2: 貴族の価値
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価値観はそれぞれ違う。
ある一つのものに対して、「美しい」と感じる者もいれば、「汚い」と感じる者もいることだろう。それはそれで良いことだと思う。全ての者が同じ価値観しか持ち合わせていない世界程、排他的で画一された空虚な世界はないと思うから。
だから、オレはオレの価値観のまま生きていきたいと思う。オレがオレのままでいるために。
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ステラの差し出す食事を完食した後、オレの身体を拭こうと濡れた布を手に持ってにじり寄ってくるステラをどうにか制し、自分で身体を拭くことに成功した。ステラはかなり不満気であったが、さすがにそこまでさせてしまうのは申し訳ないし、何よりもオレの心の準備が出来ていない。怪我人といえど、今はかなり回復しているのだし、ステラのような子供に身体を拭かせるというのは見る者が見たら犯罪だろう。
オレは『メイドですから!』と抗議してくるステラに対して、フレイヤを呼んでくるように頼む。
最初は全く部屋から出て行く気配がなかったステラだったが、オレの意志が固いことを理解すると渋々ではあるがフレイヤを呼びに行ってくれた。ただ、扉を閉めた後に走る足音が聞こえてきたので、すぐに戻ってきてしまうだろう。それよりも早く身体を拭いてしまわないと、ステラが手伝うと言ってくることは明らかだ。
オレはいそいそと服を脱いで身体を拭いて行く。冷たい布が肌に触れてかなり気持ちが良い。
オレが身体を拭き終わるのとほぼ同時に扉の外に気配を感じた。オレは急いで服を着てステラの帰りに準備する。
「――ご主人様、フレイヤさんたちを呼んできました」
ステラが勢いよく部屋の中へと入ってきた。メイド見習いとしてイザベルさんの弟子になってからは、常にメイドとしてふさわしい振る舞いを努めていたが、今は歳相応な様子が見て取れる。オレはその反応に嬉しくもあったが、ステラの後ろで溜息を吐いているイザベルさんの様子に、後で怒られてしまうのではないかと不安になる。
「ご主人さま、何でご自身だけで拭き終わっているのですか!
ご主人さまは怪我人なんですから、私がお世話をしなければいけないんです。
メイドの私の仕事を奪わないでください」
オレが身体を拭き終えていることを確認すると、ステラはかなり残念そうな顔をした後すぐにオレに抗議の声を上げる。
最近、ステラがかなりオレのお世話をしたがるのだが、これはメイドとしての成長として喜ぶべきなのだろうか。師匠であるイザベルさんがフレイヤにこのように世話を焼いている様子は見たことがない。そのことを鑑みるに、ステラの姿勢はメイドとしても少し過剰なように思われるのだが、門外漢であるオレが口を出しても良いものだろうか。何か問題があればイザベルさんが指摘すると思うのだけど、イザベルさんにそのような様子はない。
「まあまあ、ステラもその辺にしておきましょう。
きっとアレンもステラに身体を拭かれることが恥ずかしかったのよ」
困っているオレを見かねて、ルナリアがステラを制してくれる。
「でも、私はご主人さまのメイドだから」
「それは分かっているは。
でも、そのご主人さまが嫌がっている事はなるべくしてはいけないんじゃないの?」
「……はい」
ルナリアの正論に冷静さを取り戻したステラがしょんぼりと後ろへ下っていく。
そんなステラの落ち込んだ様子を気持ちは悪い表情を浮かべて見ているフレイヤ。
「……お嬢様?」
「あ、アレン調子はどうだ」
「ああ、特段問題はないよ」
イザベルさんの少し低い声に我に返ったフレイヤが誤魔化す様にオレへと視線を向ける。
「それで、ステラから聞いたけど、何かオレに用があるんじゃないのか?」
「そうだった、ステラのあまりの可愛さに忘れてしまうところだった」
フレイヤはリーフィアに頭を撫でられながら慰められているステラを名残惜しそうにした後、オレの方へと真剣な表情を向ける。
「突然の報告で申し訳ないのだが、アレンが貴族になることに決まった」
「……えっ?」
――貴族? このオレが?
フレイヤの言葉に頭の処理が追い付いていない。
オレだけではなくルナリアやリーフィアもそのことを知らされていなかったようで、かなり驚いている。
「ええーーっ、アレンが貴族になるの!?」
「凄い快挙ですよアレンさん!
