜオレの事を調べたのだろうか?


 部下となる者の経歴を知っておこうという事で調べたという可能性も否定することは出来ないが、下級の、それも平民出の貴族のオレに対してそこまでするだろうか。貴族の性格を鑑みるにそのような殊勝な心は持ち合わせてはいないだろう。


 となると、残されるのはオレに対して思うところがあり調べたという事だが、それが良い感情から端を発しているものなのか、はたまた悪い感情からなのかは分からない。オレの経験上、十中八九後者だと思われるのだが。


「そんなに警戒しないでくれよ。別に君も隠していたと言う訳では無いだろうし」


 フリンクの笑みが先ほどまでよりも怪しく感じられる。


 オレの事は知られているのに、オレはこの目の前でほくそえんでいる男の事を何一つ知らない。それはかなり面白くない状況だった。


「……元ギルド職員でもこの量はさすがに厳しいのですが」


 オレは警戒しながらも、与えられた仕事に関する事実を伝えた。ここに用意された書類の内容を見てはいないが、それなりの文量があると思われる。


「そんなことは私の知ったことではないからね。君は与えられた仕事を与えられた期日でこなすことだけを考えていれば良いんだよ」


 そう言って自身の机に戻ると、この話はもう終わりと言わんばかりに書類に目を通し始めた。


 もう何を言ってもこの状況を好転させることは出来ないだろう。オレは諦めて用意された椅子にしぶしぶ座ると、そびえ立つ書類の山に取り掛かる。


 ……ええっと、これは王都の商会関連の状況で、こっちは人口増減に関してか。


 書類には王国にとって重要な情報もまあまあ含まれていたが、大半は王都の市政の動向についてだった。


 オレは無心でそれらの書類を要約し、内容ごとにまとめていく。書式や文体に貴族特有の作法などがあるのかもしれないが、オレはそのことについて特に指示されていない。フリンクに確認するべきかと思ったが、当の本人はオレに教える気はなさそうだ。であるならば、このまま進めてしまうしかないだろう。


 利き手である右手は無くなってしまったので左手での作業ではあるが、ルナリアたちとのリハビリの効果が出ているようだ。オレはギルド職員時代の時のように凄いスピードで書類の山を消化していく。


「へー、元ギルド職員というのは伊達じゃないね」


 集中していたオレの気を散らす声。このまま集中しているという事で聞き流そうかと思ったが、さすがに上司の言葉を無視することはよろしくはないだろうと思い直す。


「まあ、これくらいは」


「この調子だと今日中いけそうだね」


 フリンクが意地悪そうな笑みを浮かべる。


「いえ、どう見てもこの調子でも無理でしょ。

 人員を加えるか、期日を伸ばすことは出来ないんですか?」


 仕事において大切なことは客観的に現状を把握することだ。気合で何とかなるという事は全くない。まあ、ギルド職員時代には気合で何とかするしかないことも多々あったのだけれど。


「それは出来ないよ」


 フリンクは残念そうなそぶりをする。


 そのわざとらしい態度にイラッとしてしまった。一発だけ殴らせてくれないか相談してみようかな。


「大丈夫、この部屋は夜でも開いているから」


 フリンクからの死の宣告。


 夜でも開いている――それ即ち、夜も寝ずに頑張れよという事。


「……ちなみに、何時までこの部屋に?」


「私かい? 今日は定時にあがるよ。早く屋敷に帰りたいからね」


 百歩譲って、一緒に夜遅くまでいてくれるのであれば、オレの溜飲も下がるのだが、この男は出勤初日の新人を一人残して、自分自身は早々に帰るそうだ。


「……何か問題が生じたときはどうするのですか?」


「大丈夫、君なら何とでもなるよ」


 遠回しにオレに付き合うように伝えてみたのだが、ニコニコの笑顔で拒絶されてしまった。どうやら、本当にオレ一人でどうにかしなければならない様だ。


「じゃあ、お疲れ」


 オレが書類と格闘していると、フリンクが帰り支度を終え、部屋から出て行った。


 集中しすぎて時間を忘れていたが、もうかなりの時間が経過していたようだ。部屋に差し込む陽の光もボンヤリとし始めている。


 オレの前にあった書類の山は半分ほどまで低くなっており、ようやく折り返しというところだろう。


「マジで覚えていろよ」


 心の中でフリンクに対して罵詈雑言を叫びながら、少しでも早く屋敷に戻るために書類に手を伸ばす。


 ――数時間後。


「……終わった」


 外はすっかり暗くなり、人の気配も感じない。


 部屋の中のおぼろげな明かりが疲れ切ったオレの姿を映し出していた。

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