5: 家名と家紋
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名前などその者に割り当たられた記号でしかない。名前に価値があるのではなく、その名前が指し示す者がどのような褒め称えられる振る舞いをしているのかに価値が見出されるべきである。そのため、名前や自身に付随する記号にたてに偉ぶる者など、見るに堪えない可哀そうな連中だ。
オレは名前や家紋に頼ることなく自身の存在を褒め称えられるようなまともな貴族となることが出来るのだろうか?
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全く良い思い出のない爵位授与式から数日経過した。
貴族となったことなど微塵も自覚のないままに、怪我のリハビリとしてソードを振って感触を確かめたが、身体の調子は問題なかった。ただ、今まであった右腕が無くなったことにより、ソードを振るう時のバランスが以前とはかなり異なっていて鋭さと威力を十分にソードに伝えることが出来ない。
「まあ、しばらくは慣れることだけを考えるしかないんじゃない?
無理してよい事なんてないんだから」
オレのリハビリに付き合ってくれているルナリアが、額から流れる汗を拭きながら少し落ち込んでいたオレを励ます。
「ところで、貴族になったアレンさんは今まで通り冒険者として活動は出来るのでしょうか?」
屋敷の庭の片隅からオレとルナリアの様子を見守っていたリーフィアが率直の疑問を投げかけてくる。
「フレイヤも冒険者として活動しているのだから大丈夫じゃない?」
「フレイヤさんも貴族ですけれど、アレンさんと違って貴族家の当主ではありませんから。
貴族家の当主が冒険者として活動するなんて聞いたことも無いのですが」
リーフィアが素振りをしながらオレのリハビリの相手としての出番はまだかと期待しているフレイヤへと視線を向ける。
「確かに聞いたことは無いが、そのような法は無かったと思うぞ。
実のところ、父上も鬱憤が堪った時は冒険者としてではないがお忍びでモンスターを狩りに行っているからな。
まあ、アレンもフォーキュリー家同様に他の貴族どもに目を付けられているようだから、何をするにしても口うるさく文句を言ってくる連中は湧いてくるさ。いちいちそのような連中のことなど考えることすら時間の無駄だ」
「まあ、そうよね。
禁止する法がないのだから好きにやれば大丈夫でしょう。何か言われたらその時に対処しましょう」
「……オレ、文句言われるのは確定なのか?」
オレとしては面倒ごとなど勘弁だと強く願っているのだが。フレイアやルナリアはオレがそれからどうしても逃れることが出来そうにないのは確定しているような口ぶりだった。
「それは当然でしょ」「当然だな」
――二人して「何言ってんだ?」と言う様な表情でオレの方を見るな!
「だって、王国軍が自分たちの名声を上げるために討伐に向かったのに、結果は惨敗。そんな相手をアレンが見事に討伐して手柄を得たのよ。王国軍からしたら横から手柄を奪われたと思っているんじゃないの?」
いや、オレは命令されてドラゴンの調査に向かい、全く意図していなかったのに戦闘になったのだが。オレからすれば、オレたちは王国軍の蛮行の被害者だ。それなのに怒りまで向けられるなんて堪ったものではない。
「ルナリアの言う様に、王国軍関係者からのアレンに対する怒りはかなりのものだと思うぞ。父上もそのことでチクチク言われているらしいからな。ここ最近はかなり鬱憤が溜まっている様子だった」
……ゴルギアスにも悪いことをしてしまったな。今度口でも聞いてやるか。
「と、そんなくだらない話は終わりにしよう」
「……オレにとってはくだらない話ではないんだけど」
オレの嘆きを無視してルナリアが話を続ける。
「それよりも、アレンにはもっとやらなければならない重要な事項がある」
「やらなければならない事?」
「家名と家紋だ」
平民と貴族の違い――その一つが貴族には家名があるという事だろう。
平民は当たり前ながら家名などない。ルナリアは『ルナリア』であり、リーフィアは『リーフィア』である。彼女たち個人を指し示す名を有してはいるが、それ以外は特にない。
一方で、貴族はどこの家に連なる者かという事を示す家名がある。フレイヤは個人を指し示す名は『フレイヤ』ではあるが、『フォーキュリー』というフォーキュリー家の者だという事を示す家名も有しており、『フレイヤ・フォーキュリー』という個人名と家名が連なった名前が正式なものとなる。
「家名か」
当然のことながら、平民であったオレには家名なんてものない。別にそれで今まで困ったことは無かったし、家名が欲しいなんてことも考えたことがなかった。巷では、貴族に憧れた子供たちが架空の家名をつけて遊んでいるらしい。ただ、そのことが万が一貴族の耳に入ってしまうと、遊びと雖も貴族の特権を犯したという事で処罰されてしまうだろう。
「何か名乗りたい名はないのか?」
フレイヤの問いにしばらく頭を凝らしてみたが、特に思い浮かぶものはない。
「別にこれといって無いな」
「じゃあ、私たちが代わりに考えてあげるわ。
ねえ、良いわよね?」
「こんな機会なんて生涯でもう二度とないでしょうから、ぜひ考えてみたいです」
ルナリアとリーフィアがねだるような視線をオレに向けてくる。確かに、家名を考える機会などそうそう訪れるものではないだろうから、二人のように興奮するのも当然なのかもしれない。
とにかく、全く家名が思いつかないオレにとってはありがたい申し出ではあった。
「じゃあ、お願いしようかな」
『やった――!!!』
ルナリアとリーフィアが嬉しそうにハイタッチをする。
「私も考えて良いか?」
「ああ、フレイヤもぜひ考えてくれ」
「うむ、任せてくれ!」
自身の胸を叩きながら嬉しそうな様子のフレイヤ。
すでに貴族であるフレイヤにとっては、家名は生まれたその時から当たり前のように決められたものであり、自身の考えを反映させる余地など微塵もない。そのため、家名を考えるということはかなり貴重な体験なのだろう。フレイヤはこんなことで喜ぶことなんて無いと思っていたのに、意外な一面を見ることが出来た。
三人はあれはどうかこれはどうかと楽しそうに意見を出し合っている。
「家紋の方も考えてくれるか?
いろいろ候補を出してもらって、最終的にその中からオレが決めるから」
『任せて!!!』
息の合った三人の返事。これでオレの課題は解決したと言っても過言ではないだろう。
「ステラも考えるか?」
オレは部屋の隅で静かに控えていたステラへと視線を向ける。
「いえ、私はご主人さまのメイドなので」
三人とは違って、ステラは本当に興味がないようだ。その様子に少し寂しさを感じてしまった。
「じゃあ、三人が出した候補からどれにするか一緒に決めよう」
「……かしこまりました」
『一緒に』という言葉に少しステラの頬が緩んだのが見えたが、オレの視線を感じたステラはすぐに緩んだ頬を元に戻した。
三人が色々と考えてくれて候補を出してくれた数日後、ステラと一緒にどれがオレに似合うかを考えた。
その結果、家紋はドラゴンの頭にソードが突き刺さったものに決定した。
これから、オレ――アレン・ブライトとして生きていくこととなった。
読んでいただき、ありがとうございました。