ここ近年で平民から貴族になった事例はなかったと思いますよ。スレイブ王国の歴史に名前が載りますね」
オレが貴族になることに興奮している二人。
そんな二人の様子を見てやっと理解が追いついたオレだったが、二人のように貴族になるという言葉に興奮も喜びを感じていなかった。
それはオレだけでなくフレイヤも同じであった。どこか申し訳なさと悔しさが入り混じった表情をしている。
「……確認したいことがあるんだけど良いか?」
「ああ、構わないぞ」
オレの頭には何よりも最初に疑問が浮かんだ。
「何で?」
このタイミングで貴族になるという事は、その原因は一つしか考えられない。フレイヤに対して問いつつも薄々は気付いていたが、頭に浮かんで来たのだからしょうがない。
「アレンがドラゴンを討伐したからだ」
フレイヤはオレの疑問に淡々と答える。
「オレだけの功績ではないだろう?」
現に、フレイヤやルナリア、リーフィアだってドラゴンと対峙している。それに、オレの窮地を救ってくれたベニニタスたちも。決してオレだけの力でドラゴンを討伐したと言う訳では無い。
「アレンが討伐メンバーのリーダーだからな。
さすがに全ての者に爵位を授与することは出来ないさ」
それもそうか。今回ドラゴン討伐に貢献したメンバー全員に爵位を渡してしまうと、スレイブ王国に貴族が一気に増えてしまう。一度与えてしまった爵位をなかったことにするのはスレイブ王国といえど難しいのだろう。まあ、国王やお偉いさんの機嫌を損ねてしまうと、爵位だけでなく命を奪われることになりそうなのだが。
「それってさ、断れないかな?」
オレは今感じている本心をフレイヤに尋ねた。
「何言っているのよアレン!?
貴族になることが出来るのよ? 貴族になったら色々と特権を得ることが出来るのだから面倒ごとに悩まされることも少なくなるはずよ」
「そうですよ、せっかくのお話なのに勿体なさすぎます」
ルナリアとリーフィアが詰め寄ってくる。
確かに、二人が言う様に「貴族になる」という事は魅力的なことだろう。特にこのスレイブ王国においては、その意味は計り知れないほど大きな事だ。
それでも、オレの考えは変わらない。
「……理由を聞いても良いか?」
「だって、絶対に厄介事を押し付けられるんだろ?」
フレイヤの沈黙からオレの予想が正しいことが証明された。
今回オレに授与される爵位はどう頑張ってもスレイブ王国内で最も低い騎士爵だろう。
フォーキュリー家当主であるゴルギアスの様子を見れば、下級貴族の扱いが酷いことなんて赤子でも理解することが出来る。
今は冒険者なので自由気ままに生活することが出来る。しかしながら貴族となればそうもいかないだろう。
特権はあるかもしれないが、貴族になってしまえば義務も当たり前に発生する。それがどんなに自分の意に反することでも簡単には断ることは出来ず、心を殺して業務を全うするしかない。そんな生活から逃れるために冒険者になったのに、ギルド職員時代に逆戻りするなんて嫌すぎる。
「貴族になる」なんて他者にとっては凄い事なのかもしれないが、オレにとっては何の価値もないことだ。むしろ、メリットよりもデメリットの方が大きすぎる。
「……すまないが断ることは出来ない。
それがスレイブ王国という国だ」
フレイヤの表情が晴れていなかったのは、下級貴族となることによってオレに押し寄せる理不尽と、それを予想したオレが断ったとしても決して逃れることが出来ないという事が分かっていたからなのであろう。父親の苦労を知るフレイヤが、オレもその境遇へと落ちることに賛成なわけがない。
「……すまない、もう決定事項なのだ」
フレイヤが申し訳なさそうな声で俯く。
「いやいや、フレイヤが謝ることじゃないだろ?
それに、貴族になるという名誉を手にすることには変わりないんだから、そんな顔をしないでくれよ」
フレイヤの様子にオレは慌ててフォローするが効果はさほどないようだ。
「ス、ステラはどう思う?」
気まずい雰囲気をどうにか払拭しようとオレは脇で控えているステラへと話題を振る。
まさか話を振られるとは考えていなかったステラは一瞬ビックリした後、少し考えてオレへと視線を向ける。
「ご主人さまは貴族になってもご主人さまですか?」
どこか不安を孕んだ瞳でオレを真っすぐと見つめてくる。
心配なのだろう。
貴族になったことによってオレが変わってしまわないか。
他の貴族たちみたく、ヒト族以外を認めず、横柄な態度で自身が選ばれし存在だと勘違いしてしまうのではないか。
オレはそんなステラの心配を払拭するために、手招きしてステラをオレのすぐそばまで来させ、優しくその頭を撫でる。
「大丈夫、オレはオレだよ」
ステラの安心した笑みを堪能しながら、逃れられない運命に対するやるせなさをしみじみと感じていた。
読んでいただき、ありがとうございました。